■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫
【23】
三月の初めは、暦の上では春だけれど、まだ寒い日も続いたり、ふわっと暖かい日があったりだ。
ふわっと暖かくなると、いろいろな植物が芽吹く。
冬の寒さの中を、地面の中や雪の下で眠っていた植物が、一斉に目覚める。
あの、なんともいえない春のふわりとした優しさを、なんとか料理で出せないかなァ、とサンジは思案していた。
自分の誕生日にお客様に出す料理の方向性は、大体決まった。
無理がなく、今の自分を精一杯出すために、献立は、スープ、サラダ、メイン、パンかライス、デザート、コーヒーか紅茶。
でも、みんなお酒を召し上がるだろうから、もしかしたらコーヒーとかは必要がないかもしれない。
だいたいランチの時と同じような組み立てだ。
今の自分では、2〜30人分のコースを一度に同時に出すのは、恐らく無理だろう。
だから、ランチ形式。
スープは
まだまだゼフのそれには及ばないけれど、でも、自分が一番お客様にお出ししたいものといったらやっぱりそれだ。
サラダは、春らしくミモザにしようか、それとも、ラディッシュとセロリで鮮やかに仕上げようか。
メインは魚にしたい。こないだ試作した鰆か鯛。サザエやホタルイカを使っても面白いかもしれない。
ポワレかパイ包みかカルパッチョか、思い切って海鮮パスタもいいかもしれない。
辛口で仕上げればワインにもよく合うだろう。
デザートはどうしよう。桃の節句が近いからピーチフィズでゼリーを作ってみようか。それとも、甘酒をレアチーズケーキ風に仕上げてみようか。
いろいろ思いは尽きない。
けれど、何か今ひとつ決め手に欠けていて、サンジは悩んでいた。
なんか、もっとこう、ああ春なんだ、とお客様の心をふわっと温かくさせる食材はないものだろうか。
「何うんうん唸ってやがる、チビナス。便秘か?」
あまりにサンジが悩んでいるのを見て、ゼフがからかった。
「誰が糞詰まりだよ。俺は毎日快便だっつーの、クソジジィ。」
サンジが即座に言い返す。
「……おいおい、客がいるのにコックがそんな会話すんなよぉー。」
カウンターからげんなりした声がした。
ゼフが声の主を冷ややかに横目で見る。
「アイドルタイムにわざわざやってきて只飯食らってる奴を客とは言わん。」
ゼフの視線の先では、シャンクスがいかにも嫌そうな顔でカウンター席に座っている。
さらにその横には、外回り営業で昼食を食いっぱぐれたからなんか食わせてくれ、とやってきたコーザが座っている。
「だって俺はサンちゃんの試作品目当てなんだもーん。」
悪びれもせずそう言うシャンクスに、ゼフはさも忌々しげに舌打ちした。
もちろんシャンクスは全く堪えない。
コーザに至ってはゼフとシャンクスの会話など耳に入らない様子で、サンジの作った試食をがっついている。
「うお、サンジ、これも旨いぜ!」
「サンキュ。こっちのはどうだ? 桜海老と白魚のフリート。」
「お。こりゃまた酒のつまみになりそうな。」
サンジが試作品の皿をシャンクスとゼフの前にも置く。
「バジルソースか? …いや、」
一瞥してゼフがそう呟く。
どれどれ、とシャンクスもフォークを伸ばす。
「お、こりゃあ。」
「…青海苔か。」
「おお、和風。」
食べる三人を、サンジはカウンターの中から緊張の面持ちで見つめる。
「ふわっふわでさくっさくだな。旨い!」
すぐに賞賛の言葉を口にしたのはコーザ。
「ピンクで可愛いよね。春らしい。」
シャンクスも追従する。
「…だがこれは前菜だな。メイン向きじゃあねェ。」
当然の如くゼフが苦言を呈する。
コーザとシャンクスの言葉を聞いて微笑んでいたサンジが、ゼフの言葉で、へにょんと眉を下げた。
「そうだよなー。メインには弱いとは思ってたんだ。」
「だが着眼点はおもしれェ。青海苔のソースとかな。」
「青ジソ、とも考えたんだけど。」
「青ジソなら爽やかな酸味が出るな。花みてぇに盛り付けてあんのは“春”を演出か?」
「うん。でもいまいち決め手に欠けてて…。もうっとこう…、ふわっとした感じにならないかと思うんだけど。」
眉間に皺を寄せてひとりごちるサンジを見て、シャンクスが首を傾げる。
「ふわっと?」
「うん。なんつか、こう、…ああ春なんだなー、みたいな、ふわっと。」
「なーるほど。試行錯誤しちゃってんのね。」
「うん。」
それを聞いて、ゼフも腕組みをする。
「春っつったら、食材はたんとあるじゃねぇか。菜の花、春菊、白菜、キャベツ、たまねぎ、ふきのとう、さやえんどう。」
「んー。ありすぎて搾りきれてねェのかな、俺…。」
そのとき、ふとコーザが口を開いた。
「あ、じゃあさ、今度の日曜、俺と一緒に南房総いかねェ?」
「え?」
サンジがきょとんとした顔でコーザを見る。
「今週の日曜、彼女と南房総行く予定なんだけどさ、一緒に行ってみねェ? 春先取りつったら、千葉だろ。なんか見つかるかもよ?」
「な…に言ってんだよ、コーザ! そりゃてめェ、デートだろ? デートに他人連れてってどうすんだ!!」
途端にサンジが目を剥いて怒り出す。
「だーいじょぶだよ。そんな事で怒るような子じゃねェもん。」
「そういう問題じゃねェよ! レディにとってデートってのはなあっ!!」
このごろ過激なほどのフェミニストに育ちつつあるサンジは、レディが蔑ろにされそうな事態にはめっぽう厳しい。
コーザに向かって滔々と、レディにとってのデートとは、を一節ぶち始めたので、その剣幕の凄さにおされて、その話は一旦そこで立ち消えとなった。
ところが翌日、ランチ開始時間直前に早々と現れたコーザは、なんと隣に水色のロングヘアの可愛い女性を伴っていた。
「俺の彼女のビビ」と、コーザに紹介された女性は、言っちゃなんだが若いくせにちょい強面なコーザには勿体無いほどの楚々としたご令嬢だった。
「ちょ、おま、まじで!?」
サンジはひとしきり「信じられない」とか「美女と野獣なのか」とか大仰に嘆いてから、ゼフにどつかれて、二人を席に案内した。
ランチ開始早々ということもあり、他に客はいない。
それをいいことに、コーザと彼女のオーダーを通したあとも、サンジが何だかんだと二人を構っていると、コーザが「サンジ、あのさ、」と切り出した。
「昨日の話なんだけど、やっぱ一緒に行かねェ? 南房総。」
「まだ言ってんのかよ。いい加減にしろよ。ビビちゃんにも失礼だぞ。」
「そんな、失礼だなんてとんでもない!」
言葉を継いだのはビビだった。
「あの、あの、実は、私の友達も一緒なんです。だからぜひ、サンジさんも行きませんか?」
たおやかな笑みでそう言われ、サンジは一瞬やに下がったが、言われたセリフを理解するなり、きゅっと眉根を寄せてコーザを見た。
「コーザ、てめぇまさか…、」
底冷えのするような蒼い目で睥睨されて、コーザは慌てて首を振った。
「ち、違う違う! 女紹介しようなんて思ってねぇよ! 向こうも彼氏持ちの女だから!ほんと!」
大慌てで弁解するコーザを、サンジは疑わしそうな目で冷ややかに見つめる。
常連客の中でもサンジと歳の近いコーザは、いつまでもゾロを想っているサンジを時折からかって、女を紹介しようかと軽口を叩いたことがあるのだ。
今回もそのつもりか、とサンジが疑い、それを察したコーザが大汗で否定する。
それを、何も知らないビビはきょとんとしたあどけない瞳で見つめていた。
□ □ □
日曜日。
結局南房総行きを承諾させられたサンジは、しぶしぶ半分、わくわく半分という心境でこの日を迎えた。
展開になんとなく納得はいかなくても、遠出そのものはやはり少し、いやかなり心が躍るのだ。
「あ、れ…?」
ビビの親友だという少女の顔を見て、サンジは目を瞬いた。
「ひさしぶり、サンジくん。覚えてる?」
鮮やかなオレンジの髪の少女。
そうだ、確か、ゾロのダチの…、ルフィの彼女だ。
ほとんど話したことはなかったけれど、ゾロに飲みに連れて行かれたときなど、よく店で顔を合わせたりした。
ルフィはゾロと親しげにしていたけれど、この子はゾロを嫌っていたらしく、いつ会っても露骨に嫌そうな顔を隠しもしなかった。
それでも、サンジに対してはちょくちょく挨拶をしてくれていたのだ。
「えっと、ナミ…さん?」
「うれしー♪ 覚えててくれたんだ。」
屈託のない笑み。
あの頃は二つ三つ年上なのかと思っていたが、こうして見ると、年下のようにも思える。
女性は魔物だ。いったいいくつなんだろう。女性に歳を尋ねるわけにはいかないから聞かないけど。
「お二人ともお知り合いだったんですか?」
ビビがサンジとナミの顔を交互に見て小首をかしげる。
「うん。ルフィの友達の友達、ってとこ。よね?」
ナミがサンジを見てウィンクする。
さすがに“ルフィの友達(♂)の恋人(♂)”とはレディの前では言いにくく、サンジもナミの言葉に乗っかって後は笑みでごまかした。
それから、ひとしきり挨拶などしたあと、サンジ達はコーザに促されて車に乗り込んだ。
「あれ…?」
当然コーザの隣、つまり助手席に座るのだろうと思っていたビビが、後部座席にナミと並んで座っている。
ナミは一瞬物言いたげな視線を隣に投げ、コーザはミラー越しにじっとビビを見つめている。
喧嘩でもしちゃったのかな、と思いながら、サンジは助手席に座った。
車は首都高からアクアラインに入って、館山道を南下していく。
途中のサービスエリアで何度かトイレ休憩を取った。
サンジにとっては貴重な喫煙タイムでもある。
灰皿の前に陣取って心ゆくまで紫煙に浸っていると、売店でチープなアクセサリーを手に取っているナミとビビが見えた。
二人は千葉県限定グッズにご執心のようで、ビビは潮干狩りキティちゃんと菜の花キティちゃんのストラップを顔の前に掲げて真剣に悩んでいるし、ナミは落花生リラックマのねつけに大喜びしている。
そこにフランクフルトを買ったコーザが通りかかり、ビビに何言か茶々を入れた。
ビビは笑いながら振り返り、手に持った二種類のキティストラップをコーザに見せる。
小首を傾げているのは、「どっちがいい?」と聞いているのだろうか。
するとコーザは、ビビの手から二つとも取り上げて、代わりに、持っていたフランクフルトをビビに渡して、レジに向かう。
二つとも買ってあげよう、ってなとこか。
なかなか気前がいい。
それに、こうして見ていると二人はラブラブ仲睦まじく、ケンカしているようではない。
なのに車に戻ると、やっぱり助手席ではなく後部座席に座るのだ。
単純に親友とおしゃべりしたいからなのか、それとも…、
─────もしかして、俺に気を使ってたりとかすんのかなァ…。
だったら悪いことしたな、とサンジは思った。
「違う違う。サンジくんは全然悪くないのよ。」
ナミがそう言ってくれたのは、南房総に着いたときだった。
南房総はまさしく春真っ盛りだった。
一面の菜の花畑。
サンジは広大な黄色い絨毯に圧倒された。
とにかく南房総はあきれるほど花だらけだった。
来る途中の道路も両脇がずらっとピンクや紫の花で埋め尽くされていた。
気温はまだ少し肌寒くて、コートを着ている人もいるというのに、地上はアホほど花まみれ。花だらけ。
サンジですら心が沸き立ったのだ。
レディ二人は言わずもがなだった。
きゃいきゃいとはしゃぎながら、ナミとビビは花を摘んだり写真を撮ったりしていた。
サンジもひとしきりはしゃいだあと、畑に隣接したビニールハウスへ。
ハウスの脇には灰皿が設置してあって、サンジの束の間のパラダイスタイムなのだ。
畑を管理しているおっさん達に混ざってタバコを吸っていると、そこにナミがやってきた。
「あれ、ナミさんどうしたの?」
「んーん、ちょっと気を利かせてみた♪」
ウィンクしながら指す方を見ると、なるほど花に囲まれてビビとコーザがなんだかいい雰囲気だ。
それを見て、サンジはさっきから気になっていたことをナミに聞いた。
するとナミは、サンジ君は何も悪くないよ、と教えてくれた上でこう言った。
「ビビが一方的にコーザに対して罪悪感持っちゃってて、勝手に気まずくなってんのよ。」
「え、なんで?」
「自分のせいでコーザを転職させることになっちゃったからねー。」
「転職?」
初耳だ。
というより、サンジはコーザの仕事についてほとんど何も知らない。
営業で外回りをしている、ということくらいだ。
そこはやはり、サンジとコーザの間には、店員とお客様、という垣根がある。
「アラバスタって、あるでしょ?」
唐突にナミが言った。
「アラバスタ製菓? チョコレート会社の?」
「製菓とか、アラバスタ乳業とか、アラバスタ製薬とか、アラバスタレストランとかの、アラバスタ。」
「うん。」
誰でも知ってるくらいの有名企業だ。
「ビビ、そこのお嬢様。」
「えええっ!?」
思わず叫んだ声が裏返る。
「え、えっと、じゃあ、ネフェルタリ…さん?」
「そう。ネフェルタリ・ビビ。」
企業も有名なら、社長の名前ももちろん有名だ。
「すっげぇ…、コーザ、逆玉かぁー…、あ、それとももしかしてコーザも実はすげぇ御曹司だったりすんの?」
「ううん。コーザんちは普通の一般家庭。ビビとは幼馴染なのよ。」
「へえええー。」
幼馴染かぁ。なんかいいな。とサンジは感心しながら思った。
「ビビね、ほんとは別の人と結婚が決まってたの。」
「えええっ!?」
またまたどびっくりだ。
「いわゆる政略結婚てやつね。結婚相手とは会ったこともないって言ってたから。」
こともなげに言われた台詞に、サンジが息を呑む。
会ったこともない相手と結婚。
漫画やドラマではよく見たりするけれど。
「それをコーザがね、横から掻っ攫ったの。」
「うおおっ、コーザ、漢だな!」
思わず手を叩くサンジ。
「でもほら、そうなると、口さがない連中は言いたいこと言う訳よ。」
「あー、なんとなくわかった。財産目当て、とかか。」
「そうそう。」
ほんとに漫画かドラマの世界だ。
「それで、コーザは、社長令嬢の婚約者って鳴り物入りでビビのお父さんの会社に転職したんだけど、そんなわけだから風当たりもきつくて、コーザ自身はそれでも頑張ってるようなんだけど、それを見てるビビの方がね、どうもコーザに対して負い目みたいの持っちゃったらしくて、このところ、ちょっとギクシャクしてたみたいなのよね、あの二人。」
ああ、なるほど。それでデートにわざわざ友人を誘ったわけか。
ふー、と、サンジは煙を吐き出す。
「でもそりゃあ、コーザが情けねぇよなぁ。」
「え?」
怪訝そうに首を傾げるナミに、サンジがにやりと笑う。
「惚れた女にそんな心配かけちゃあいけねぇよ。“大丈夫だ。俺を信じろ。”くらい言わねぇと。」
「なァ、コーザ?」
だしぬけにサンジが横を向いた。
ナミがぎょっとして同じ方向を振り向く。
そこには苦笑いしたコーザが立っていた。
コーザの後ろにはビビも立っている。
コーザは、ニヤニヤ笑うサンジの顔を見て、困ったように笑いながらため息をつくと、傍らのビビに視線を落とした。
「ビビ。」
呼ばれて、ビビがコーザを振り仰ぐ。
「俺はお前に巻き込まれたんじゃない。お前を選び取ったんだ。俺に負い目なんて感じないでくれ。お前さえいてくれれば、俺はいくらでも強くなれる。“大丈夫だ。俺を信じてくれ。”」
「コーザ…。」
ビビの目が涙で潤む。
それを恥らうかのように、ビビがコーザの胸に飛び込んだ。
コーザがその小さな肩を強く抱きしめる。
二人を祝福するかのように、満開の花々が風で揺れていた。
□ □ □
「そんでビビちゃんがコーザに抱きついたら、周りにいた畑の管理のおっさん達が一斉に拍手しちゃってさー、」
南房総を満喫して帰ってきたサンジは、ゼフに、ただいまを言う間も惜しんで道中の模様を語りまくっている。
「楽しかったようだな。」
ゼフが穏やかな顔でそれを聞いている。
「すっげぇ楽しかった。もー、ビビちゃんは可愛いし、ナミさんはお美しいし、これってなんてゆうパラダイス天国?みたいな?」
パラダイスも天国も同じ意味だ、とゼフは思ったが、そこは突っ込まないでおいてやる。
「で、これがそこで買った
サンジがお土産袋の中から透明のプラパックを取り出す。
中にはオレンジ、黄色、紫、ピンク、青、といった色とりどりの花が入っている。
「綺麗だろ?」
「色は確かに綺麗だが、エディブル・フラワーってな、“食える”っつーだけで、はっきり言って味は二の次だぞ? せいぜいサラダに入れるくらいしかできねぇのに苦味やえぐみがあるし、火を通せば色が褪せちまう。」
ゼフが呆れたように言うのを見て、サンジは、ふふふん、と得意そうに鼻を鳴らした。
「実は食用花農家さんも同じ事言ってた。葉牡丹てあるだろ? あれ、キャベツの仲間なんだってな。でも食うとすげぇまずいらしい。見た目を追及して品種改良すると味は二の次になる。でも味を追求すれば見た目にこだわっていられない。って。」
そこでサンジはちょっと言葉を切って、
「でもな、」
と続けた。
「俺らが行った食用花農家さんは、“自分達は見た目も味も追求したいんです”って言ってたんだ。30代くらいの若い農家さんだったんだよ。で、きれいでおいしい花を作りたくて頑張ってたんだ。えぐみや苦味をを抑えて、調理しても退色しないように、ってそりゃあ一生懸命で、俺ちょっと感動してさあ。んで買ってきたの。これ。」
「なるほど。」
ほう、とゼフが感心したように相槌を打った。
「花の料理も食わせてもらったぜ? てんぷらとかケーキとか。」
言いながら、花のジャムと思しき小瓶なども出してくる。
「南房総、ほんっと花だらけ。桜も咲いてたんだぜ? ええと、元朝桜っていったかな。綺麗だったー。」
ここ最近のサンジの鬱屈を払うには充分な一日だったであろうことはサンジを見ていればよくわかる。
「あとな、南房総に料理の神様祭った神社あった。コーザが教えてくれたんだ。」
「ああ、それはなんか聞いたことがあるな。俺も行った事ァねぇが。」
そもそもが日本人ではないゼフは、日本滞在歴が長いとはいってもさすがに神社仏閣までは詳しくない。
「日本で唯一ここだけなんだって、料理の神様祭ってる神社。包丁塚とかあったぜ。茅葺きの神社なの。んで、いっぱい絵馬も下がってて、いろんな料理人のいろんな願い事、いっぱいあった。」
「お前はなんか書いてきたのか?」
ゼフが聞くと、サンジは照れたように、えへへ、と笑う。
「絵馬には書かなかったけど、お賽銭投げてお参りしてきた。」
何を、とは言わなかったが、ゼフにはなんとなくわかった。
「ついでにこれも買ってきた!」
足元に置いていた、大仰な箱をテーブルの上に置く。
中から現れたのは白磁の瓶。
これまた大仰に封緘してある。
一瞬日本酒かと思ったゼフだったが、そこに千葉の大手醤油メーカーの刻印を見つけて、思わず唸った。
「醤油か、これ。」
「正解。」
市販の醤油とは一線を画す、完全に遮光された滑らかな白磁の500ml瓶。
「いくらした、こいつ。」
「…1,800円。」
「そらまた剛毅だな。」
500ml、1800円の醤油。
「後でこれで冷奴食おうぜ、ジジィ。」
得意そうにサンジが笑った。
「それからぁー、」
更にサンジは土産袋の中に手を突っ込む。
いったい今日一日でいくら使ってきたのだ、こいつは。
一応出掛けに少々小遣いを渡してはやったが。
「お前、コーザにはちゃんとガソリン代渡してきたんだろうな。」
車で外出したときは車を出してくれた友人にはガソリン代を出すものだ、と、ゼフは言い含めてあった。
もはやすっかりサンジの父親と化しているゼフである。
「出すっつったんだけど、コーザがいいって言うから、んじゃ食事代出させてくれっつって、そうするとガソリン代より高くつくからっつうから、結局女の子たちの食事代を俺らで折半した。」
「女性の食事代なんつーものはそもそも男が払って当たり前だ。」
「だよなー。」
「しかたねぇ。今度コーザと彼女を店に呼べ。そん時のコース代はチャラだ。」
「うお、ジジィ、さんきゅー!」
「今日一緒だったもう一人の友達もいいぞ。」
「うおお、らっきー!」
どう見ても過保護すぎるがそれはさておき。
「んで、これ、ジジィに土産だ。」
ぽん、と手渡されたものを見て、ゼフの目が点になる。
「……なんだ、こりゃあ…。」
「ん? 千葉限定まめもっこり。」
落花生をかたどったと思しき代物になんともいえないニヤニヤ笑いの顔が描いてあるキーホルダーだ。
黄色いジャージのようなものを着た股間は、何故かもっこりしている。
「俺にこれをどうしろってんだ…。」
「店の鍵下げんのに丁度いいかと思って。」
「……………下げるのか。これに。店の鍵を。」
思わずぼやくゼフにも、サンジは頓着しない。
「それと別の“落花生もっこり”っつーのもあったんだよ。同じ落花生のもっこりなのにちょっと違うの。ほんとはあっちが本家まりもっこりの奴だと思うんだけど、そっちはキーホルダーがなかったんだ。だから、こっちで。」
何があっちでこっちでそっちなのかさっぱりわからない。
「まりもっこり、ってな何だ…?」
「ん? もっこりしたまりも。」
もっこりしたまりも。
そりゃお前の彼氏だろう。と思わず口走りそうになって、ゼフは慌てて言葉を呑んだ。
なにはともあれ、サンジの南房総の一日はとかく充実してはいたようだ。
2008/10/02
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