GRAYxCLAUDIA II


グレイは、パブで強いアルコールを何杯もあおっていた。

いくら飲んでも、頭の芯が凍るように冷たくて、少しも酔うことが出来なかった。

クローディアの悲鳴が、クローディアの怯えた瞳が、頭の中から離れない。

不思議と、後悔はなかった。

妙な達成感もある。

だが、ざらついた、胸が焼けるほど苦々しい罪悪感の方が大きい。

傷つけてしまった…。

誰でもない、自分自身のこの手で。

汚し、踏みにじったのだ。

守りたかった筈なのに、何故、こんな事に…。

しかし、あの瞬間、クローディアの可憐な顔を引き裂いてやりたいとさえ思ったのも、また事実だ。

そう、あの悪夢のように、柔らかな舌を捻じ切り、瞳をえぐり出してやりたいと…。

グレイは、手に持ったグラスを、ぐいっと一気に飲み干した。

指を鳴らしてマスターを呼ぶ。

「…同じ物を。」

そのピッチの速さに、マスターが、一瞬、大丈夫かな? というような、うかがうような顔付きをするが、グレイの顔に、いささかも酔いの兆しが現れてないのを見て取り、グレイの前に、琥珀色の酒の入ったグラスを置いた。

「一曲、いかがですか?」

先刻まで帝国叙事詩を歌い上げていた顔馴染みの吟遊詩人ハオラーンが、歌を終えて、グレイに近づいてきた。

グレイはパブでハオラーンに会うと、「一曲どうです?」の誘いを断らない。

勇ましい冒険譚や英雄譚がグレイの好みで、それを覚えていたハオラーンは、

「どうです? 父なる神エロールの邪神封印譚でも?」

と、言った。

だが、今日は、グレイはとても、冒険譚を聞く心境ではなかった。

「いや、今日は…。そうだな…、とびきり甘くて切ない…恋愛物ラブストーリーを。」

意外なリクエストに、ハオラーンは目を丸くした。が、すぐに、手にもった竪琴を持ち直し、しゃらん、と鳴らし、歌い始めた。

その、美しい旋律を聴きながら、グレイは自嘲の笑みを浮かべていた。

……とびきり甘くて切ない恋愛物ラブストーリーだって?

それは、クローディアがいつもリクエストするものだった。

荒々しい勇壮な曲を好むグレイとは違って、クローディアはいつも、甘いラブストーリーを聞きたがった。

英雄神ミルザの唄であっても、グレイがサルーインとの決戦の場面をリクエストすると、きまってクローディアが横から口を出して、ミルザと、彼を慕う少女のせつない悲恋の物語を聞きたがるのだ。

少女趣味だとからかうと、クローディアは、ひどい、といって、ちょっと拗ねて見せる。

他の仲間には決して見せない、グレイにだけ見せる、普段の凛とした姿からは意外なほど子供っぽい仕草…。

それを、引き裂いたのだ、俺は…。

残りの酒をぐっと飲み干す。

とてつもない、罪悪感。

けれど…

グレイは、己れの手を見つめる。

まだ、手の中に、クローディアの乳房の感触が残っていた。

悪夢の記憶など、取るに足らないほど生々しいこの感触。

のしかかる罪悪感を、はるかに凌駕して余りある、この、“飢え”。

クローディアの体を抱いても抱いても満たされぬ、この思い。

いや、むしろ、一度抱いてしまったからこそ、その欲求は際限なく、グレイを苛んでいた。

クローディアへの欲望は、抱いた以前よりも強くなっていた。

たぶん、俺はまた繰り返すだろう、とグレイは思った。

あんな風に力尽くで陵辱したグレイを、クローディアはおそらく許しはすまい。

グレイの脳裏に、グレイを拒絶するクローディアと、その瞬間、一切の箍が外れ、再びクローディアを襲うであろう、自分の姿とが、生々しく、鮮やかに浮かんだ。

泣き叫ぶクローディアを無理矢理組み伏せ、服を引きちぎり、抗うのを構わず、その肌の滑らかさを、乳房の柔らかさを、狭い秘裂を、強引に楽しむ、自分の姿が。

グレイはそれを振り払うように酒をあおろうとし、既に飲み干してしまって空になっているグラスに気づいた。

顔を上げると、先ほどから、グレイを凝視したまま、お客さん飲み過ぎですよ、と、たしなめようかどうしようか逡巡していたマスターと目が合った。

構わず、グレイは、無言のまま、空のグラスを振って、おかわりを催促する。

その時だった。

「グレイ、ここにいたんだ」

パブに、アルベルトが入ってきた。

「…何の用だ。」

「探してたんだよ。グレイの部屋から水が漏れてるみたいなんだ。シャワーか何かを出しっぱなしにしてない? 宿屋で騒ぎになってるんだ。ドアに鍵がかかってるし。」

シャワー? 知らんな。何かの間違いじゃ…と言いかけ、不意にグレイの顔から血の気が引いた。

────クローディア!

椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がった瞬間、膝ががくっとした。

酔ってない、と思っていたのだが、体にはしっかり回っていたらしい。

意識して膝に力を込め、パブのマスターに金を払い、ハオラーンには金貨を一枚投げ、グレイは宿屋に急いだ。

 

 

宿屋に行くと、宿屋の主人が、グレイを見咎めて、何やら文句を言いながら近寄ってきた。

それどころではないグレイは、主人をぎろり、と一瞥し、主人が居竦んだ横をすり抜けて、自室へ向かう。

部屋の前には、バーバラとシフが、部屋の中を窺っていた。

それを押しのけ、もどかしく鍵を開け、ノブを回す。

部屋中、水浸しだった。

水音がしていて、見ると、水はバスルームから流れてきている。

慌ててバスルームに飛び込むと…

「クローディア!」

全裸のクローディアが倒れていた。

倒れた体が排水口をふさぎ、浴室に溜まった水があふれたらしい。

クローディアの体を抱き上げると、水が、ごぼごぼと音をたてて排水しだした。

抱き上げたクローディアの冷たさに、グレイはギョッとする。

唇も頬も色を失っている。

思わず、反射的に乳房に耳を当てた。

とくん、とくん、と心臓の鳴る音に、腰が抜けそうなほど、安堵する。

水は冷水だった。

部屋中にあふれている。

いったいどれだけの時間、こんな冷たい水に浸かっていたのか。

ちっと舌打ちして、グレイは、手早くバスタオルで、クローディアの体をくるみ、抱え上げる。

戸口で呆然と中をうかがっているバーバラとシフを押しのけるようにして、クローディアの部屋に向かった。

慌ててバーバラが追いかけてきて、クローディアの部屋のドアを開けてやる。

グレイは礼も言わず、急ぎ足で中に入る。

バーバラ達が心配そうに続いて入ってこようとするのを、

「入ってくるな!」

と、一喝する。

ベッドを濡らさないよう、バスタオルを敷いた上にクローディアの体を横たえ、濡れた体を、丁寧に拭く。

その体に点々と残る、陵辱の痕。グレイが刻んだ…。

────クローディア…

その跡に、そっと口付けをするグレイ。

その瞳にクローディアを犯した時のような狂気の光はなかった。

ただ切なげな、寂しげな色だけが、満ちていた。

 

* * *

 

深い、漆黒の、闇。

クローディアの意識は、闇の迷宮ラビリンスの中を漂っていた。

どんなに光を求めても、自分の体すら見えないほどの闇が、果てしなく続いている。

自分が、上を向いているのか、下を向いているのかさえ、わからない。

何かに腕を取られる。

別の何かが、足を捕らえる。

あっという間に動きを封じられる。

逃れようと、必死にもがくクローディア。

しかしそれらは、無数に触手を伸ばして、クローディアの体に纏わりつき、その体をまさぐりはじめる。

背中から腹へとずるずると這いまわってきた触手が、その豊かな乳房に巻きつき、絞り上げる。

吸盤のように乳首に吸い付く。

ぬめぬめとした感触が、腹から胸にかけて、ぞろり、と舐め上げる。

そのおぞましい感触に、クローディアは絶叫した。

その叫びを封じるように、口にも触手が捻じ込まれる。

それぞれの足に巻きついた触手が、体が裂けそうなほど大きく、クローディアの足を割り広げる。

ひときわ巨大な、太い触手が、クローディアの股を探り、中へと容赦なく侵入してくる。

めりめりと音を立てて体が裂かれる。

その激痛と恐怖に、クローディアは戦慄した。

いやぁぁぁぁっっっ 誰か助けて───────グレイ!

その名を呼んだ瞬間、

────誰も助けになんか来やしないよ

冷たい声が響いた。

それはクローディア自身の声のようにも、当のグレイの声のようにも聞こえた。

────見るがいい。自分を犯してる者の正体を!

声に導かれ、クローディアは、闇に目を凝らす。

闇の中に、触手の本性が浮かび上がる。

自分を犯している者、それは、モンスターの如く禍々しく変貌した、グレイであった。

いやあああああああああああ

闇の中で飛散し、乱反射するクローディアの意識。

こんなのいや…こんなのいや……

かえりたい…かえりたいよ……森にかえりたいよ………

オウル……………!

 

────…ディア…ーディア…クローディア!!

 

不意に、オウルの声。

 

オウル!

 

────・・帰ってくるのじゃ 帰ってくるのじゃ …時間が…ない…クローディア…

 

オウル、待って………!

 

* * *

 

こんこんと眠り続けるクローディア。

既に丸一昼夜、クローディアは目を覚まさなかった。

その寝顔を見つめながら、グレイは恐怖に襲われていた。

もしこのまま、クローディアが目を覚まさなかったら…………!

それは途轍もなく恐ろしい想像だった。

ど…うか… エロールよ… この娘を……………!

何者にも屈せず己れの信念のみで生きてきたグレイは、それゆえ、生まれてこのかた一度たりとも神に祈った事などなかった。

運命は全て、己が力だけで切り開いてきたのだ。

そのグレイが、今、神に願っていた。

命が欲しいのなら俺の命をくれてやる。

だから、だからこの娘を連れて行かないでくれ………。

俺は…俺はこいつを…………………

そう思った瞬間、グレイの頭の中で、全てが、何もかもが、氷解した。

俺は…クローディアを ────そうか……………

それこそが苛々の原因だと、グレイは、この時初めて気がついた。

あの悪夢の中でも、クローディアを屠りながら、紛れもない自分が、吐露していたではないか…

────オレガコンナニ ───シテイルノニ…

今さら自覚してももう遅い………

絶望感に軽い眩暈を感じながら、グレイは深く、息を吐いた。

────俺がこんなに…愛しているのに…

俺は、クローディアを愛している────…。

 

その時だった。

「う……………」

目の前のクローディアが、小さく呻いた。

ハッとして、様子を窺う、グレイ。

ゆっくりと、クローディアの双眸が、開く。

「クローディア…」

ぼんやりとしていたクローディアの瞳が、目の前の人間がグレイだという事に気がついて、驚愕と恐怖に彩られる。

「あ…………」

クローディアの脳裏に、陵辱の記憶が蘇る。

「クローディア?」

グレイが思わず触れようとした瞬間、

「いやああああっっっ!!」

クローディアが悲鳴をあげた。

その声に、外で様子をうかがっていたシフとバーバラが飛び込んでくる。

「どうしたんだい? クローディア!」

駆け寄ってきたバーバラの腕に、思わず縋りつきながら、それでも、クローディアは、はっと我に返った。

目の前のグレイは明らかに傷ついた顔をしている。

「あ、ごめ…ごめんなさ…グレイ…」

傷つけた、と思った瞬間、クローディアは反射的に思わず謝っていた。

だが、体の震えが止まらない。

グレイが恐ろしくてたまらない。

バーバラは、尋常ではないクローディアの怯え様に動揺を隠せない。

とっさにシフが、

「グレイ、疲れただろう? 向こうで少し休みなよ。」

と、笑顔でグレイの肩を叩いた。

グレイが、無言のまま、ふいっと踵を返して部屋を出て行く。

ぱたん、とドアの閉まる音を聞いて、クローディアは、大きく息を吐いた。

まだ、震えは止まらない。

「クローディア、大丈夫?」

バーバラが心配そうにクローディアを覗き込む。

「…何が、あった?」

シフの言葉に、クローディアがびくっとする。

一瞬、逡巡するような様子を見せ、

「な…何も…。何も…ない、わ。ごめん…なさい…。」

と、目を伏せるクローディア。

シフとバーバラは、思わず目を見合わせた。

二人は、グレイとクローディアの間に何があったのか、朧気に見当がついていたのだ。

グレイがクローディアを介抱している時、水浸しのグレイの部屋の後片付けをしたのは、シフとバーバラだった。

何故クローディアが、グレイの部屋のバスルームで倒れているんだ? という疑問を抱きながら、二人はグレイの部屋に入った。

そして、その惨状に愕然とした。

水浸し、というのを割り引いても、室内の状況は異様だった。

明らかに、争った痕跡あと

引き裂かれたクローディアの服。

シーツにも床にも、点々と血が付いている。

そして、グレイに抱えられて行った際に、一瞬だが目に入った、クローディアの…傷だらけの体。

まさかグレイが…、と思ったが、シフもバーバラも、お互いに、それをはっきりと口に出すのははばかられた。

今、それとなくクローディアに聞いたつもりが、何もない、と言い切られては尚更だった。

「何にもない、事、ないでしょう…?」

バーバラが聞いても、クローディアは黙って首を振るばかり。

「そう…………」

バーバラは、それ以上聞くのを諦めた。

本当は問い詰めてでも事情を知りたかった。

いったい、グレイとの間に何があったのか。

冒険者らしく、強靭な肉体と強固な意志を持つグレイは、仲間達から全幅の信頼を寄せられていた。

それはバーバラとて同じで、密かに仲間として以上の好意を抱いてすらいた。

だが、グレイの傍らにはクローディアがいて、あからさまでこそなかったが、お互いが想い合っているのは、すぐに分かった。

クローディアは、旅は初めてらしく、おまけに並外れた世間知らずで、何から何までグレイに頼っていたし、グレイも、そんなクローディアをまるでお姫様のように扱っていた。

逞しい体躯だが甘い端正な顔をしたグレイが、儚げで美しいクローディアに、まるで従者のようにつき従っている様子は、一対の絵のようですらあった。

だから尚の事、グレイがクローディアに暴行…強姦…?したかもしれない…なんて事は、バーバラには受け入れ難かった。

クローディアの口から真実を聞かなければ…グレイへの信頼が、根本から揺らいでしまいそうだった。

が、こんな様子のクローディアを見ては、これ以上の追及は余計に傷つけてしまいそうで、バーバラには出来なかった。

 

* * *

 

森へ帰る、とクローディアが言い出したのは、その日の夜だった。

「オウルが呼んでるの。私は迷いの森に帰らなくちゃならないの。」

夕食を取っていた全員の手が止まる。

クローディアの決心は固かった。

夢を見たのでは? という仲間達の問いにも、せめてもう少し体力が回復してからにしては、という気遣いにも、静かに、だが、きっぱりと首を横に振り、「このままみんなと行くわけにはいかないの。」と、固辞した。

じゃあ、みんなで一緒に行こう、という提案にも、「ごめんなさい。一人で帰りたいの…。」と譲らない。

「そんな! クローディア一人じゃ行かせられないよ!」

アルベルトが言うと、シフもバーバラも黙って頷いた。

その時、それまでずっと黙っていたグレイが、唐突に口を開いた。

「心配ない。俺がついて行く。」

一瞬、その場に一種異様な緊張感が走った。

反射的にお互い目を合わせるシフとバーバラ。

二人は、揃ってクローディアに目をやる。

努めて平静を装ってる風ではあったが、クローディアは明らかに動揺していた。

何も知らないアルベルトだけが、「グレイが一緒なら安心かぁ。」などと無邪気に言っている。

「グ…グレイ…あたし…一人で…。」

「一人では無理だ。」

グレイが言い切る。

その様子は、まるでいつもと変わらないグレイに見えた。

冷静で、沈着で…。

いつもと変わらぬポーカーフェイスからは、その感情を読み取ることは出来ない。

クローディアの反応だけが、いつもと著しく違っていた。

普段なら、グレイが傍にいるだけで、安心しきった笑顔を見せるクローディアが、目を伏せ、落ち着きがなく、グレイと視線を合わせようともしない。

グレイは逆に、射るような目でまっすぐクローディアを見据えている。

無理だ、と、グレイにはっきり言い切られ、クローディアは俯いたまま唇を噛む。

「で、でも…。」

「無理だ。」

「でも…。」

「じゃあ聞くが、ウェストエンドここから迷いの森へ行くには、まず何処へ行けばいいか分かるか?」

問われて、たちまちクローディアは言葉に詰まった。

「水路か?陸路か? 一人でニューロードを抜けられると思っているのか? 一刻も早く迷いの森へ着きたいんじゃないのか? どの道を行けば最短で森に着けるか分かるのか?」

「あ…それは……その……」

クローディアの瞳が不安げに揺らぐ。半ば泣きそうにすら見える。

「決まりだな。」

横柄なほどぶっきらぼうに言うグレイ。

こういう風に居丈高に言い切ってしまうと、クローディアは性格的に何も言えなくなってしまうのを、グレイは良く知っていた。

案の定、クローディアは、俯いたまま黙りこくってしまった。

テーブルの上の食事に、手をつけた様子は一切ない。

やがて、静かに立ち上がると、まるで叱られた子供のようにとぼとぼと部屋へ帰っていってしまった。

グレイは、何事もなかったかのように食事を続けていた。

 

 

それから程なくして、自分の部屋で休んでいたグレイは、ドアの外の気配に気がついた。

気配は、ノックするでもなく、入ってくるでもなく、しかし去りがたい様子で、いつまでもドアの外にある。

クローディアか…。

押し切られたはいいが、やはり納得がいかなくて断りに来たな…。

しばらくしてようやっと、ためらいがちなノックの音がした。

ドアを開けると、予想に違わず、立っていたのはクローディアだった。

「あの… グレイ… あたし…あの…」

戸口に立ったまま俯いているクローディアを、グレイは顎で室内へと促す。

警戒して入ってこないか…?とも思ったが、意外に、クローディアは素直に入ってきた。

だが先刻から一度もグレイを見ようとしない。

グレイは、特にクローディアに声を掛けるでもなく、酒のグラスを持って窓辺へ座った。

グラスを持って窓の外を眺めたまま、クローディアを見もしない。

ぎこちない沈黙が流れた。

 

クローディアの心の中には、様々な思いがある。

が、それをどう言葉にすればいいのかわからなかった。

そっと目を上げ、グレイを見る。

揺るぎない意志を秘めた、精悍な横顔。

なめらかでしなやかで、まるで獣のように美しい横顔…。

その鋭い視線が、クローディアを見るときだけは優しく和らぐのを、クローディアは知っていた。

端正な容貌からは想像もつかないほど逞しい体…。逞しい腕…。

この腕に守られて旅する事の、何と甘美だった事か…。

なにものからも守られているという、安心感…。

それはずっと続くものだと信じていた…。

 

あの、夜までは。

 

目の前のグレイが、こんなにも何事もなかったかのようだと、まるであの夜の事は夢であったのかとすら思える。

夢であって欲しいとも思う。

けれど、夢でない証拠に、クローディアの体には、いまだあちこちに傷跡が残っている。

暴力的に、犯し、貫かれた感触が、疼痛となって残っている。

何より、クローディアの脳裏からは、クローディアを陵辱していたときにグレイの口元に浮かんだ、あの狂気を宿した笑みが、どうしても離れなかった。

笑っていた…。あの時…、グレイは…

あの笑みを思い出すだけで、全身が粟立つほどの、叫び声を上げてしゃがみこみたくなるほどの、恐怖に襲われる。

できることなら忘れてしまいたかった。

けれどその一方で、クローディアには、グレイにあの夜の真意を問いたい強い思いがある。

何故あんな事をしたのか…。

このまま何も言わないままでいたら…、忘れてしまえば…、また、元のような二人に戻れるのだろうか…。

でも…。

あの瞬間、憎まれているような気すらしたのだ。

耐えがたいほどの苦痛、それにも増して、クローディアの心を塗りつぶした、恐怖。

あれは本当にグレイだったのかとさえ思う。

憎まれている? 嫌われている?

もしかしたらグレイに嫌われているのか、と思うだけで、涙が零れそうになる。

だからあんな事をしたのか?

なら、何故、今、迷いの森までついてきてくれようと言うのか。

………仕事…だから…?

何度考えても、クローディアにはまるで何も分からなかった。

グレイの心が見えなかった。

迷いの森にいた頃は、こんな事で悩むことなどなかった…。

相手が何を考えているのか判らなくて悩むなんて…。

嫌われているかもしれない事に怯えるなんて…。

「グレイ……」

小さな声で、呼ぶ。

グレイが振り向く。

まっすぐな瞳。

あんな事をしたのに、グレイはまっすぐに見る…。

どう…して…?

「グレイ…、あたし…、あの…、」

何を言おう。何を話そう。何かを伝えなければならない…。だけど…何を?

グレイの本当の気持ちが知りたい。

グレイが何を想い、何を考えているのを知りたい…。

何をどう話せば、グレイの深遠に届くのだろう…。

「グレイ…ごめんなさい…」

とっさに出てきたのは、謝罪の言葉だった。

自分が何かをしたのかもしれない、知らぬ間にグレイを傷つけたのかもしれない、その思いが、最初に言葉になった。

グレイは、思いもかけぬ言葉に、一瞬、目を丸くした。

しばしの間をおいて、その口元に薄笑いが浮かんだ。

それは、クローディアの想いを全て裏切るのに充分な、まるでせせら笑うような、嘲るような、嫌な笑みだった。


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