■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【26】

 

「………………あー、もしもしー、お二人さんー?」

 

だしぬけに呆れ返ったような妙に間延びした声がすぐ傍でして、サンジは急に我に返った。

「えっ…? あっ!!!!」

 

すぐ傍にエースの顔。

その周りにはずらーっと人がいて、みんな何ともいえないニヤニヤ笑いを浮かべながら自分達を見ている。

あたりまえだ。

ここはバラティエの店内で、今はサンジのバースデーパーティーの真っ最中。

都合よく忘れ去っていたことが、一気に蘇ってきた。

「わあああっ!!!」

慌ててサンジはゾロから体を離そうとして、─────失敗した。

ゾロはものすごい力でサンジを抱き竦めていて、サンジが押しても突っぱねてもびくともしない。

「ゾ、ゾロ、ゾロ、ちょっとだけ離して。離せ。な?」

首根っこまで真っ赤に染めながら、サンジは何とかゾロから離れようともがく。

だがゾロはもう二度と離さない、と決めているみたいにサンジをぎゅうぎゅう抱きこんでいて離れない。

「ゾロっ…、ゾロ、このバカ! みんなっ…みんな見てるからっ…! 離せってば!!」

じたばたじたばたとサンジはむなしい抵抗を繰り返す。

 

「いいからもう、お前はそのチンピラの隣に座ってろ、チビナス。」

ぶっきらぼうな声がして、オーナーゼフがゾロのテーブルに、ことん、と料理の皿を置いた。

「じ、じじい…、」

サンジはもう盛大にうろたえている。

それをゼフは知らんぷりでスルーして、ゾロを向いた。

「今、仕上げだけは俺がしたが、この料理も全部こいつが考えてこいつが作ったもんだ。残さず食え。」

サンジの首筋に顔を埋めていたゾロが、その言葉で顔を上げて、ゼフを見て、それから料理をじっと見て、サンジを見る。

「ああ…。ありがたくいただく。」

片手をサンジの体に巻きつけたまま、もう片手をカトラリーに伸ばす。

「てめェ、フレンチのマナーを完璧に守れとは言わんが、せめて膝の上のそのでかいのは下ろせ。」

ゼフが苦虫を噛み潰したような顔で言う。

サンジも困ったようにもぞもぞとゾロの膝の上で尻を動かす。

「コレも残さず食うから下ろさねェ。」

コレ、と顎をしゃくって指されたサンジは、一瞬ぽかんとした後、赤かった顔を更に真っ赤に染め上げた。

まるでイタリアントマトだ。

「バっ…! お、おれは食いもんじゃねぇっ…!」

そんな抗議になど、ゾロは全く耳を貸さず、殊更見せつけるようにサンジの体を抱き寄せて、真っ赤にほてったその頬に、唇で触れた。

それを見て、ゼフの顔が、いよいよ苦々しいものになる。

「ソレは二人だけの時に好きなだけ食え。ここは飯屋だ、ラブホじゃねぇ。」

「いいのか?」

不意にゾロの声の調子が変わった。

その声の、思いもかけず真剣な響きに、ゾロの腕の中から何とか逃げようとしていたサンジが、驚いて硬直する。

「ゾロ…?」

ゾロはまっすぐにゼフを見ていた。

その真摯な眼差しが、サンジに、初めてゾロがバラティエに来た日の事を思い起こさせた。

あの時も、ゾロは、こんな風に真剣な目でゼフを見て、「サンジと話がしたい」と言った。

「俺はコイツに惚れてる。あんたァ随分とコイツを可愛がってくれているようだが、俺みたいな男とくっつくこいつを、あんた許せんのか?」

聞きようによってはまるでケンカを売っているようなセリフを、ゾロはあくまで淡々と静かに紡ぐ。

ゼフも、感情を乱すような事はなかった。

「今更だな。最初からチビナスはお前さんのもんだったろう。」

ゼフの言葉に、ゾロの目元がふっと和らいで、サンジを見る。

サンジはいつにないゾロの真剣な顔にぽうっと見入っている。

「ただし、」

と、ゼフが唐突に続けた。

「二度とこいつから逃げるんじゃねぇ。“還ってきた”と言うなら、今度は性根据えて添い遂げてやれ。」

ぶっきらぼうなその言葉は、確かな愛情に満ちていて、サンジは、その重みに思わず胸元を押さえた。

ひゅ〜♪とギャラリーから場違いなほど軽い口笛が聞こえた。

「意外とリベラルですね。オーナー。」

コーザの声がした。

「愛と自由の国出身だからなァ。」

と、これはパティの声。

店内中が事の成り行きを固唾を飲んで見守ってるらしいことに、サンジは恥ずかしいやらいたたまれないやらでゾロの肩口に顔を埋める。

だが、

 

「承知した。」

 

と、きっぱり言い切ったゾロの言葉に、またハッと顔を上げた。

サンジを抱いたゾロの手に、力がこもる。

もう二度と離さない、と言ってくれているようで、サンジの目にまた涙が浮かんだ。

 

どうしよう。嬉しい。

嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

ゾロがいてくれる事も、ゼフが認めてくれた事も、周りのみんながただ優しく見守っていてくれている事も。

サンジは、ゾロにしがみついた手に、ぎゅっと力を込めた。

 

「つーか、お前らもう結婚しちまえ!」

シャンクスが、明らかに酔ってます、な大声で言った。

言いながら、ゾロの背中をバンバン叩く。

シャンクスに限らず、もういい加減かなりいい感じにアルコールが回っていた店内は、その一言で大いに盛り上がった。

「そうだそうだー!」

「結婚しちゃえー!」

ノリと勢いだけで囃し立てる。

 

「はいはい、三々九度三々九度。」

カルネがカウンターに置いてあったデキャンタを千鳥足で持ってきた。

それをゼフが素早く取り返す。

そして、フレンチのコックとは思えないほどぞんざいな手つきで、ゾロのグラスにそれを注いだ。

 

ゾロは、それを、ちょっとゼフに向けて持ち上げてから、一気に飲み干した。

 

─────…一気に飲み干すワインじゃねェんだけど、それ…

 

そんなことを思いながら、サンジは展開についていけず、ぼうっとゾロを眺めていた。

ワインを呷ったゾロは、空になったグラスをサンジの手に押し付ける。

強引にそれを持たされてサンジが戸惑っていると、ゼフが先刻と同じように無造作に、そのグラスにワインを注いだ。

 

え?え?とサンジが困惑しながらゼフを見てゾロを見て辺りを見回した。

みんな、じーっとサンジを見ている。

「飲め。」

ゾロがサンジの耳元に囁いた。

周りのみんなも小声で、「飲むんだサンちゃん!」とか「ぐーっといけ、ぐーっと!」とか口々に言っている。

サンジが目をぱちくりさせてもう一度ゼフを見る。

 

「…サンジ。」

ゼフに静かに名を呼ばれて、サンジはどきりとした。

ゼフが“チビナス”ではなく“サンジ”と呼ぶときは、いつだってとても大切なことをサンジに伝える時だった。

 

「男同士だなんだってのは今更だ。俺はてめェの覚悟をこの三年間一番よく見てきたつもりだ。それが今やっとてめェの手に戻ってきたんだ。大威張りで手に入れていいぞ。」

 

流れるように一息に言ったゼフの言葉に、サンジは絶句して目を丸くした。

呆然とゼフを見上げるサンジの脇腹を、ゾロがつつく。

促されたサンジは、あたふたしながら、

 

「っ…、ありがとうございます! オーナーゼフ!」

 

と、勢いよく返事をして、手の中のグラスを一気に飲み干した。

 

途端に、店内はやんやの大喝采になった。

 

「おめでとうサンちゃんー!!」

「よーし披露宴だ披露宴ー!!」

「酒だー酒持ってこいー!」

「オーナーももう座って飲めー!」

「うおおおおお、サンジさんんんーー!!」

 

盛り上がりは最高潮に達し、パーティー用に用意されたワインはあっという間に飲みつくされ、とてもフレンチレストランの店内とは思えない様相を呈した。

宴会はいつまでも続いたが、その間、ゾロは一度もサンジを膝の上から下ろさなかった。

それが恥ずかしくて、けれど幸せで、サンジもずっとゾロにくっついていた。

 

「ひさしぶりだな。ロロノア。」

不意に声をかけられ、見ると、いつの間にか青キジが傍に来ていた。

「…青キジ。」

少し驚いたようにゾロが言う。

その様子から、二人は面識があるらしい、とサンジは察した。

「お前にゃいろいろ煮え湯も飲まされたが、坊やの為にすっかり身奇麗にしたってのは本当のようだな。」

「…なんだって、てめェみてェのに筒抜けてやがるんだ。」

いかにも嫌そうにゾロが吐き捨てる。

それを青キジは鼻先でせせら笑う。

そしてふと、不安そうに見上げているサンジに目をやった。

「…心配しなくても無粋な真似はせんよ。」

そう言って、サンジの頭をぽんぽんと軽く叩く。

「残念なことに、こいつの悪事は、どれもこれも証拠がねェんだ。」

言外に、青キジにマークされるような悪事を働いていたことがあるのだ、と気がついて、サンジが一気に青ざめる。

「触るな。」

ゾロが乱暴に、サンジの頭の上の青キジの手を払った。

「お前も、んな顔で他の男を見るんじゃねェ。」

「帰国して早速悋気か、ロロノア。…だったら傍にいてやれ。もう独りにするんじゃない。」

「青キジさん…。」

サンジが驚く。

ゾロも瞠目して青キジを見る。

「てめェがいない間、この子は随分頑張ってたんだ。なぁ?」

ぽんぽんとまた頭を叩かれた。

今度はゾロはその手を払わなかった。

じわり、とサンジの目に涙が浮く。

「…青、キジさん…。」

思いもかけない青キジからの優しい言葉に、サンジは胸がいっぱいになった。

「ロロノアが帰ってきてよかったな。」

「…はい……っ…。」

もうゾロは面白くなさそうにそっぽを向いている。

その腕はしっかりサンジの腰を抱いたままだ。

 

「けど惜しい事したな。誕生パーティーが結婚披露宴に一転するとわかってりゃ、ウェディングドレスでもプレゼントしてやったのに。」

 

事もなげに青キジがそう言うので、サンジは思わず噎せそうになった。

「な、何を言って…」

「きゃあ〜ん♪キンパツくんのウェディングドレス見たぁい♪」

耳ざとく聞きつけたらしいフジコが酔った勢いで絡んでくる。

「青キジの旦那、抜け駆けはいけねェ。ドレスなら俺が買ってやるよ。なぁ?」

シャンクスが割り込む。

「サンジさん…サンジさんがドレス…。あァ、あんたにゃ似合いだ…似合いだが他の男のものになった証のドレスなんてえええええああああああ」

「ちょ…、ギン? 何で泣いてんの?」

「ドレス着るならうちのブライダルコースはいかが? ヘアメイクもセットでおつけするわ。」

ロビンまで参戦してきた。

ブライダルコース、という聞き慣れない単語を耳にして、ロビンさんの仕事ってなんだっけ、と首をかしげたサンジは、ロビンがエステティックサロンの経営者だということを思い出して泡を食った。

きっと絶対間違いなく、そのブライダルコースとやらはメンズエステなんかではないに違いない。

「ロビンさんまで何言ってるんですか!」

「この俺がサンジの為にウェディングケーキを焼いてやる事になろうとは…。」

「てめェまで何言ってんの、パティ。何しみじみしちゃってんの?」

ゾロに助けを求めようと見れば、ゾロはゾロで、エースやらナミやらになにやらしきりと耳打ちされてはそれを鬱陶しそうに、けれど以前のように冷たくではなくいなしている。

こんなところもゾロは変わったなぁ…と束の間サンジは感慨に耽ったが、自分は自分でドレスドレスと絡んでくるのを相手しなければならない。

「もうっ! 三年前ならともかく今の俺にドレスが似合うわけないだろ! 却下!!」

真っ赤な顔で声を張り上げると、何故かみんながぽかんとした顔でサンジを見た。

 

 

一瞬の沈黙を破ったのはゾロだった。

 

 

「お前、自分を知らないにも程があるぞ。確かにもう女子高生ってツラじゃねェが、三年前よりはるかに綺麗んなったぞ?」

 

「はあ?」

 

「ドレスならばっちり似合うぞ。俺が保証する。」

「いや、何言ってんだよ、ゾロ! 保証してくれなくていいよ! ここはお前は普通俺の味方をするもんじゃないの?」

「嘘はつけねェ。」

「何言ってんだよ!! 俺はもう身長170cm超えてんだよ! 女装なんかもう似合うわけないだろ!!」

「そういう事言うとロビンが泣くぞ。この女は180超えてんだぞ?」

「ロビンさんはどっから見てもお美しいレディだろうが!! 俺は毎日寸胴鍋抱えてんだよ! この腕見ろ!!」

「相変わらず白い肌だな。」

「肌見るんじゃねェよ! 筋肉見ろってんだよ!!」

「上腕二頭筋なら俺の方が太いぞ。」

「そうだけど! 確かに太いけど! 何でこんなにムキムキになっちゃったんだよ! 外国でドカタでもしてたのかよ!!」

「スモーカーの機材持って駆け回ってたからなァ。軽く100キロ以上あるんだ。」

「なんでスモーカーさんの荷物ゾロが持つんだよ。パシリだったのか?」

「いや、二人で分けて持って100キロずつだったんだ。」

「大変だったんだなあ…。ごめんな、帰国早々こんな騒ぎで…。」

「いや。楽しかった。お前に会えたしな。」

「ゾロ…………。」

 

「はーい、ストップストップお二人さん!!」

 

言い争っていたはずなのに、いつの間にかまたしても周囲を無視していいムードになりかけてしまったゾロとサンジの間に、今度はコーザが割って入った。

「そこから先は二人っきりでやってね。」

「つか当てられてやってらんないから、帰れ、もうお前ら。」

「はい、二名様お帰りー!」

「え? え?」

口調は乱暴だが温かな笑顔で、あれよあれよという間にゾロとサンジは追い立てられた。

「ちょ、ちょっと、俺、コックコートのまま…、」

サンジの抗議も聞き入れられず、二人は店から追い出される。

ぱたん、と背後で閉まったドアの向こうから、「よーし二人の前途を祝して朝まで飲むぞー!!」と鬨の声が聞こえた。

ぽかんとした顔でサンジがゾロを見上げると、ゾロもサンジを見ていて、ぷっと小さく吹き出した。

すると唐突にまたドアが開いて、中からサンジの着替えとバッグが放り出された。

その慌しさがおかしくて、サンジが腹を抱えて笑い出す。

すると、

「…気ィきかせてもらったから帰るか。」

と、不意にゾロが言った。

まだ笑いの残る顔で、え?と、サンジが振り返ると、ゾロは、バラティエの狭い階段を降りていくところだった。

「ゾ、ゾロ!」

思わずサンジが呼び止める。

ん?とゾロが振り返る。

振り返ったゾロは、サンジが不安そうな顔をしているのに気がついた。

「─────帰るんだろう?」

その言葉にサンジの心臓が音を立てる。

「ど、こに…?」

サンジの声はもう泣きそうだ。

ゾロが柔らかく笑いながら体ごと向き直る。

 

「俺は帰国したばかりで泊まるところもないんだけど、まさか一人でホテルとれとか言わないよな?」

 

優しい瞳でゾロらしからぬ窺うような言い様に、サンジがきゅっと眉根を寄せた。

「だ、から、も…、どーして、そういうっ…! “てめェんとこ行くぞ、おら”ぐらい言えよっ…!」

駆け寄って、ぎゅうっとゾロの腕を力いっぱい掴んだ。

ゾロが困ったように笑う。

目を潤ませ始めたサンジの耳元に唇を寄せる。

 

「………お前の中に入れてくれ。サンジ。」

 

息を呑んだサンジの顔が、見る見る赤くなる。

「そ、れじゃ、い、意味が違…っ…! このっ…エロ親父っ…!」

頬を赤く染め上げて睨みあげてくるサンジを見るゾロの目は、どこまでも優しい。

だからサンジも怒るに怒れなくなって、そのままゾロに抱きついた。

「お前の部屋に行ってもいいか…?」

 

「行くんじゃないよ、…帰る、んだよ…。ゾロ。」

 

恥ずかしそうに、それでもはっきりとサンジが言った。

ゾロが目を見開く。

 

「おかえりなさい…ゾロ。」

 

それはもう声にならず、囁きにしかならなかった。

だがゾロの耳にはしっかりと聞こえたようだ。

一瞬、ゾロはせつなげに目を細めて、サンジの体にふわりと腕を回した。

 

「ただいま。サンジ。」

 

ようやくお互いの魂が、お互いの還るべき場所に戻ってきたことを実感して、二人はいつまでも抱き合っていた。

 

2007/11/24

 

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