■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【25】

 

サンジの料理は、荒削りながらも好評に常連客に受け入れられた。

殊に、渾身のコンソメスープは、やや贔屓目ながらも絶品、とすら評価された。

もちろんゼフには「百年早い」と一蹴されたが。

パティはこの日の為に豪勢なバースデーケーキを作ってきてくれていて、それもとてもおいしかった。

 

このまま夜が更けて行くのかと思われたとき、からん、と、ドアベルの鳴る音がした。

 

反射的にドアに目をやったサンジは、次の瞬間、ひゅっと息を呑んだ。

ドアを開けて入ってくる、─────緑色の髪。

この三年間、ただの一度も心の中から去らなかったその色。

 

恋しくて恋しくて恋しくて、狂うかと思うほどに求め焦がれた、唯一の人。

 

会場が静まり返ったことにも気づかず、吸い込んだ息を吐く事も忘れて、サンジはただその姿を見つめていた。

入ってきた男が、すぐに自分を凝視しているサンジに目を留める。

一瞬、目を見開き、すぐにそれが柔らかな光で満たされる。

 

どくん。

 

サンジを見るその目は、優しく穏やかなのに、サンジの心臓は、それに不釣合いなほど大きな音を立てた。

 

───── ゾ ロ 。

 

囁くような声で、サンジがその名を呼んだ。

まるで、大きな声を出したら忽ちのうちにその姿が掻き消えてしまうのではないかとでも思っているかのような、微かな、吐息のような声で。

 

「ただいま。」

 

懐かしい、甘く包み込むような、低めのテノール。

 

その声を聞いた途端、サンジの心臓がぎゅうっと強い力で鷲掴みにされた。

もうだめだ。泣きそうだ。

それを必死で堪えて、

「おかえり、なさい…。」

と、サンジは笑顔で答えた。

ちゃんと笑顔になっていたかどうか、自信は全然なかったけれど。

するとゾロは、ゾロもまた、笑みなのか何なのかわからない表情をした。

「…19才の誕生日おめでとう。」

ぎゅうっとなっていた心臓に、じわぁっとその甘い声が沁み込んでいって、サンジは思わず自分の胸を押さえた。

そうしないと、何かが溢れてこぼれ出してしまいそうで。

「ありがと…。」

喘ぐようにそれを言うと、あとはもう言葉にならず、サンジは仕草だけでゾロをテーブルに促した。

他の客に対するように、丁寧なしぐさなど、もうできなかった。

 

いつもならゼフの怒声が飛んでくるところなのに、何故かそれはなかった。

ゾロは、自分が案内された席を見て、露骨に嫌そうな顔をした。

テーブルこそゾロ一人だったが、すぐ隣のテーブルにはエースとロビンが座っている。

反対側のテーブルはヒナだ。

「よーお、ゾロ、ひさしぶりー♪ なんだかすげぇおっさんくさくなったなぁ」

すっかりできあがってるエースの軽口を耳にして、サンジは小さく吹き出した。

 

確かにゾロは変わった。

受ける印象が全然違う。

以前は抜き身のナイフと対峙しているような危うさがあった。

皆、そこに惹かれたのだろうけれど、同時に、ゾロといる事は、常に刃を晒したナイフを肌に押し当てられているのと変わらない緊張感をも伴っていた。

今のゾロにはそれがない。

眼光はむしろ鋭さを増して、顔も精悍になった。

体つきは引き締まってずっとがっしりとして、マッチョというほどではないけれど筋肉質になった。

その体躯の上に、ダークグリーンのカーゴパンツに黒いブーツ、黒の革ジャン、という格好を纏っているから、それこそどこかの国の軍人のようにも見える。

それほどまでに素人離れした威圧感があるのに、以前のような不安感がない。

一言で言うなら、地に足がついているという印象なのだ。

しっかりと大地を踏みしめて前を見据えている男の目だ。

離れていた三年は、こんな風にゾロを変えたのか。

 

あの頃、確かゾロは24才とかそこらあたりだったから、三年たった今は、27才ぐらいのはずだ。

27才!

なるほどエースの言うとおり、おっさんだ。

でもエースだってそれほど変わらないはずなのに、ひどい。

 

席についたゾロが、ポケットからタバコを取り出す。

ソフトケースを揺すって、飛び出した一本を咥えて引き抜く。

ライターで火をつける。

 

その仕草に、サンジは思わず見惚れた。

 

ゾロがタバコを吸うところなんて、昔は何度も見たのに、今見たそれは、どきりとするほど男の色気を漂わせていた。

ぽーっと立ち尽くすサンジを、ゼフが後ろから突っついた。

さすがのゼフもこの状態のサンジを怒鳴るのは気が引けたのだろう。

怒鳴る代わりにサンジに耳打ちした。

「ぼうっとしてんじゃねェ。てめぇだってこの三年間、あの男の為に修行してきたもんがあんだろが。」

その言葉は、サンジを俄かに我に返らせた。

そうだ、自分はどうしてもゾロに食べさせてあげたいものがあったんだ。

慌ててカトラリーをセッティングして、厨房にとって返す。

 

今の自分が作れる、精一杯のコンソメスープ。

オーナーの作るそれには、足元にも及ばないけれど、サンジの持てる限りの全てを使って作ったスープ。

 

ブルーと金の縁取りのついた白いスープ皿に、サンジは注意深くスープを注ぎいれた。

ゾロは気に入ってくれるかな、おいしいって言ってくれるかな。そう思うだけで、心臓はばくばくする。

コックさんとしてあるまじき、かもしれないけれど。

 

緊張で震える唇を噛みながら、サンジはゾロの前にスープを持っていった。

ゾロが自分を見ているのがわかる。

手が震えそうになるのを必死でおさえて、サンジはゾロの前にスープ皿を置いた。

 

「ポタージュ・クレールでございます。」

 

その瞬間、ゾロが息を呑むのが聞こえた。

え、何かあったろうか、と慌てて見ると、何故かゾロは目を見開いて、今サンジがおいたスープを凝視している。

愕然、という面持ちでスープを見つめ続けるゾロに、サンジは不安になった。

どうしてこんなに驚いているんだろう。

何かまずいことやったかな。

ゾロ、コンソメ嫌いだったかな。

うろたえていると、ゾロが、スープスプーンを手にとって、そうっと、サンジの作ったコンソメを掬った。

サンジがどきりとするほど、真剣な眼差しだった。

ゆっくりとスプーンを口に運ぶ。

音を立てず、品良く飲み干して─────ゾロは一体いつのまに、こんな洗練された仕草を身につけたのだろう…?─────、小さく息をついた。

「…は……、」

何故かそのまま、軽く目頭を押さえる。

「は…はは……」

小さく笑い出した。

サンジがぎょっとしてゾロを見つめる。

おかしくておかしくてたまらない、という風に、ゾロは喉を震わせて低く笑い続ける。

そして、

「な、んだ…。こんな、とこに…あった…………………」

と言うなり、両手で顔を覆ってしまった。

周りの客たちが、ゾロのその異様な様子に顔を見合わせる。

サンジはわけがわからずおろおろしている。

ゼフもそれに気づいて厨房から出てこようとしている。

「あの…ゾロ…、どうし、たんだ…?」

おそるおそるサンジが聞くと、ようやっとゾロが顔から手をはなした。

驚いたことに、その瞳はなんとはなしに潤んで見える。

「ゾロ…?」

「ああ、悪い…。」

小さく詫びて、ゾロは傍らに置いたブリーフケースから、大きな封筒を取り出した。

前にゾロが、コラムの載ったグラフ誌を入れていたのと同じ位の大きさの封筒だった。

だからサンジは、すぐに、またゾロのコラムの載った雑誌を見せてくれるのだろうか、と思った。

だが、ゾロにその封筒を手渡されたサンジは、封筒が雑誌ほどの厚みも重さもないことに気がついた。

中身をゾロに目で問うと、

「お前にやる。」

と、返事が返ってきた。

誕生日プレゼントって事だろうか…? と、小首を傾げながら、サンジは、トレイを脇に抱えて、封筒の中身を取り出した。

 

 

一目見て、サンジは目を見張る。

 

 

 

それは美しい海の写真だった。

 

 

けれど、蒼くない。

朝日を受けて、その水面はきらきらと金色に輝いている。

 

どこかで見たような、懐かしいような、金色。

 

その柔らかに目映い金色に、サンジは目を奪われた。

 

それがスモーカーの写真だということにはすぐ気がついた。

さすがに毎月毎月、目に焼きつくほどに見てきたせいで、サンジは、写真からスモーカー独特の色を読み取れるようになっていた。

たくさんの写真が溢れているグラフ誌の中で、スモーカーの写真だけは不思議と見分けられるのだ。

 

逆を言えば、それだけスモーカーというフォトグラファーの作品は、特異な雰囲気を醸し出しているのだが、そしてそれは業界では有名なことで、だからこそスモーカーの名はコーナーや雑誌の表紙に冠しても充分に集客力を持つものではあったが、その業界にあまり詳しくないサンジはその事を知らなかった。

 

写真を見たサンジの目は、反射的に、写真の隅にゾロのコラムを探していた。

もう、すっかりそういう癖がついていた。

 

金色の海の中に沈むように、ゾロのコラムは添えられていた。

海の輝きを、そのまま写し取ったような流麗な文章。

ともすれば傲慢に見えるほど尊大で大胆な文体なのに、読み手がどうとでもとれる抽象的な表現がちりばめられているせいで、それはやけに繊細で艶っぽい。

ゾロのコラムはその特徴をはっきりと確立するようになっていた。

不遜なくせに、深い余韻に包まれた、不思議な文体。

 

それは、金色の海にせつないまでの想いを馳せていた。

 

海から生まれ、零れ落ちた命。

命は海を知らずに育っていくのに、どうしようもなく海を恋うるのだ。

 

還りたい

還りたい

還りたい

 

何度も何度も繰り返し、それは金色の海を求め続ける。

 

次第にその餓えは狂気を孕んでいく。

 

それでもそれは求める事をやめない。

 

還りたい

還りたい

還りたい

 

自分が何者なのかも、何故還りたいのかも、何もかもわからなくなっても尚、それは訴え続ける。

 

飢えと渇きと狂気に苛まれ、妄執の怨念の塊と成り果てたそれは、ついに金色の海に辿りつく。

 

そして海は、その孤独な命をただ黙って包み込むのだ。

強きも弱きも、老いも若きも、葛藤も逡巡も、苦悩も悔恨も、傲慢も痛みも、安らぎも希望も、喜びも、慈しみも、愛も。

何もかもを拒まず、何もかもを併せ呑んで、ただ包み込む。

 

海はどこまでも金色に透き通り、目映いまでに輝き、そして深く蒼い。

 

金色に輝きながら、全てを内包する──────命のスープ。

 

 

─────え

 

 

とくん、とサンジの鼓動が跳ねる。

 

金色に輝く命のスープ。

…それはまるで、──────たった今サンジがゾロに出した、コンソメスープのようだ。

 

 

 

「この写真を撮るために…帰国が遅くなった。」

ゾロが口を開く。

サンジが視線を写真からゾロに移すと、ゾロは、どこか眩しそうにサンジを見ていた。

懐かしむような、愛しむような、優しい目。

「何度も何度もスモーカーにイメージを伝えて、この文も何度も書き直して、この風景を持つ場所を、地球上探しまくって…、やっと出来上がった一枚だ。これが仕上がったら、お前のところに還れると思って…。」

 

ああ、金色の海に還りたかったのは、ゾロ自身なのか…と、サンジはぼんやりとそう思った。

 

何だかいろいろなもので頭の中が溢れかえっていて、どこから先に考えればいいのか、わからなくなっていた。

 

「あ、のな、ゾロ…。」

混乱したまま、サンジはゾロの名を呼んだ。

「俺も…、俺もな、ずっと、このスープをゾロに飲ませてやりたくて…。ゾロの部屋を出る前から、ずっと、飲ませてやりたくて…、ゾロの為に作りたくて…、俺、三年間ずっと…、ずっと、このスープ…、だから…、」

しどろもどろになりながら、要領を得ない言葉を繰り返すサンジに、ゾロがちょっと片眉を上げる。

「お前が作ったのか、このスープ。」

静かに聞かれて、サンジは勢い良く何回も頷いた。

するとゾロは、スプーンを手にして、コンソメをまたゆっくりと大切そうに飲み始めた。

「あのな、ほんとは、俺はまだまだ全然で、ジ、ジジィのコンソメはほんとにスゲェうめェんだ。おれ、俺の、目標なんだ。いつか、超えてやるって…。でも、まだ全然で、肉も野菜も、俺、たくさん失敗して、いっぱいだめにして、こんだけのスープ作るのにものすごいたくさんの肉とか、骨とか野菜とか、使うんだ。そんで仕込みに何日もかけるんだ。俺、何回も失敗して、たくさん怒られて、でも、今日のは、今の俺が作れる、一番、最高の、スープなんだ。まだまだだけど、でも、俺の、一番っ…、」

もはやサンジが自分でも何を話しているのかわからなくなってきた頃、ゾロが最後のひとさじを飲み終えた。

「旨かった。」

今まで一度も言われたことのないその言葉がゾロの口から零れたのを聞いて、サンジは息を呑んだ。

「ほ、ほん、とに…?」

「ああ。」

ゾロの口調はどこまでも穏やかだ。

 

「…金色に輝く命のスープ…。」

 

ゾロが小さく呟く。

 

 

 

「……俺達は…この三年間同じものを追っていたんだな…。」

 

 

 

 

もう、だめだった。

 

「─────ゾロ………っ………!」

もう、耐えられなかった。

ゾロのその言葉を聞いた瞬間、サンジの中で何かが決壊した。

サンジの両目からみるみるうちに涙が溢れ出す。

「サンジ…。」

後先考えずにゾロに抱きついた。

脇に挟んでいたステンレスのトレイが床に滑り落ちて、けたたましい音を立てる。

それよりももっともっと大きな声を上げて、サンジは号泣していた。

うわああああん、とそれこそ子供のように。

「おれ、おれ、ずっと、ゾロ、会い…っ…、ずっとっ…、会いたくて会いたくてっ…! でも帰ってきてくれなかっ…!」

わんわん泣きながら、サンジはゾロに訴える。

寂しかったと。

寂しくて恋しくてたまらなかったと。

「ゾロのバカ野郎っ…! おれ、ずっと待っ…待ってた、のにっ…! ゾロのバカっ…!!」

座ったままのゾロに全身を預けて、渾身の力で縋りついて、サンジは号泣する。

「ぃち、いちねんで、かえってく…って、った、のに…、帰っ、こなっ…、」

嗚咽としゃくりあげで、喋りはどんどんおぼつかなくなる。

それでもサンジはゾロに出ない声で訴え続けた。

ゾロがサンジの体を両腕で抱き込む。

「…悪い…。すまなかった、サンジ…。俺も会いたかった。ずっと。」

ゾロの手がサンジの頭を優しく撫ぜる。

するとサンジはますます泣いて、ゾロにぎゅうぎゅうとしがみついた。

「もうっ…、もう、ゾロなんかっ…ゾロなんかっ…!」

 

ゾロなんか大嫌いだ─────とは、口には出来なかった。

だって、嫌いだなんて嘘だ。

大好きだ。

大好きで大好きで大好きで、大好きだ。

気が狂うかと思うほどに…、

 

「─────愛してる。」

 

それはサンジの口から零れたものではなかった。

耳元に甘くじんわりとした余韻が残っていて、サンジが、一瞬、え、と目を瞬かせる。

 

「愛してる。サンジ。」

吐息交じりの甘い甘い深い声で、もう一度、囁かれた。

耳に、ゾロの唇が触れているのがわかる。

愛してる、とその唇が声に出さず動いて、サンジの耳たぶを軽く食んだ。

 

びくん!とサンジの全身が、雷に打たれたように硬直する。

 

その体を今度はゾロが、強く強く抱きしめた。

息が止まってしまうかと思うほど、強く。

2007/11/24

 

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