■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【21】

 

純愛小僧。と、スモーカーはゾロの事をそう呼ぶ。

ゾロにしてみれば、身奇麗だった過去もないし、サンジに対してだってプラトニックだったわけでもないから、純愛と呼ばれる要素はどこにもないと思う。

だがスモーカーに言わせれば、ゾロのそれは充分に純愛なのだそうだ。

「俺には正直理解できねェからな。惚れた奴のために男を磨く旅に出るなんざ。」

そう一言で言われてしまうと、自分の今の現状がひどく陳腐なもののように思えて、ゾロは不機嫌そうに黙り込む。

周りにいるのが女達なら、ゾロが黙り込めば慌ててちやほやと機嫌をとってくるのだが、スモーカー相手ではそういうわけにはいかない。

むしろスモーカーはゾロを怒らせて楽しんでいるところがあって、わざわざゾロの神経を逆なでするような言葉を選んで、人を食った笑みに乗せて発してくるのだ。

「しかも相手が男ときたもんだ。たしかにちょいとそそられる顔をした坊やだったが、あの歳の男は成長が早いぜー? 17、8なんて一番顔が変わるときじゃねェか。成長遅い奴ならこの歳くらいでいきなり伸びるしな。」

「……何が言いたい。」

唸るようにゾロが聞き返しても、スモーカーは口元ににやにやした笑いを浮かべたままだ。

「俺はこう見えてリアリストでね。」

もったいつけたようにスモーカーが言う。

「永遠に変わらない愛なんてのは信じちゃいない。むしろ変わっていくのこそ本当だと思う。」

まるで独り言のようにスモーカーが言うのを聞きながら、ゾロは革ジャンの内ポケットからタバコを取り出した。

一本咥えて、自分のライターは使わず、スモーカーのそばに転がっているスモーカーのガスライターを勝手に拝借して火をつける。

葉巻愛好家のスモーカーの前でオイルライターを使うと、葉巻の香りが台無しになると文句を言われるからだ。

目の前で紙巻タバコを吸えば同じことだとは思うが。

「ロロノア…。てめェはてめェが今抱えてるあの坊やへの思いが不変のものだと思うか?」

ゾロはちらりとスモーカーに視線を投げただけで返答はしない。

「てめェはゲイじゃねェだろう? あの坊や限定だ。その坊やだっててめェは女の姿に擬態させて抱いてたんだろう? てめェの坊やへの気持ちを否定する気なんざねェが、てめェは女みてェなナリじゃねェとヤれねェんじゃねェのか?」

ゾロが僅かに瞠目する。

「17、8才の男の成長なんてあっという間だぜ? 再会したら坊やはごっついむっさい兄ちゃんになってるかもしれねェ。それでもてめェのその気持ちは変わらないか?」

「………………さあな。」

ゾロが素っ気なく答えて、煙を吐き出す。

ずいぶん挑発するように言ったつもりだったのだが、ゾロが一向に乗ってこないので、スモーカーはやれやれ、と溜め息をついた。

「てめェが今ここにこうしているのはあの坊やのためだ。てめェが求める原風景もあの坊や。テメェの帰る所もあの坊やの所。」

ひとつひとつ、確認するように言うスモーカー。

それを横目で見るゾロの目は、それがどうした、と言いたげだ。

 

「そんなに何もかもをあの子に帰結させてると、失ったとき、てめェは壊れるぜ?」

 

言われた言葉に、ゾロが眉根を寄せる。

「…俺はそれほど弱くねェ。」

「あァ、言い方が悪かった。……俺の見るとこ、てめェは人に裏切られるのに慣れてる。例えばこの先あの子がてめェに愛想つかして別れるような事になったとしても、てめェは壊れたりはしねェ。そん時どんだけ辛かろうがてめェはてめェのままだ。なんかの弾みであの子が死んだとしても、まだてめェは大丈夫だ。そりゃあ傷つかねェとは言わねェが、血反吐吐くまで泣き喚いたっててめェは壊れねェ。」

そこでスモーカーはちょっと息をついた。

 

「てめェが壊れるのは、てめェ自身にてめェが裏切られた時だ。」

 

「…あァ?」

「さっき言ったろう? 子供の成長は早い。俺達の二年とガキの二年は違う。こうしててめェがあの坊やから離れてる間にも、あの子は成長していく。可愛い女装少年じゃなく成長した男になった坊やを、もしてめェが愛せなかった時、─────てめェは壊れる。」

 

きっぱりと断定したスモーカーに、ゾロはその瞬間、言葉を返すことが出来なかった。

笑い飛ばしてやればよかったのに。

 

「てめェがあの子を愛せない自分を許すとは思えねェ。」

 

尚もそう言われて、ゾロは完全に絶句した。

 

自分の方が、心変わりをする…?

サンジから心が離れる…?

 

そんな事はありえない、と思った。

今この瞬間ですら、サンジへの執着と狂熱は自分でも薄ら寒いほどなのに、これが消えるなんて、ありえない。

「いらん世話だ。」

だから、スモーカーの言葉を、ゾロは杞憂と切り捨てた。

スモーカーが曖昧な笑みのようなものを口元に浮かべる。

「そうか。そんならいい。」

もっとしつこく何か言ってくるかと思ったのに、スモーカーはあっさり引き下がった。

だが、ゾロが拍子抜けしたとき、スモーカーはまるで独り言のように呟いた。

「まぁ…てめェが壊れたら、俺に撮らせてくれよ。壊れたてめェをぜひ撮ってみたいね。」

「…酔狂だな。それに悪趣味だ。」

ゾロがそっけなく返すと、スモーカーは低い声で笑い出した。

「俺の写真なんて悪趣味な方が本質だ。何しろ俺が初めて撮ったのはお袋の死に顔だからな。」

そう言って、スモーカーはいつまでも笑っていた。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

 

願を掛けよう、と、サンジが思い立ったのは、もう試験の直前だった。

 

きっかけは、ヒナの来店だった。

試験より遡ること三ヶ月前、秋も深まってきて、調理師試験の願書受付が始まり、無事に願書を提出し終え、さあ、いよいよ大詰めだ、と気合も入り直していた時、ヒナがバラティエにやってきたのだ。

会社の同僚らしき女性とバラティエにランチを食べに来たヒナは、帰りしな、

 

『ゾロなんだけど、早くて年明け、遅くても春になる前には帰ってこれそうだわ。』

 

と、そうサンジに耳打ちしていったのだ。

 

突然の朗報に、サンジはうっかり虚を突かれて、ありがとうございますを言うのすら忘れて棒立ちしてしまった。

 

─────ゾロが帰ってくる……!

 

沸き立つような歓喜は、けれどすぐに、そこはかとない焦燥と欲に摩り替わった。

ゾロが年明けにも帰ってくるかもしれない。

年明けといえば、サンジにとっては調理師試験の合格発表がある。

合格した自分をゾロに見せたい、と突き上げるように思った。

 

それは野望と言うにはあまりにもささやかな、男のプライドだった。

 

それからサンジは、それまで以上に勉強に打ち込んだ。

生まれてこのかたこれほどまでに真剣に勉強したことなどない、というほど頑張った。

ネックがほぼ問題の読解力だったせいで、小学校から国語の授業をやり直したいと切実に思ったりもした。

もちろん、バラティエでのコック修行も毛の一筋ほどの手抜きもしない。

いい意味で張り詰めて緊張感のある毎日を送っていた。

それでも不安はつきもので、挙句に思いついたのが、願掛けだった。

 

これから試験を終えて合格発表まで、ゾロのコラムを見ない。

 

それが、サンジの考えた願掛けだった。

ちょうど、次号は新年の為、合併号となる。

これから試験を終えてすぐ最新号が発売になり、新年を迎えた月末に合格発表がある。

この発売される一冊。

これを、結果が発表されるまで読まない事にしよう。

そう思った。

たかが一号の我慢だったが、ゾロとの逢瀬が月に一回のその雑誌だけである以上、サンジにとっては一番の我慢なのだ。

ましてや、合併号のせいで、二か月分我慢する事になる。

 

そうして、サンジは試験に臨んだのだった。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

発表までの一ヶ月は、サンジにとって苦行とも言える一ヶ月だった。

部屋に戻れば書店の袋から出していない封をされたままの、あのグラフ誌が目に入る。

押入れにでも仕舞い込もうとしたのだが、出来ないのだ。

中を見ることが出来ないのなら、せめてその存在だけでも近くに置いておきたかった。

試験の後、自分で答え合わせをしてみるのも怖かった。

もし合格点に達していなかったらと思うと、どうしてもできなかった。

頭が余計なことを考えないように、サンジはバラティエでの仕事に没頭した。

幸いにして、やる事はいっぱいある。

まかないだってサンジの仕事だし、掃除だってサンジの仕事だし、食材の下拵えだってサンジの仕事だ。

それからゼフがやってることをよく見て技術を盗まなきゃならないし、忘れちゃいけないコンソメだって作らなくちゃいけない。

何度でも何度でも作って、おいしいコンソメをものにするのだ。

バラティエの年内の営業は12月最後の土曜日まで。

実家などないサンジは、ゼフと一緒に過ごした。

まるで血の繋がった親子か孫のように、ゼフとサンジはまったりした年越しを迎えた。

年が明けての営業は、三が日後の平日からだ。

年明けの最初のランチは、おせちにしようよ、とサンジが言ったら、ゼフは見事なフレンチおせちを作り上げてサンジを驚嘆させた。

 

そんなふうに日常は流れていって、合格発表の日を迎えた。

 

その日は平日だった。

いつものように早朝、バラティエに来たサンジは、既にゼフが厨房に立っているのを見て、思わず微笑んだ。

サンジの誕生日やお正月や、何かある時、いつもゼフがこうして朝ご飯を作ってくれるのが慣習になっていて、サンジは、きっと今日もだろうな、と思いながらバラティエのドアを開けて、はたしてその通りだったからだ。

ゼフの作ってくれた朝食をきっちり全て平らげたサンジは、

「じゃ、行ってくる。」

と、そのまま店を後にした。

ゼフは何も言わずその後姿を見送る。

サンジの全身が緊張しているのがわかって、ゼフは少し可笑しくなった。

二人分の食器を片付け終えた後、ゼフは、近くのサウナに出掛けた。

これはもうゼフの二十年来の習慣になっている。

店に寝泊りしているゼフは、風呂はいつも馴染みのサウナだ。

いつもなら朝食の後、サンジも一緒に同じサウナに行く。

繁華街にはカプセルホテルやサウナも多い。

だから、アパートに風呂のないサンジも、最初から近くのサウナか銭湯にいくつもりでいた。

それをゼフが、

「ここいらのサウナはホモのハッテン場になってるとこもあるから気をつけな。お前みたいのが行くと輪姦されるのがオチだぞ。」

と、からかいまじりに脅かしたら、よほどビビったのか、ゼフがサウナに行く時一緒についてくるようになったのだ。

驚いた事に、サンジは銭湯にもサウナにも行った経験がなかった。

誰かと風呂に入ることすら初めてだと言っていた。

母親と風呂に入った記憶もないらしい。

サンジの場合、父親は最初からいないも同然だ。

一緒に風呂に入るような付き合いをした友達もいないし、あのロロノア・ゾロと暮らしてた頃も二人で風呂に入ったことなどなかったようだ。

普通の子供が当たり前に経験してきたことを、サンジはあまりにも知らなさ過ぎる。

ゼフは、それが不憫でならなかった。

今は偏屈なジジィになって一人で暮らしているゼフだって、優しい母親と厳しい父親の愛情に育まれてきた。

むしろ、ゼフはそこそこ裕福な家庭の子だったので、子供の頃に何かに不自由したと言う覚えがない。

子供の頃の記憶は、どれも甘く懐かしく優しいだけだ。

だがサンジにはそれがない。

ゼフと一緒に風呂に入りながら、小さな事にいちいち過剰にはしゃぐサンジを、ゼフはいつも微笑ましく、ほんの少し痛ましく思いながら見てきた。

少しずつ、色んな経験をすればいい。

そうしてあの子供の魂が満たされればいい、と思う。

あの子供が一番に望んでいるものが、あのチンピラなのは些か業腹だが。

なんというか、娘を嫁に出すのはこんな気分かと言うような面白くなさだ。

 

サウナを出て、店に戻ると、郵便物が届いていた。

その中にサンジ宛の封書を見つけ、ゼフは思わずにやりとする。

今、当の本人は合格発表が掲示してある都庁の臨時窓口で歓声を上げている頃だろうか。

思うまもなく、店の電話が鳴る。

「はい。レストランバラティエです。」

『ジジィっ!! おれ、おれっ…、受かってた!!!』

上ずった声が電話口から聞こえてきた。

心なしか潤んでいる。

「そうか。……よかったな。サンジ。」

『うんっ……。』

調理師学校に行きさえすれば簡単に取れる免許だ。

しかも、調理師免許というやつは、持っていたからといって即レストランが開業できる免許と言うわけでもない。

平たく言ってしまえば、「調理師と名乗っていい」というだけの免許なのだ。

だがサンジにとっては、きっと小さいが大きな一歩になるだろう。

ゼフは口元に笑みを浮かべたまま、電話を切った。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

サンジがバラティエに戻ってきたのは、それからすぐだった。

嬉しくて嬉しくてたまらない、という風情で店に帰ってきたサンジは、ランチタイムが迫っていた事もあって、急いでソムリエエプロンに着替えようと奥の部屋に入った。

何だか今日は、一日顔から笑いが取れないような気がする。

「あれ?」

エプロンがかけてあるはずのロッカーを開けて、サンジは首をかしげた。

小部屋を出て、厨房にいるゼフに声をかける。

「ジジィ? 俺のエプロンがないんだけど?」

するとゼフは、黙って厨房から出てきて、大きな紙袋をサンジに放って寄越した。

訝しく思いながらそれを開けたサンジは、出てきたものを見て息を呑んだ。

 

それは、真新しいコックコートだった。

 

「ジジィーーーーー!!!」

思わず泣きながらゼフに抱きついてしまい、照れたゼフに店の隅まで蹴り飛ばされたサンジだった。

 

 

 

□ □ □

 

 

そうして怒涛の一日を終え、高揚した気分のまま帰宅したサンジは、ようやっと自分に願掛けを解禁した。

大切そうにグラフ誌の入った袋を抱えて、そうっと封を開ける。

やっとゾロに会える。

コラム越しだけど、ゾロに受かったよ、と報告したかった。

 

 

 

けれど。

 

 

開いたグラフ誌の中に、スモーカーのコーナーはなかった。

 

2007/12/31

 

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