■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【22】

 

「チビナス。その辛気くせェツラぁ、どうにかしろ。」

唸るような声と共に、脳天に拳骨をごん、と落とされて、厨房の隅で大量のジャガイモと格闘していたサンジは、

「痛ェッ!」

と悲鳴を上げた。

「何しやがんだ、クソジジィ!人がどんな顔して芋の皮剥こうが勝手だろうが!」

「さえずるんじゃねぇ、青二才が。客の前でそんな顔しやがったら、三枚におろして天日で干すぞ。」

アジの開きか、俺は! という口答えをサンジが言う暇を与えず、ゼフは小銭入れを掴んで足早に店を出ていった。

ゼフはサンジと違ってタバコを吸わないから、一服タイムではなく、たぶん『格闘技通信』か『勝馬』でも買いに行ったのだろう。

パタン、と閉まったドアに目をやりながら、サンジは、はァ…、とため息をついた。

手に持ったジャガイモと包丁を置いてから、両手で、ぱん、と思いっきり自分の頬を叩く。

ゼフには威勢のいい口答えをしたが、実のところ、今日の自分がどれだけダメダメかなんて、サンジ自身が一番よく分かっていた。

いや、今日だけでなく、このところのサンジはずっとこんなんなのだ。

しかも日に日に酷くなる。

原因は、言うまでもなくあのゾロのコラムが掲載されているグラフ誌にあった。

先月、試験に合格した自分へのご褒美に、と心を躍らせながらページをめくったサンジは、その雑誌のどこにも目当てのページがない事に狼狽した。

見落としたかと何回も何回もページを繰り直し、1ページ1ページ丹念に見て、最後に目次のページに目を通して、そのどこにもスモーカーのコーナータイトルがない事を確認して、そしてようやくサンジはそのページがない事を理解した。

 

頭が真っ白になった。

 

何かの間違いだ。

そうだ、例えば、ゾロ達もお正月休みをとったのかもしれない。

それで今回だけお休みで…

きっと次号にはまた何事もなく載るに違いない。

きっとそうだ。

 

何度も何度も自分に言い聞かせながら一日千秋の思いで次の発売日を待った。

そして、やっと最新号が出たのが三日前。

きっとある、と痛いほど願いながら開いた雑誌の中にスモーカーのコーナーはやはりなく、サンジは茫然自失のあまり、その場に座り込んでしまった。

 

どうして…?

どうしたんだろう?

もうスモーカーさんのコーナーは終わってしまったんだろうか。

それならゾロは?

もう帰ってくるのか?

まだ帰ってこないのか?

帰って来てるのならどこに?

 

ゾロが以前住んでいたアパートはもう解約してしまった。

ゾロが帰る「家」はないのだ。

 

不安にかられ、居ても立ってもいられなかったサンジは、グラフ誌の裏表紙に記載されていた編集部の電話番号にかけてみる事にした。

ヒナに代わってもらいさえすれば、きっとゾロの事を教えてもらえるに違いないと思ったからだ。

ところが、案に相違して電話はヒナに繋がらなかった。

編集部にはもちろん繋がる。

だが、ヒナは不在だと取り次いでもらえないのだ。

時間をおいてかけ直してみても、やはり不在だと言われ、折り返し連絡をと頼んでもかかってこない。

そんなこんなで万策尽き果てたサンジは、だから、この世の終わりのような顔をして芋の皮を剥いていたのだ。

芋の皮剥きひとつですら、一片たりとも愛を欠いてはいけない、と骨身に叩き込んでいたはずだったのに。

 

 

□ □ □

 

 

そんなサンジの状態をどう思ったのか、ある日ゼフが唐突に言い出した。

 

「3月2日はてめぇの誕生日パーティーするからな。」

 

てっきり、またいつぞやの誕生日の時のように、来た客にケーキサービスでもするのかと思ったサンジは、何気なくカレンダーに目を走らせて、あれ?と首をかしげた。

「でもジジィ、今年は、3月2日って日曜日だぜ?」

日曜日はバラティエは定休日だ。

「だからパーティーやってやろうってんじゃねェか。」

ゼフの言葉に、サンジはきょとんと目を丸くした。

ぱーてぃー?

「客も呼んであるからな。」

え、いつの間に。

「せっかく調理師免許も交付されて晴れてコックと名乗れるようになったんだ。パーティーのメニューは全部お前がこしらえてみろ。」

 

─────え…………?

 

「えええっっっ!!!???」

 

サンジは思わず素っ頓狂に叫んだ。

 

「なんだ、できねェのか?」

「いや、できるできないじゃなく…、全、部…?」

「全部だ。」

「スープも…メインも…?」

「ああそうだ。」

「俺、一人で…作っていいの…?」

「ああ。俺は手を出さねェ。お前のアシストにつく。」

 

サンジが、信じられない、という顔でゼフを見る。

その顔に隠しきれないほどの歓喜。

 

ゼフらしい、それは、サンジへの豪胆なプレゼントだった。

一番サンジが嬉しいと思うプレゼント。

 

サンジは目を輝かせてゼフを見ている。

すぐにその顔は慌てて引き締まり、真剣な色を作った。

 

「………お客様は、何人?」

「さァて。常連客には片っ端から声かけたからなァ。赤髪やらパティやらカルネやら青キジやら…。20人くらいじゃねェか?」

 

20人。

9卓あるバラティエのテーブルに二人か三人ずつ座っていただいてほぼ満卓になる。

忙しい時のランチ時見当だが、ランチの時のようにお客様のお召し上がりに時間差があるわけではない。

 

「お客様はコースを召し上がるのか?」

「そりゃあてめぇの裁量次第だ。てめェの誕生日だ、好きにしろ。フルコースに挑戦するもよし、ランチ形式にするもよし、ワンプレートでまとめるもよし、テーブル取っ払って立食にするもよしだ。だが忘れるな。お客様方はてめェの誕生日をお祝いしにきてくださるんだ。それなりにお客様を満足させろよ。」

言われてサンジはしばし思案する。

「…予算は?」

「俺の奢りだ。好きなだけ使え。」

「ええっ!!?」

ゼフの太っ腹発言にサンジは仰天した。

お招きする以上、お客様から代金を頂戴したりはしないだろうから、本当にゼフが丸々出す気でいるんだろう。

「え、…い、いくらでも?」

恐る恐るサンジが再度聞くと、

「いくらでもだ。」

と、ゼフから答えが返ってきた。

 

「そのかわり、」

ゼフが付け加えた。

 

「これがてめェの3年間だってのを、根性据えて見せてみろ。」

 

言われた言葉に、どくん、とサンジの心臓が鳴った。

 

「…………………わかった。」

 

ゼフの目を真正面から見据えて、サンジは静かに答えた。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

いくらでも予算を使ってもいいと言われたサンジは、最初こそ浮かれていたが、さてどんな食材を使って何を作ろう、と思った瞬間、それが存外に大変なことであることに気がついた。

料理と言うものは、金をかけようと思ったらそれこそ上限がない。

この料理にはここまで、と線を引くのは、料理人自身だ。

常ならばその線引きはゼフがしてくれていた。

けれど今回はそれすらも自分でしなければならない。

高価な食材を仕入れるのは簡単だ。

だがその食材をどう調理して、どのようにお客様に供するかによって、高価な食材は王様の食事にもなるし生ゴミにもなる。

何をしてもいい、何を買ってもいい、というのは、つまり、すべてが自分の腕にかかってくる。という事だ。

何をしても自由、ということの意味を、サンジはしばらく思い悩んだ。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

長いようであっというまだったこの三年間を思い返す。

 

中学を卒業したら、猫を捨てるように母親に捨てられた。

金でしか繋がってなかった父親との縁も、中学卒業と同時に切れた。

手元にあった現金で、憂さを晴らすように遊びまくった。

遊んでも遊んでも満たされなくて、自分の中には何にもなくて、疲れて一歩も動けなくなって、うずくまったコンビニの駐車場。

父親にも母親にも捨てられたサンジを拾い上げてくれたのはゾロだった。

からっぽだったサンジの中に、まるで始めからいたかのように入り込んできたのはゾロだった。

心の隙間の形にぴったりと入り込んできたように思えたゾロとの生活は、だけど次第に歪んできた。

もしかしたら最初からいびつだったのかもしれない。

男だけど、女のようにゾロに抱かれたいと望んだサンジ。

サンジを抱かないくせに傍に置き続けたゾロ。

二人の間に通り過ぎて行った女達。

それでも、サンジはゾロから離れるなんて出来なかった。

ゾロがサンジを抱いてくれた時、これでやっと歪みは矯正されるのだと思った。

けれどそうではなかった。

どういうわけか歪みはどんどんひどくなっていった。

好きな人に抱かれているのに、寂しくてたまらなかった。

ゾロの言うがままにしていたのに、ゾロはどんどん苛立ちを増していった。

思いきって女装をやめたら、ゾロはサンジを抱かなくなった。

なのに家を出ると言ったら激昂した。

ぶつかって、ケンカして、話し合って、それでもゾロが好きだと言って、家を出て、ゼフと出会った。

ゼフとの出会いは、今でも神様の贈り物だったのではないかと思う。

ゼフは、狭い自分の世界を一気にとても広くしてくれた。

ゼフから学ぶものはたくさんあった。

料理だけではなく、本当にたくさんのことをゼフはサンジに教えてくれた。

今までより広くなった視野の中で、それでも別格だったゾロの存在。

 

我知らず、サンジはゾロからもらったグロスを手の中でもてあそんでいた。

もうすっかり、考え事をするときにこれを握り締める癖がついてしまった。

 

ゾロに食べさせたいと思ったのは、決して高級食材なんかじゃない。

なりたいと思ったのは、高級な料理だけを作り続ける料理人じゃない。

 

 

あったかくて優しい、誰もが幸せになれる料理を、心を込めて作る料理人に。

全ての人に、心を尽くした料理を。

 

翌日から、サンジは、店の営業時間以外も厨房に篭って、料理の試作を始めた。

無心に料理を作り続けるサンジの姿を、ゼフは黙って見守っていた。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

「なぁるほど。そんでサンちゃんは頑張ってるわけか。かーいいねぇ。」

バラティエのカウンターに肘をついて、シャンクスが言った。

その視線の先には、厨房の奥で真剣になってフライパンと向き合っているサンジの姿がある。

「ああ。全くしょうがねェ。暇さえありゃメニューに没頭しちまいやがって、飯もろくに食いやがらねェ。」

シャンクスの隣で、ゼフが賄いのパスタを頬張りながら答える。

今は怒涛のようなランチタイムが終わって、ディナータイムまでのアイドルタイムだ。

当然、店は閉めてあるのだが、例によってシャンクスはランチタイムから長々と居続けている。

「前から思ってたけどさ、サンちゃんって凝りだすと寝食忘れるタイプだよね。」

「ありゃあ俺よりこだわり派だ。特に今は、どうもメニューの概略がまとまったらしくてな。のりまくってやがる。」

「へえ、そりゃ楽しみだ。サンちゃんの誕生日プレゼントも奮発しなきゃな。」

「いらん。そんなもの。当日すっぽかさなきゃそれでいい。」

「何が何でも絶対行くさ。もちろん。」

会話をしながら、二人とも視線はサンジに向いている。

張り詰めそうなほど真剣なのに、きらきらと楽しそうに瞳を輝かせて厨房に立つサンジを。

フライパンを揺すっていたサンジが、中身を皿に盛り付ける。

「ジジィ、シャンクス、これちょっと食べてみて。」

そう言いながら、カウンターに皿が置かれる。

ふわっと濃厚な香りが漂う。

「俺も食っちゃっていいの? これ、三月のパーティーのメニューだろ?」

「ん、まだ試作だから、食ってみて感想をくれるかな。」

皿の上には、ソテーされた白身の魚に、白っぽいクリームのかかったものが乗せられている。

「サワラか。」

一瞥してその魚を判別したゼフは、フォークをその皿に伸ばす。

魚の身を崩して食べる。

シャンクスも同じ皿にフォークを伸ばして、それを一口食べる。

「お、旨い。」

すぐに感想を言ったのはシャンクスだった。

「ちょっとご飯欲しくなる味だな。」

シャンクスのその言葉に、サンジは、にかっと笑う。

それからゼフを窺うように見る。

ゼフは黙ってサワラを食べていたが、サンジの視線に気がついて、

「サワラの下味はしょうゆで漬けたな。上のソースはロックフォールチーズか。アオカビは取り除いたんだな。」

とぼそっと言った。

サンジが神妙な顔で頷く。

「サワラはサバの仲間だから、見た目は白身だが成分的には赤身の魚だ。濃い味付けにも合う。」

「うん。西京焼きとかでよく食べるから、チーズなんかも合うんじゃないかなと思ったんだ。」

「なるほど。で、選んだチーズがロックフォールか。なんでゴルゴンゾーラじゃなくロックフォールを選んだ?」

「ロックフォールの方が乳臭くなくて、塩味がきつかったから。」

「自分で食ってみて決めたのか。」

「うん。」

ロックフォールもゴルゴンゾーラも同じブルーチーズだが、牛乳から作られるゴルゴンゾーラと異なり、ロックフォールの原料は羊乳だ。

牛乳の風味を残すゴルゴンゾーラよりも、ロックフォールチーズの方がサワラには合うと思ったのだ。

「料理の形式は決まったのか? これはコースのメインか?」

「ん、いや、さすがに20人のコースをいっぺんに出すのは、俺には多分無理だからさ。ランチみたいな感じで出そうかと思ってる。だから、もしこれを出すとしたら、これにちっちゃなブーシェとサラダ、ライスかパンをつけようかなと思ってる。」

「ならブーシェは塩分を控えるんだな。このサワラ、一口目は旨いが、食べ進めるとやや塩味が強くなってくる。サワラの下味にしょうゆを使ってあるからだろうな。しょうゆはどれを使った?うすくちか?」

「うん。」

「こいくちにした方がいい。塩分はそれで抑えられる。銚子産のこいくちがあったろう、それを使え。」

サンジは黙って頷く。

一言も聞き漏らすまい、という顔で。

いつも怒鳴りあう二人ばかりを見てきたシャンクスは、常にないサンジの神妙な態度に驚き、あまりの微笑ましさに、思わずちゃちゃをいれたくなるのを必死でこらえた。

「んじゃ、今度こっち食ってみて。」

また新しい皿がカウンターに置かれる。

今度はココット型で抜いた、やはり生魚のようなもの。

「鯛のミルフィーユか。」

透き通るような白身の魚を見てゼフが言う。

「どれどれ。お、これも旨いね。ポン酒開けたくなる味…、────ん?」

シャンクスが試食して首を傾げる。

「なんか懐かしい味がするな。」

「…ヨモギか。ヨモギ味噌だな。」

「あー、そうだ。ちっさいころばあちゃんが作ってくれたよ。サンちゃんよく知ってたなぁ、ヨモギ味噌なんて。」

シャンクスがそう言うと、サンジはちょっと照れたように笑った。

「この鯛、サピーさんとこで買ったら、奥さんが教えてくれた。」

「なるほど。」

ゼフが得心したように笑った。

「ソテーの下味にしょうゆ、ミルフィーユのアクセントにヨモギ味噌か。目指すところは和風フレンチか?」

聞くと、サンジは恥ずかしそうに笑いながら、頭をかいた。

「んーー。やっぱり一番俺らしさが出るのは和かなぁと思って。」

金髪碧眼で“一番自分らしいのは和”、等と言うサンジがおかしくて、シャンクスは今度こそ吹き出した。

「いやあ、もーほんっとかーいいなぁ。サンちゃん。」

「可愛いとか言うな!」

たちまち赤くなって怒鳴り返してくるサンジの顔は、誰が見たって可愛い以外のなにものでもない。

それからサンジは何皿か試作品を出したが、それらは全部、どこか和食をベースにしたものだった。

それらを、ゼフは、少しずつ口にしてはぼそっとダメ出しをし、シャンクスは、「旨い」を連発しながらパクついた。

「いやあー、こんないいもんが食えるなら明日もこの時間に来よう。」

「飯代取るぞ。赤髪。」

「それはないでしょ、オーナー。」

 

ひとしきり試食会が終わった頃、ふと、シャンクスが

「ああ、そういえば、」

と思いだしたように言った。

 

「俺、昨日、振興会のキャンペーンの共催をお願いに、マリン出版行ったんだよ。」

マリン出版、という言葉に、サンジの胸がどきりとする。

だが、次の瞬間、

「んで、ヒナさんて人に会ってさ。」

と言われた時は、本気で心臓が止まるかと思った。

目を大きく見開いて言葉も出ない様子のサンジに構わず、シャンクスは続ける。

「前にサンちゃんの彼氏とバラティエ来た事あるよな? ピンクの髪が印象的で覚えてたんだわ、俺。」

ちなみにシャンクス的には、二年前のあのドラマのような別れのシーンのせいで、ゾロはすっかりサンジの彼氏として認識されている。

「そんで、バラティエで会いましたよねーなんて話しして。彼女、雑誌の編集さんなんだってなー。すげぇなー。」

すげぇな、とシャンクスが言ったその雑誌の名前は、サンジが毎月かかさず買っていたあのグラフ誌の名ではなかった。

「え…?」

サンジも名前だけは聞き覚えのある、女性ファッション誌の名だった。

どうして、と思うのと同時に、サンジは漸く納得もしていた。

ヒナさんは雑誌が変わったんだ。

だから連絡が取れなかったんだ。

驚きながら安堵していた。

「サンちゃんの話も出たからさ、俺、バースデーパーティーの話もしたんだよ。」

「そ、それでっ?」

「招待していただけるのなら行きたいわーつってたぜ?」

「ほ、ほん、とに?」

「おう。んでサンちゃんから連絡させるから、つって、名刺貰ってきたんだ。ほら。」

シャンクスは名刺入れから一枚取り出してサンジに渡した。

それを受け取ると、サンジは、やにわに店のコードレスフォンを取り上げてトイレに駆け込んで行った。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

トイレの中で、蓋を閉めた便座に座り込んだサンジは、貰った名刺をまじまじと見つめていた。

やはり担当雑誌名が違う。

ヒナの名前の横には、手書きで「サンジくんへ」と携帯の電話番号。

サンジは震える指で、その番号を慎重にプッシュした。

 

『はい。もしもし?』

「ひ、ヒナさん? あの、おれっ、」

『サンジ君?』

「あ、はい! そうです!」

『だと思った。着信がバラティエの電話番号だったから。』

「はい。店からかけてます。」

『ごめんね、前の編集部に何度も電話くれてたみたいで。』

「あ、いえ、とんでもない!」

伝わってたのか、とサンジはほっと吐息を漏らした。

『ちょっとね、人事に移動があったもんだから、伝言聞くのが遅れてしまって、その後もなかなかかけられなくって。ごめんなさい。ヒナ反省。』

「いえ、全然! すいません、俺の方こそ、忙しいのに何度もかけて。」

『ううん。こっちこそ。』

いえいえ俺が、いえいえ私が、と、しばし二人で謝り合戦になってしまい、どちらともなく笑い出してしまった後、

「もうすぐお誕生日だってね。」

と、ふと、ヒナが感慨深そうに言った。

「はい。三月の二日なんですけど、ヒナさん、その日、夜とかお時間あったりしません?」

『バースデーパーティーするんですってね。振興会の会長さんに聞いたわ。』

「そうなんです。まあ、パーティーって言っても、実質は常連さん感謝デーみたいなもんなんで、もしお時間の都合が付くようでしたら、ぜひいらしてください。その日の料理は全部俺が作るんで!ぜひ!」

『サンジ君が?』

「はいっ!」

『そう。それは楽しみねえ。ぜひ伺わせて貰うわ。誕生日プレゼントは何がいい?』

「え、そんなプレゼントなんて! ヒナさんのお美しいご尊顔を拝す事ができればそれが至高のプレゼントですっ!』

『……ちょっとの間にやたらパワーアップしてきたわね、サンジ君のそれ…。』

「はい?」

『…………まあいいわ。ねぇ、ゾロにも連絡しておこうか?』

「えっ…、」

突然出たゾロの名に、サンジの心臓が大きな音を立てる。

『どうせあのバカの事だから、まだ、サンジ君のとこに連絡もしてないんでしょう? まったくいつまでやせ我慢してカッコつけるつもりなのかしらね。』

「あ、あのっ…あのっ…!」

『どうしたの?』

「ゾロは、ゾロはもう帰国してるんですか?」

『ごめんなさい、まだなのよ。でも、帰国準備には入ってるはずだから。』

「あの…でも…、なくなっちゃって…、あのコーナー…。スモーカーさんの…、」

『え?』

何を言ってるのかわからない、と言うような戸惑った空気が、電話の向こうから伝わってくる。

「あの、雑誌のスモーカーさんのコーナー…。連載、終わっちゃったんですか…?」

『ああ!』

不意にヒナが、ようやく合点が行った、と言うような声をあげる。

『ゾロのコラムのついた連載の事ね? 年内で終了したはずで、12月号に終了告知も出てたと思うけど?』

「え…、そう…なんですか…?」

全然気がつかなかった。

『そっか、それじゃあびっくりしたわね。可哀想に。連載は終わったんだけど、少し延長した仕事とかあって、それでゾロの帰国がもたついてるの。でも、いい加減帰ってきてもらわないと、こっちも予算の都合とかあるから困っちゃうのよ。』

冗談交じりの口調で、ヒナは笑いながらそんな風に言った。

『だから、サンジ君のお誕生日だからとっとと帰ってきなさいってせっついてみるわ。』

柔らかな口調で、まるでなんでもないことのように、ヒナがそう言ってくれた。

「はい…。」

情けない事に、サンジは咄嗟に息が詰まって返事ができなかった。

 

「……………はい……ありがとうございます………っ」

 

やっと出た声も、明らかに涙声だったが、ヒナはそれに気がつかないふりをしてくれて、「お誕生日楽しみね」とか「絶対行くからね」とか話しかけてくれていた。

 

2008/02/08

 

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