■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【19】

 

まるで叱られている子供のように項垂れているサンジを、ゼフはなんともいえない顔で見つめていた。

実際のところ、ゼフは一体自分がどんな顔をすればいいのかわからないのだ。

サンジを叱る気などは毛頭ない。

けれど多少なりとも腹立たしくはある。

聞けば、サンジは青キジに向かって“自首”したのだという。

たまたま青キジが通りかかったからだろうが、そうでなければ、サンジはその足で交番なり警察署なりにいくつもりだったのだろう。

それを、なんとバカなことをと憤ればいいのか、やれやれしょうがないなと呆れればいいのか、ゼフには全くわからなかった。

短絡に“自首”などということを考えたサンジに対して、手塩にかけてきた息子に裏切られたような気分にもなっている。

何故そうしようと思う前に一言相談してくれなかったのか。

フォクシー如きにゼフが屈すると本気で思ってしまったのか。

その一方で、自分達の会話はそれほどまでにサンジを追い詰めたのか、とすまなく思う気持ちもある。

青キジという男に拾われて事情を知られたことが、吉と出るのか凶と出るのかもわからない。

一つ確実に言えるのは、サンジという若者は、時々びっくりするほど思いきったことをするのだな、とゼフが再認識した、という事だ。

思えばバラティエに来る前も、まじめになろうと考えて、即、履歴書ももたず電話もせずに片っ端から飲食店に飛び込んだりしたのだった、このおバカは。

無鉄砲なのか猪突猛進なのか、はたまた実は豪胆なのか。

 

とりあえずゼフが最初にした事は、サンジを店に連れ戻してくれた青キジに、頭を下げることだった。

「うちの小倅がご迷惑をおかけしたようで。まことに持って面目ない。」

「いやいやいやいや、俺がお節介焼いただけだ。坊やは叱らないでやってくれ。」

青キジは笑顔でそう言いながら、顔の前で両手をひらひらさせた。

だが彼の飄々とした態度をそのまま信用してはいけないことを、ゼフはよく知っていた。

「んじゃあまァ、あとは二人でよく話し合いなさいや。」

そう言いながら踵を返す青キジを、ゼフは、下まで送る、と追いかけた。

ぽつねんと立ち尽くしているサンジには、「てめェはちっとその辺座ってろ」と言い置いて。

 

バラティエの狭い階段を降りて、路地に出たゼフは、改めて青キジに頭を下げた。

「本当に申し訳なかった。お前さんが居合わせてくれて助かった。」

途端に慌てて青キジが、

「よしてくれ、あんたに頭を下げさせたなんてうちのおやっさんに聞かれたら俺が怒鳴られる。」

と、ゼフの頭を上げさせた。

ゼフの顔が僅かに緩む。

「……元気か? ガープは。」

「殺しても死なんでしょ、あの人は。」

青キジが笑いながら答える。

「まだ警部補のまんまか?」

「おやっさんは昇進試験受ける気なさそうだからなァ。ずっと現場に出ていたいらしい。」

「そうか…。…………たまには俺の店にも来いと言ってくれ。」

ほんの少し感傷を覚えてゼフが言うと、青キジはまた笑った。

「あの人にフレンチは似合わねェなァ。」

それでもその目元を優しく和らげて続ける。

 

「伝えとく。…赫足が面白い坊や手元に置いてるから見に行けって。」

 

その言葉に、ゼフの顔が、ふっと真剣になる。

知らぬげに、青キジは続けた。

「やたら小奇麗なコックさんだとは思ってたが…。まさかアレがあの“女装少年”だとはねェ…。随分育っちまったみてぇだが…、確かに女装が似合いそうな美人さんではある…。女子高生姿とやら…俺もいっぺん拝んでみたかったねェ…。」

ゼフの眉間に皺が寄る。

青キジの口ぶりでは、随分詳しくサンジは過去の自分を説明したようだ。

自首しようとしていたのだ、無理もない。

“女装少年”はこの街の都市伝説化するほどに有名だった。

青キジも元から女装少年の噂を知っていたのだろう。

 

「お前さん…。あれの身柄を確保せずにここに連れ帰ってくれたのは、ガープに気を使ったからか?」

 

探るようなゼフの目を、青キジは飄々とした態度を崩さずに受け止める。

「あァ…、まぁ…、まるで関係ないっちゃ嘘になるな。あの子の話を聞いたらおやっさんが飛んできそうだしなァ。」

青キジが苦笑する。

それから、しきりに頭をがりがりと掻いて、言葉を続けた。

「………俺はねぇ、オーナー。正直、グレたガキ共なんざ、片っ端からパクっちまえばいいと思ってる。あいつらは少年法なんて子供の特権を振りかざして、オトナよりよほどタチの悪いことを平然とやってのける。年々凶悪犯罪の低年齢化も進む一方だ。そんなガキ共は、雁首並べて全員ぶん殴ってやらなきゃ目が覚めねェんだとも思ってる。チンピラはどこまで行ってもチンピラだからな。」

青キジの言葉を、ゼフは黙って聞いている。

その表情には何の色も浮かんでいない。

「あんたの大事な坊やにしてもそうだ。女装だの援交だの云々はおいといて、引ったくりってなぁ立派な…立派っつうのも変だが…窃盗罪だ。相手が怪我してたら強盗になる。あの坊やが今までパクラレなかったのは、被害者の方もそもそも援交を目的としてたっていう後ろ暗いところがあるからだ。坊やがほんとに援交に応じてたら確実に強制わいせつにも都の淫行条例にも問われることだからな。」

「……………なら、なんでチビナスをパクらなかった? あれの自供は全部聞いたろう? 俺とガープは確かに昔馴染みだが、そんな事を気にする柄でもねェだろう? お前さんは。」

「そりゃそうなんだが…、あァ…、まあいいや。うまく言えねェ。」

「チビナスに絆されたか?」

軽い調子で言ったゼフの言葉に、青キジがぴくりと反応した。

「絆された…かねェ…。んー……」

ため息とともに呟く青キジ。

 

「あんたのチビナスくんな、あんたを守ろうと必死だった。」

 

「……俺を?」

ゼフが聞き返す。

「最初は何かと思ったぜ。“悪いことしてました。ゴメンナサイ。自首します。”の一点張りでな。宥めて話し聞いてみりゃあ、今度は“ジジィは関係ないから。ジジィは何も知らないから。”つってあんたを庇ってた。」

 

「…………………そうか。」

 

「…けなげで愚かでバカだと思ったよ。…だから…あんたに返そうと思った。…返すべきだと思った。」

 

「………………………………。」

 

「だけどなァ、オーナーゼフ。…あんたァ…、どこまであの坊やのケツ持ってやるつもりだい?」

継がれた言葉に、ゼフの眉間に皺が寄る。

「……ついさっきどこぞのヤクザにも同じような事を聞かれたな。」

「はは。銀ギツネか。バカ正直にあんたに坊やをくれって言いに来たらしいな。」

先刻のやり取りもすっかり知れているのか、と思わずゼフの眉根が寄る。

─────まったくチビナスの阿呆が。

ゼフの眉間の皺が深くなったのを見て、青キジがまた笑った。

「銀ギツネ程度の企業舎弟、あんたにはどうってこともないだろう?」

「まァな。…だがミホーク組長にはいずれちょいと挨拶の一つもせにゃならんだろうな。」

ゼフが思わずぼやくと、青キジがひょいと片眉を上げた。

「その辺の話は、俺ァ聞かなかった事にしといた方がいいかね。」

そう言われて、ゼフもふん、と鼻を鳴らす。

「飯屋の亭主が贔屓の客に挨拶に行くだけの事だ。マル暴のデカが気にすることなど何もねェだろう。」

「贔屓の客? よく言う。俺も随分常連客のつもりだがね、今まで一度もバッティングしたことぁねェぜ?」

「そうだったかね。」

青キジの挑発するようなセリフに、ゼフは乗らなかった。

この手のあしらいには慣れていた。

「…ったく、喰えねェじいさんだ。」

青キジが苦笑しながら、お手上げだという仕草をした。

「坊やの話しじゃあ、坊やのアパートの保証人にまでなってるってじゃないか。そんで今回は鷹の目に話通しとこうってんだろ? 赤の他人に随分入れ込んだもんだ。…年甲斐もなく惚れたかい?」

「…それこそ下卑た邪推ってもんだ。お前さんまでアレを男娼扱いするってんなら出入り禁止にすんぞ。」

「“お前さんまで”ってこたァ、銀ギツネはモロ地雷踏んだってとこか。」

さもおかしそうに青キジが笑う。

対してゼフはさして面白くもなさそうに眉を聳やかした。

「…………………ありゃあ、若い時分の俺に良く似てる。」

ぼそっと無造作に呟く。

「あんたに?」

青キジが軽く驚いて聞き返した。

「若くて無鉄砲で、望みさえすれば空すら飛べると信じて疑わないような馬鹿で、夢の他には何にも持っちゃいないくせに、この世の全てを手に入れたように笑いやがる。」

サンジの事をそう語るゼフの顔は、穏やかな優しい笑みを浮かべていた。

「お前さんだってさっき言ったろう。アレは一途でけなげでひたむきで…愚かで阿呆でバカでバカで大バカのクソ野郎だ。」

「…や、俺はそこまで言わなかったと思うがよ。」

決まり悪げに青キジが独りごちたが、

 

「だからこそ俺はあいつが可愛くって仕方ねえ。」

 

続いて紡がれたゼフの言葉に、青キジは絶句した。

ゼフは穏やかな笑みをあらぬ方向に向けたままだ。

 

「俺は結局嫁にもガキにも縁がなかったが、アイツを見てると息子ってこんなもんだろうかと思う。」

 

「……そう、か……。」

ふう、と青キジが大きなため息をついた。

「…そんなら、ガキのケツはしっかり拭いてやんなさいや、“お父さん”。」

相好を崩して言った青キジに、ゼフは苦笑いを返してみせた。

だが、その直後に続けられた、

「但し俺が見逃すのは今回だけだ。万が一坊やがひったくった相手から被害届けが出たら今度は躊躇わずパクるからな。」

という言葉には、俄かに顔を引き締めて、

「…肝に銘じよう。」

と、ぶっきらぼうに答えた。

そのまま青キジは踵を返そうとして、ふと、足を止めて振り返った。

 

「…あんたさ、さっき、嫁にもガキにも縁がなかったって言ったけど…、ガープのおやっさんに昔、女取られたってほんと?」

 

唐突なその問いに、ゼフが一瞬虚をつかれ顔をした。

「そりゃガープに聞いたんじゃねェだろう?」

にやりと人が悪そうに笑う。

「…まァ…、人づてだな。こんなことおやっさんには聞けねェな。」

「だろうな。女取ったのはガープじゃねェ。もう一人の昔馴染みだ。」

「もう…一人…?」

「ああ。俺とガープとそいつと…いつも一緒だった。女は俺の婚約者で…あの頃はまだ俺も現役だったからな。寂しい思いとかさせてたのかも知れねェな。けど、だったら別れ話の一つもしてくれりゃあよかったんだが、奴らは俺をそんなに狭量な男だと思ってたのか、二人で駆け落ちしちまいやがった。風の頼りに結婚したとか、子供が出来たとか聞いたが、それっきりだ。以来30年以上会ってねェ。」

遠い目をしながら、それでもゼフは完結に説明すると、

「…昔話だな。」

と、話を終えた。

青キジは、それ以上ゼフが何も口を開かないのを悟ると、

「妙な話を持ち出して悪かったな。…また旨いランチ食いにいきますよ。」

そう言って、今度は本当に踵を返した。

近くに停めてあった自転車に跨り、去っていく後姿を眺めながら、ゼフは小さくため息をついていた。

 

 

□ □ □

 

 

店に戻ると、かなり長いこと青キジと立ち話をしていたような気がするのだが、サンジは、ゼフが青キジに見送りに出たときのままの様子で椅子に腰掛けていた。

青キジに連れてこられた時、叱られた子供のようだった顔は、いよいよベソをかく寸前のように歪んでいる。

あまりにもしょぼくれた様子は哀れを誘うが、いつも何を言われても挫けない奴がこうも萎れているのではこちらとしても張り合いがない。

とりあえず脳天に、ごん、と一つ拳骨を落としてやる。

「いてっ…!」

涙目で見上げてくる子供に、

「心配かけるんじゃねェ、クソガキが。」

と活を入れてやる。

「痛ェな、このクソジジィ!」

反射的にいつもの調子で言い返してきたサンジに、ゼフは内心ホッとした。

サンジはすぐに、しまった、という顔で慌てて俯いたが、ゼフは容赦なくその頭をごんごんと叩いてくる。

「ガキが、余計な、気を、回すんじゃ、ねェ。」

「いてっ、いてっ、いてっ、いてっ、いてっ!」

一言ごとに、ごん、ごん、と拳骨を落とされるので、ついにはサンジは逆切れした。

「だあああっ!! 痛ェっつってんだろが!!!」

反撃して蹴りを繰り出してくるので、ゼフはそれを足先でいなして店の隅まで蹴り飛ばした。

「俺に反撃するなんざまだまだ百年早ェ、と俺も言ってるだろうが。」

店の壁にさかさまになって吹っ飛んだサンジは、そのままずるずると床の上に伸びた。

ぴくりとも動かなくなったサンジを見て、ゼフがやりすぎたかと一歩踏み出した時、

「ジジィ…………」

と、か細い情けない声がした。

「…………俺…………ごめん………………」

弱々しく謝ってくるから、ゼフはもう本当に、「やれやれ」という気分になった。

「しょうがねぇなァ、てめぇは。」

思わず出た声は、まるっきり子供を甘やかす親のそれだった。

「…青キジはなんつってお前を連れ帰ってくれた?」

「……おれ、が、女装してたとき…16歳だって言ったら…、んじゃそりゃ少年課の仕事だって…。青キジさん…四課だから課が違う、って…。じゃ、そっち紹介してって言ったら、めんどくさいからおうちに送ってってあげる、って…。」

いかにも青キジらしい言い回しに、ゼフは噴きだしそうになった。

「…な、ジジィ…、おれ、見逃して…もらったの、かな…?」

「だろうな。だが被害届が出たら捕まえに来ると言ってたぞ。」

「そ…なんだ…。つ、つかま…る、のか…。」

サンジはこちらに頭を向けて仰向けに倒れている。

前髪で隠されてその顔は見えない。

だが心細げに震える声は、サンジの心を雄弁に物語っているようにゼフには思えた。

「つかまっ…ちゃ…たら、俺、コックさん…なれねェ…よな…。ジジィにも…俺…迷惑、かけ…、」

「そんな事は覚悟の上で自首しにいったんじゃねェのか?」

ゼフが聞いた途端、サンジの胸がひくっと上下した。

「てめェの腹も据わってねェのに自首しようなんざ、片腹痛ェぜ? サンジ。」

「だっ…て、だって、俺っ…、おれ、ジジィに迷惑かけっ…、ふぉ、フォクシ…てんちょ、がっ…、」

サンジは拳を握り締め、顔を覆う。

その拳がカタカタと震えている。

 

「仕方ねェだろう。それがてめェのしたことのツケだ。」

 

ゼフが情け容赦なく言い切ると、サンジがひゅっと息を呑んだ。

「犯した罪ってなぁ、その人間について回る。だから取り締まるための警察があり、裁くための裁判所があり、償うための刑罰があるんだ。安易に逃れようとしたって逃れられるもんじゃねェんだよ。お前が今回した事は、自分の罪を認めての贖いじゃねェ。ただてっとりばやく目の前のトラブルから逃げようとしただけだ。青キジはそれがわかったから、お前をパクらずに連れ帰ってくれたんだ。その意味をよく考えろ。」

ゼフの言葉に、サンジの返事はない。

息を呑んだまま、呼吸すらも忘れているかのように動かない。

「…フォクシーの事ァ、てめェが気にするこっちゃねェ。話しはついた。青キジも“今回は”見逃してくれた。いつかパクられるかもしれねぇ、ってのはお前に取っちゃ恐怖だろうが、当面はその恐怖がお前への罰だと思うんだな。」

ややあって、サンジの頭が小さくこくんと頷いた。

 

「それから。」

 

ゼフは尚も言葉を継ぐ。

 

「俺はたかだかこの程度のことでお前を見限るつもりはねェ。」

 

びくん、とサンジの体がはっきりと震えた。

 

「……………あんまり見くびるな。」

 

最後の言葉は、ゼフにも情けないほど掠れていた。

サンジはただ黙って聞いていたが、やがて、静かにしゃくりあげ始めた。

必死で押し殺しているのか、声を立てず、ただ静かに嗚咽している。

初めて会ったときの、コックさんになりたいと言って号泣したときのそれと、あまりに対照的だった。

 

「………………ジジィ………あ、りがと………………」

 

それは嗚咽にまみれた小さな小さな声だったが、ゼフの耳にはしっかり届いていた。

 

2007/08/28

 

※作中、「四課」と言う呼称を使っていますが、
現在の日本では、2003年4月に刑事部捜査第四課は刑事部から独立し、「組織犯罪対策部」という新設の部署となっています。
「組織犯罪対策部」という名称がまだ一般的になじみの薄いものであるため、あえて旧部署名を使用いたしました。ご了承ください。

 

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