■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫
【18】
時間は少し遡って、閉店後のバラティエ。
オーナーゼフは、フォクシーのしつこい態度に辟易していた。
「そら聞く相手が違ってるだろう。俺じゃなく、チビナス本人に言え。」
苛々した声音を隠しもせずにそう言ってやっても、フォクシーはなかなか諦めようとしない。
「そのチビナスくんがなかなかガードが固ェもんで、こうしてあんたに頼んでるんじゃねぇか。」
「てめェがアレをチビナスと呼ぶな。」
ますますムッとして、ゼフは吐き捨てた。
「アレがお前さんの話を聞かねェってんなら尚更俺が口出しするこっちゃねェ。諦めるんだな。」
にべもなく言い捨てて、ゼフは、フォクシーを置いてさっさと店のドアを開けて階段を降りた。
ビルの地下に降りて店のエアコンを切るためだ。
「ちょっと待ってくれよ、赫足の!」
慌ててフォクシーが追いかけてくる。
無視するように、ゼフは路地に降りて、ビルをぐるっと回って表通りに出て、ビルの正面からエントランスに入って、エレベーターの脇の階段に通じる「非常口」の表示が光る鉄扉を開ける。
地下への階段を降りると、フォクシーもそのままついてきた。
「なぁ、頼むよ、赫足。俺ァ、どうしてもあのキンパツくんが欲しいんだ。ありゃあ、磨きゃァとんでもねぇ逸品になる。すぐにでも俺の店のナンバーワンになれると踏んでるんだ。」
「…てめェの店? アレは男だが?」
フォクシーが店長を任されている店は、どれもピンサロやキャバクラの類だったはずだ。
男のサンジをどうしようと言うのか。
「いや、今ある俺の店じゃねェ。新しく出店予定のがあるんだ。そこでぜひキンパツくんに働いてもらいてぇんだ。キンパツくんなら絶対売れっ子になる。」
新しく出す店、と聞いて、ゼフは僅かに眉を顰めた。
ホストクラブかメンキャバの類か? と内心であたりをつける。
「なァ、赫足。あんたもあれだけの容姿をただのコックにしとくのは惜しいと思わねぇか?」
「思わねェな。アレは
ばかばかしい、とばかりにゼフは一蹴した。
だがフォクシーも、何をそれほどサンジに執着しているのか、なかなか引き下がる様子を見せなかった。
「そんなら週に二、三回でもいい。ちょいと俺に預けちゃくれねぇか?」
「断る。」
ゼフの声が剣呑とした響きを帯びてくる。
「なァ、悪いようにはしねぇから。何だったら支度金を出してもいい。だからよぉ、赫足の。あのキンパツくん、俺にくんねェか?」
なおも食い下がるフォクシーに、ゼフは静かに切れた。
「しつこいぞ、銀ギツネ。チビナスはやらんと言ったのが聞こえなかったか。」
溢れる怒気を隠そうともせず、しかもゼフは、フォクシーの裏の通り名をわざわざ呼んだ。
途端に顔色を変えるフォクシー。
一瞬激昂する様子を見せて、けれどフォクシーはそれを押し殺して見せた。
「どうしてもダメかい?」
フォクシーが声にその本性を滲ませる。
「くどい。」
それをゼフは言下に切って捨てる。
「─────やァれやれ…。」
不意にフォクシーが、わざとらしいほど大きな溜め息をついた。
「バラティエのコックは女装してホモ売春してる、って噂がたってもか?」
それまでのへつらうような語調が、いきなりチンピラのそれになった。
「何だと?」
ゼフは思わず聞き返した。
フォクシーがフェッフェッと笑う。
「まさか知らなかったのかい? 赫足。あのキンパツくんはこの界隈じゃあちょっとした顔の悪党だぜ?」
フォクシーの言葉に、ゼフは何も答えなかった。
サンジの過去など、ゼフはもちろん知っている。
噂も知っていたし、サンジ本人からも包み隠さず聞いている。
けれどフォクシーは、ゼフのその沈黙を、ゼフが何も知らずショックを受けたもの、と、解釈したのだろう。ますます悦に入って言い募ってきた。
「あんたも知ってんだろ、ロロノアってぇ、筋モンでもねぇのに組のショバ荒ししてやがったチンピラ。あれのネコだったらしいぜ?」
そしてフォクシーは、ゾロがサンジに売春させていただとか、売春相手を強請っていただとか、麻薬の売人をさせていただとか、まるで見てきたような事を言い始めた。
挙句の果てには「末恐ろしい淫乱のウリ専ボーイ」だの「あんたの人の良さにつけこんでる」だの「金目のもん盗まれちゃいねェか?」だのと言い始め、「そんなガキを雇っていたら店の為に良くない」とまで言い切った。
ゼフの中で怒りがこみ上げてくる。
ゼフは、サンジを我が子のように可愛がっていた。
サンジのしてきた事は知っている。
だから、フォクシーが今言ったことがでたらめだと言う事もわかっている。
可愛いサンジのことを、悪し様に言われたことに、ゼフは静かに激怒していた。
それに、フォクシーが、サンジが“女装少年”だと知っているという事になると、サンジを欲しがっている理由も、先刻までのゼフの予想とはずいぶん色を変えてくる。
“女装してホモ売春をしていた少年”を欲しがる、という事は、女相手のホストなんかではなく、男娼として欲しがっていると見ていいだろう。
そんなところに、サンジを行かせる訳にはいかない。断じて。
「俺が怒鳴り出さねぇうちに失せろ、銀ギツネ。」
ドスのきいた低い声で、ゼフが言った。
さすがのフォクシーがびくりと全身を震わせる。
「あ、赫足…?」
「俺ァ、てめぇのその、姑息のようでいて正面から仁義きってくるところが嫌いじゃあねぇ。いったん懐に入れちまうと、どんな相手でもケツ持ってやろうとする心意気も買ってる。てめェの店の若いのやホステス連中はてめェを実によく慕ってるから、どの店も組系列とは思えねェほどまとまっててトラブルの少ない、カタギの入りやすいいい店だ。それは
「赫足、俺は、」
「だから。」
何かを言いかけたフォクシーを、ゼフが言葉を継いで強く遮った。
「だから今回だけは見逃してやる。失せろ。二度とチビナスにも俺にも近付くな。」
フォクシーが息を呑む。
「赫…足……、あんた…、もしかして知ってて手元においといてんのか…? なんで……」
「銀ギツネ、てめェの“目”が確かなのはよくわかってる。そのてめェがそこまで言うんだ、なるほどチビナスは磨きゃあ一流のホストだかブルーボーイだかになれるんだろうさ。だけどな、てめぇがアレをそう見たように、俺もアレをコックとして逸材だと見ている。あいつァいいコックになる。コックとして一番大切なもんを、あいつはちゃあんと持ってる。俺はアレを、コック以外の何かにするつもりはねェ。」
きっぱりと、ゼフはそう言い切った。
長い長い沈黙がその場を支配した。
やがて、フォクシーが大きなため息をついた。
「………………あんたァ、それでいいのか? 犯罪者雇ってんだぜ?」
ぼそっとフォクシーが言う。
その言葉を聞くや、ゼフは低く笑った。
「てめェ、何年この街にいる。ここは“そういう街”だろうが。」
子供に言い聞かせるような声だった。
「清濁併せ呑んで何もかもを受け入れるが決して甘えさせちゃくれねぇ。この街がそうであるように、俺もまたそうでありたいと思っている。」
愕然としていたフォクシーの顔が、ゆっくりと苦々しいものに変わっていく。
「ちぇっ。」とフォクシーが子供が拗ねるように舌を鳴らした。
もう先ほどまでのような狡猾そうな様子は掻き消えていた。
「……仕方ねェな…。この街であんたを怒らせたくはねェ…。」
いかにもがっかりしたように言う。
「なんなら、正式に俺から鷹の目に話し入れたっていいんだぜ? 銀ギツネ。」
「そりゃ勘弁してくれ。親父にナシ通されちゃあ、俺ァ降格されちまう。わかった、わかったよ。キンパツくんは諦める! 手は出さねェ!」
フォクシーは、ゼフの言葉に、慌てふためいた様子で応じて、それでも諦めきれない様子で、「ああ、ちくしょう…!」と独りごちた。
「まったく…。えらくチビナスに惚れこんでくれたもんだな。」
ゼフが苦笑する。
「俺にゃあ、アレに風俗が勤まるようにはとても見えんがね。」
「何言ってんだ…。あいつぁ、あの“女装少年”だろうが。あのガキ一人に何人もの大の大人が手玉に取られたってぇシロモノだぜ? カモられたってわかった後もまた会いてぇって奴までいる。俺もあの当時の姿は見たこたァなかったが…、あんたんとこのキンパツがそうだと聞いて、俺ァ小躍りするほど嬉しかったんだ。……あんたを怒らせたくはねぇが……俺はアレを諦めんのは…ちときつい。」
力なく呟くフォクシーの声が、サンジへの執着を口にする。
ゼフが戸惑うほどの、それは固執ぶりだった。
何がそれほどフォクシーを拘泥させるのか、ゼフにはさっぱりわからなかった。
ゼフにとってもサンジは可愛いが、だがそれはあくまでも息子としての可愛さだ。
ゼフの目に見えるサンジは、客受けする程度には見た目がそこそこいいだけの普通の少年に見える。
まあ、普通の、といってしまうには、サンジの過去の素行は少々やんちゃが過ぎるのだが。
それにしたってゼフにしてみれば小物もいいとこのガキっぷりで、とても、男を手玉に取るとか、淫乱だとか、そういう艶めいた表現とは程遠い。
ゼフとてこの街は長いのだ。自分の体一つで稼ぐ女も男も何人も知っている。
その中には、己の肉体のみでこの世界の頂点までのしあがった極上の娼婦だっている。
だが彼らに共通する独特のオーラを、ゼフはサンジから感じ取ることが出来ないのだ。
だから何故フォクシーがこれほどまでサンジに執着するのか、ゼフには全くわからない。
もっと言えば、ロロノア・ゾロのような、こすっからいとは言え性根からチンピラ気質に染まりきったような男が、サンジの為だけに悪事からすっぱりと足を洗った事すら信じがたい。
サンジがそれほどまでの魅力を持った少年だとは、ゼフにはどうにも思えないのだ。
或いはゼフがサンジを溺愛しすぎていて、その幼さにしか目がいかないせいかもしれないが。
ゾロといい、フォクシーといい、サンジからはヤクザ者を惹きつけるフェロモンでも出ているのだろうか。
「悪いが諦めるこったな。」
諭すように、ゼフはフォクシーの肩をぽんと叩いてそう言うと、当初の予定通り店のエアコンの電源を落とし、まだ棒立ちしているフォクシーの脇をすり抜けて、階段を上がった。
ビルのエントランスに戻り、正面から表通りに抜け、ぐるりとビルを周って脇の細い路地に入って、ビルの側面の階段を上がる。
もう、フォクシーは追ってはこなかった。
店への階段を上りきり、ドアに手を掛けたゼフは、そのドアを開けようとして首をひねった。
かけた覚えのない鍵がかかっている。
─────チビナスか…?
帰ったと思っていたが、忘れ物でもして戻ってきたか。
まさかさっきの話を聞かれちゃいないだろうな。
何かにつけ余計な気を回しがちなサンジを思い、ゼフは眉根を寄せた。
その表情のまま、鍵を開けて店に入る。
ぐるりと店内を見渡してもサンジの姿はない。
店にサンジが戻ってきたとして、誰もいなくてドアが開いてたからといって、施錠したまま帰ってしまう…だろうか。
どちらかといえばゼフの帰りを待つか、或いはゼフを探しに出るか…。
そこまで考えて、ゼフは思わず、むう…と唸った。
手近な椅子にどっかりと腰を下ろし、拳で自分の額をごつごつと叩く。
漠然と嫌な予感がした。
サンジのアパートに様子を見に行った方がいいような気がする。
そう結論を出して、椅子から立ち上がった時だった。
ゼフは、外から人の気配が階段を上がってくるのに気がついて、ドアに目をやった。
サンジか? と、すぐに思ったが、それにしては足音は複数だ。
訝しげに眉をよせるゼフの視線の先で、ドアが開く。
「サンジ…、………………青キジの旦那………?」
入ってきたのは、項垂れたサンジと、青キジだった。
その意外な取り合わせを、ゼフは瞠目して見ていた。
2007/08/12
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