■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【17】

 

再会、といえるほど、サンジは彼女と親しかったわけではなかった。

ただ、そのレディを見た瞬間、あ、この人知ってる人だ、と、サンジは思わず立ち止まってしまったのだ。

 

ゾロの元カノの人だ。

元カノ、というか、カノジョの中の一人、というか、例によってゾロと一回やったらおしまいになった人達の中の一人、というか。

でもこのレディは、サンジにもフレンドリーに接してくれた人だった。

ゾロと男女の仲じゃなくなっても、さばさばした性格からか、その後もたびたびゾロと飲みにいったりしていたはずだ。

そのうちの何回かはサンジも連れまわされたから、よく覚えてる。

最初にサンジの頭にピンクのバッテンのピン止めをつけてくれたのは、確かこのレディじゃなかったっけか。

よく女装したサンジのメイクもしてくれた。

 

思わずまじまじと見つめてしまったサンジに、レディの方も気がつく。

通りを行き過ぎようとしていたレディは、サンジを怪訝そうに見返して立ち止まった。

戸惑ったような顔が、みるみる驚愕に彩られる。

レディが何か言おうと息を吸い込んだ時だった。

「フジコー! おっはよー!」

レディの後方から、友達らしき別のレディが小走りに寄ってきて、ぽん、と肩を叩いた。

「あ、あ…おはよ、リリー。今日、同伴じゃなかったっけ?」

「それがさあーー、フーさん残業入っちゃってドタキャンよ、ドタキャン。」

リリーと呼ばれたレディはそう答えながら、フジコと呼ばれた方の視線の先のサンジに気がつく。

「あら、びしょーねん♪」

そう言ってから、またフジコに目をやって、

「なに、知り合い?」

と聞いた。

「知り合いっていうかぁ…。」

呆然とフジコが呟く。

 

「…ゾロのとこにいたキンパツくん、だよねぇ…?」

 

そのとたん、

「ええええっ!? この子、“女装少年”!?」

と、リリーが素っ頓狂な声を上げた。

 

わぁ、懐かしいフレーズだ。

 

「え、ほんとにぃ? ほんとに女装少年? こんなにおっきい子だったっけか? もっとちっちゃい子じゃなかったっけ? 確かに金髪美少年だけど…。」

リリーがアイカラーで綺麗に縁取られた目をいっぱいに見開いて、サンジの顔を穴が開くほど見つめる。

この言い方からすると、リリーも女装時代のサンジをそれなりに知っているらしい。

リリーの言葉に、フジコも横でうんうんと頷く。

「だからあたしも最初誰だかわかんなくてぇ、びっくりしてたのよぉー。おっきくなったよねぇ、キンパツくん?」

まるで帰省した近所の子に会ったおばちゃんのようなリアクションだ。

確かに、サンジはこの二年ほどでだいぶ背が伸びた。

毎日重い寸胴鍋を抱える腕には筋肉もついてきたし、少女と見紛うほどに丸かった輪郭もシャープになってきた。

月日とともに、“女装少年”の面影は、確実にサンジから失われつつある。

なので、サンジはちょっと恥ずかしいなあと思いつつも、

「おっきくなったんですぅ、レディ♪」

と、いつもの店での軽い調子で返した。

その動作がレディ二人の何かを刺激したらしい。

二人は一瞬、ぽかんと瞠目してから、いきなり、

「きゃあああああああん♪ かわいいいいいいいいいいいいいい♪」

と身悶えだした。

「やだ、キンパツくんが敬語使っておあいそしてるぅー!」

言われて見れば確かに、あの頃のサンジは、レディ達に話しかけられても無愛想に返答するだけだった。

つくづく失礼な奴だったなあ、と少し前の自分を振り返る。

「それに、その格好。今コックさんなの?」

フジコが不思議そうに言う。

今のサンジは、ディナータイムが始まる前にちょっとタバコを買いに出ただけなので、コックコートを着たままだ。

「そですぅ。あの、向こうのあの角のビルの二階の、バラティエってとこでコックやってます、レディ♪」

レディ達こそこれからどちらへ?と聞かなくても、二人のレディの華やかさに加えて、日も落ちたこんな時間のご挨拶が「おはよう」だったところからして、おのずとホステスだとわかる。

同じお店のホステス仲間、というところだろう。

これからご出勤というわけか。

今にして思えば、ゾロのカノジョのホステス率は結構高かったと思う。

もしかしたら普通のOLさんとかもいたのかもしれないが、ゾロの部屋に出入りしていたカノジョ達は、ケバいと言っていいほど派手な装いのレディ達が多かった。

あの頃は、女の人っていうのはみんなこんなもんかなと思っていただけだったが、繁華街で一年以上働いた今、サンジは、夜の蝶達が纏う特有の空気というものがわかるようになっていた。

気安く話しかけてくるこの人懐こさも、お水の女性特有のそれだ。

服装から、店の質も、たぶん、バーかクラブあたりだと何となくわかる。

「え、バラティエって知ってるー! フレンチのお店だよね。」

「ええー、あたしイクイク。イッちゃう。明日フーさんと行くわ。」

「ぜひどうぞー。ディナータイムは5時半からです。ランチもやってますよ。」

きゃあきゃあとはしゃぐレディ達に、サンジはにこにこと愛想よく答える。

 

ひとしきりバラティエの宣伝などしていると、不意にリリーが

「それにしても噂なんていい加減なもんねぇ。」

と言い出した。

サンジがきょとんとしていると、フジコも「そうよねぇ。」と相槌を打つ。

 

「誰よ、“ゾロは女装少年をヤクザに売り飛ばして外国に高飛びした”なんて言い出したのは。」

 

思いもかけないその言葉に、サンジは耳を疑った。

「はあああ????」

何それ。なんでそんな話しになってるの。

あわあわとうろたえていると、二人のレディが説明してくれた。

「去年の春ごろよねェ? ゾロを空港で見かけたって人がいて。」

「そうそう。なんかどう見てもヤクザと一緒だったって。」

……去年の春………それってスモーカーさんの事じゃないのかなぁ……

「それっきりゾロもキンパツくんもいなくなっちゃってさあ。」

「アパートはいきなり解約されてるしねえ?」

「なんか、つるんでた連中も知らないって言ってたし。」

……誰にも何にも言わずに行ったのか、ゾロ……

 

─────自分だけに言って、旅立ったのか。

 

「ちなみにキンパツくんに関しては、売り飛ばされた説の他に、ゾロの為にちょん切りに行った説ってのもあったわよね。」

ちょん切……イタタイタタ。

「あったあった。あと、二丁目で売れっ子になってる説と、政界のドンに囲われてる説。」

うわーあ。

「まさかこーんな近くにいたなんてねェ。」

「気がつかないはずよねェ。みんなが知ってるのは金髪の女子高生だもん。こんな立派なコックさんになってちゃあねぇ。」

二人のレディは、また、にこにこしながらサンジを見つめる。

それからふと、フジコが、表情を改めた。

「本当はさァ、ずうっと気になってたんだー、あの頃。」

なんだか少し泣き出しそうな顔で、フジコがぽつりと言った。

「あんたみたいな子供が、あんなとこにずーっといてさ。ゾロの悪さの片棒担がされてさ。ワケアリだったんだろうけど、ほんとはおうち帰してあげなきゃいけないだろうな、とか、学校行ってんのかな、とかさ。余計なお世話なのはわかってんだけどさぁ。」

「あ、いえ…。」

サンジは慌てて首を振る。

そして、「気にしないでください」と、にっこりと微笑んだ。

 

その時だった。

 

「おぉい、お前ら店の前で何やってんだ。」

聞き覚えのあるダミ声がした。

「あ、てんちょー。」

「おはよございますぅ、店長。」

サンジが驚いて振り向くと、すぐ傍のビルのエントランスから姿を現したのは、フォクシー店長だった。

「フジコもリリーも、店開く時間に道っぱたでくっちゃべってんじゃねェ…、と、おお、バラティエの別嬪さんじゃねぇか!」

フォクシーがサンジに気がついて顔を輝かせた。

「あ…、こ、こんにちは、フォクシーさん。」

唐突な登場に、サンジはびっくり顔のままだ。

「あァん? お前ら、バラティエのコックさんと顔見知りか。」

「うふふふー。昔のカ・レ・シ♪」

「あらぁ、あたしのカレシよねぇ?」

レディ二人がきゃらきゃらとふざける。

いまだにフォクシーが苦手なサンジは、これ幸いとばかりにレディ達に笑顔を向けて軽く頭を下げた。

「光栄です、レディ♪ お仕事前に声かけてすいませんでした。俺も店に戻りますね。」

「いいのよぉ、懐かしかったしー。」

「ほんとぉ、今度お店にも食べにいくね〜♪」

「はいぃ、是非ー♪」

「なんでぇ、帰っちまうのか? コックさん。」

フォクシーが不服そうな顔をしながら、なにやら誘うような素振りを見せているので、サンジは急いで、

「うちも、もうディナータイムですから。フォクシーさんもまたお店に食べにいらしてください。」

と、“お店に”を強調しながら笑顔でそれを躱し、再度、軽く会釈して、サンジはその場を立ち去った。

 

 

 

バラティエに戻ったサンジは、ちょっとタバコを買いに出ただけなのにうっかり長々と立ち話をしてしまったせいで、ディナータイムの準備を全部オーナーにやらせてしまっていて、オーナーにしこたま怒られてしまった。

おまけに、「タバコ買いに行くんならついでに“週刊ゴング”買って来い」と言われたのに、うっかり間違えて“週刊プロレス”を買ってきてしまっていたので、更に怒られたのだった。

 

 

 

 

その日の夜。

クロージング作業を終え、店を出たサンジは、帰宅途中、店にライターを忘れた事に気がついた。

別にそれがないとタバコに火をつけられないというわけではなかったが、そのライターは、バースデーにロビンからプレゼントされたもので、サンジ自身もとても気に入っていたものなのだ。

いつも携帯していたものが、手元にないとなると気になって仕方がない。

大した距離でもないのだし、と、サンジは店に引き返すことにした。

 

レストランが閉店する時間であっても、夜の街はまだまだ眠らない。

むしろこれからが本番、とばかりに華やいでいる。

サンジは、慣れた道を戻り、バラティエのビルの階段を駆け上がった。

「closed」の札が下がっている木製のドアを押す。

ドアは難なく開き、だから中にゼフがいるのだろうと、

「ジジィ、俺のライター見なかったー?」

と言いながら店内に入ったサンジは、予想に反して店内に人けのないのに気がついて、小首を傾げた。

「あん?」

どこ行った、ジジィ。風呂か?

 

店に寝泊まりしているゼフは、入浴は近くのサウナに通っている。

だが、風呂に出る時は店に鍵をかけていくはずなのに。

 

ボケて忘れたか?

 

仕方ない、鍵しめといてやるか。

そんな事を思いながら、サンジは店内をきょろきょろと見回してライターを探す。

「あ、あったあった。」

独り言を言いながら、厨房のキャビネットの隙間からライターを探し出し、ポケットに入れる。

 

─────それにしてもジジィ、どこ行ったんだ?

 

サンジが代わりに鍵をかけていってもいいが、もしゼフが鍵を持って出てなかったら締め出すことになってしまう。

何しろゼフは店に住んでいるのだから、締め出されちゃあ困るだろう。

 

「あ、もしかして地下か?」

 

バラティエの入っているビルは、古いビルなので、全てのテナントの配電盤は地階にある。

おまけにどういうわけか、店内の埋め込み型のエアコンのオンオフも地下まで行かなければできないのだ。

ゼフはエアコンが苦手だ。

地下にエアコンを止めに行ったのかもしれない。

 

いるかいないかだけ、ちょっと地下を見てこよう。

 

もしいなかったら、鍵をかけるなり、ゼフが戻るのを待つなりすればいいのだ。

どうせサンジだって急いで帰らなければならない用があるわけでもない。

サンジは、店を出ると、念の為ドアに鍵をかけて、階段を降り、ビルのエントランスに入った。

顔なじみになった、同じビルのキャバクラの黒服のおにいさんがタバコ休憩していて、サンジを見つけて「おつかれー」と声をかけてきた。

「おつかれさまっすー」とサンジも返して、エレベーターの脇の、階段のある重い鉄扉を開ける。

 

地下の階段を降りようとすると、どこからか誰かの話し声がするのに気がついた。

 

ビルの階段は、各階とも重い鉄扉が閉められていて、テナントとは完全に隔離されている。

客はエレベーターを利用するから、階段に入ってくる事はめったにない。

だから、ちょっとした密談にはもってこいだったりする。

時々は秘密の逢引や、先輩ホステスが後輩ホステスをいじめてたりもする。

 

話し声の感じから、どこかの店の従業員同士の密談か?と思ったサンジは、聞かないようにして、なるべく音を立てないように階段を降りた。

ところが、話し声はどんどん明瞭になってくる。

しまった、地下で話してたのか、と、サンジがそうっと引き返そうとすると、

 

「だからよぉ、赫足の。あのキンパツくん、俺にくんねェか?」

 

と、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

 

─────フォクシー店長!?

 

サンジがぎくりと立ち止まる。

 

「しつこいぞ、銀ギツネ。チビナスはやらんと言ったのが聞こえなかったか。」

 

更に聞こえてきた声は、まごうかたなきゼフのものだ。

その声は明らかに怒気をはらんでいる。

 

キンパツくん……チビナス……─────俺の…話をしてる…のか?

 

思わずサンジは息を殺して耳を欹てた。

 

「どうしてもダメかい?」

「くどい。」

媚びるような声とそれを切り捨てるやり取りがしばし続いたあと、

「やァれやれ…。」

と、フォクシーはわざとらしいほど大きな溜め息をついた。

 

 

「バラティエのコックは女装して売春してる、って噂がたってもか?」

 

 

 

嘲笑を含んだその言葉を聞いた瞬間、サンジの脳天から一気に血の気が引いた。

 

 

 

フォクシーのその言葉を理解した次の瞬間、サンジは思わずその場から逃げ出していた。

夢中で重い鉄扉を開けて、エントランスを突っ切って、夜の街にまろび出た。

それ以上そこにいて、話の続きを聞いてしまうのが怖かった。

 

だって…

だって、あれは……

 

─────脅しだ。

 

少ししか聞こえなかったけれど、でも、サンジは瞬時に理解していた。

ゼフはフォクシーに脅されていた。

よりにもよって、サンジの過去のせいで。

 

どうしよう……

どうしようどうしようどうしたらいいんだろう

 

ゼフが脅されていた。

サンジの事で。

 

噂にされる?

サンジの過去を?

 

サンジ自身は別に構わない。誰に何を言われようと。

だけど、その事でゼフに迷惑が掛かってしまったらと思うと、心の底からぞっとする。

 

─────“バラティエのコックは女装して売春してる、って噂がたってもか?”

 

そんな噂がもしたったら、…どういうことになってしまう?

 

どうしようどうしよう、と、口の中でぶつぶつ呟きながら、サンジは夜の歓楽街をふらふらと彷徨い歩いた。

蒼白な顔でおぼつかない足取りのサンジを、酔っ払いだと思っているのだろう道行く人が、嫌そうな顔で避けてすれ違う。

アパートに帰る気にもなれず、サンジはあてどもなく歩いた。

どうしよう、と繰り返しながら、どうすればいいのかさっぱりわからない。

ただそれしか言葉を知らないかのように、サンジは、どうしようどうしようと小さな声で何度も繰り返しながら、闇雲に茫洋と歩き続けた。

 

それは、明らかな逃避に他ならなかった。

 

心底ゼフに迷惑をかけたくないと思うのであれば、サンジは、バラティエを去るか、或いはフォクシーの要求を聞けばいいのだ。

ビルに戻ってゼフとフォクシーの間に割り込んで、フォクシーに真意を聞くなり何なりする事もできる。

サンジが立ち聞いたのは二人の会話のほんの一部、フォクシーがゼフに「サンジをくれ」と言い、ゼフがそれを固辞し、そうしたらフォクシーがサンジの過去をばらされてもいいのか、と言ったところまでだ。

サンジをくれと言うのがどういう意味なのかもわからなかったし、第一、フォクシーのサンジの過去の認識の誤り─────サンジは確かに女装して引ったくりをしていたが売春はしていない。もっとも、援助交際をちらつかせてカモを探していたのだから、大差ないといえばないのだが─────をフォクシーに糺す事もしていない。

それらの選択肢を何一つ選ばないまま、サンジはただ「どうしよう」ばかりを繰り返している。

 

 

怖かったのだ。

 

 

ゼフを失う事もバラティエを去る事も。

フォクシーの言葉の真意を知る事も。

 

怖くて怖くて、サンジは何も考えたくなかった。

けれど、聞かなかった事にも出来なくて、だから、サンジはただ「どうしよう」と呟き続けた。

それを口にしているうちは、なんとなく問題に向き合っているような気がした。

実際は全く逆だったけれど。

 

とぼとぼと彷徨い歩くサンジの足が、不意にぎくりと止まった。

 

サンジの目に飛び込んで来たのは、交番の赤い灯。

入り口で警官が仁王立ちしている。

 

その制服姿に威圧感を覚えて、サンジはその場に立ち竦んだ。

 

 

─────もしバラティエが女装少年を雇ってる、なんて噂が立ったら。

 

 

きっと自分はタイホされる。

バラティエに警察官がいっぱい乗り込んで来るのかもしれない。

お客さんはきっとすごくびっくりしてしまうだろう。

ひったくりって何罪になるんだろう。

窃盗? 強盗?

売春は? セックスしてないけど。

女装してたからって詐欺にはならないよね?

犯罪者を匿ったってジジィも逮捕されたりしちゃうんだろうか。

店が営業停止にはなんないよな?

ゾロは? 共犯になる?

 

混乱した頭は、想像をどんどん悪い方へと膨らませていく。

サンジは途方に暮れてその場に立ち尽くした。

 

─────いっその事、自首しようか。

 

そうだ、自首してしまえばいい。

自分から警察にいけば、少なくともゼフには迷惑はかからないかもしれない。

 

そんな風にも思い、けれどなかなか度胸も出なくて、サンジはただ交番の赤い灯を見つめていた。

 

 

どれだけそうしていただろうか。

 

 

「バラティエのにいちゃんじゃないの。夜遊びかい?」

 

だしぬけに声を掛けられ、サンジは飛び上がった。

振り返ると、電信柱かと思うほど高い人影が立っていた。

「あ…? えっ…、あ…青キジさんっ!」

見上げると、それは何度か店に来た事のある青キジだった。

いつも“お野菜のランチ”で、食後に必ず“お好みツインジェラート”を追加オーダーする客だ。

サンジは反射的に営業用の笑顔の仮面を被った。

客に会うと、もう無意識にそうする癖がついているのだ。

「こ、こんばんわ。こんな時間にお会いするなんて奇遇ですね。」

笑顔で挨拶をするサンジを、何故か青キジはどこか訝しげに見下ろしている。

「…あァ…、お前さん、店はー…あー…もう終わりの時間か。」

「はい。僕は帰る途中です。」

にこりと笑いながら答える。

「……そりゃまったく奇遇だな。俺も今仕事が終わって帰るとこでね。…送ってくか?」

「えっ、…」

思いもかけない申し出に、サンジは一瞬びっくりして、すぐにぶんぶんと勢いよく首を振った。

「いえ、とんでもない! 歩いて帰れるくらいすぐ近くなんで! ありがとうございます。大丈夫です。」

丁寧に断って、ぺこりと頭を下げる。

だが青キジは、

「そりゃあ…、ますます奇遇だ。実ァ、俺も送るなんつっといてチャリでね。職業柄2ケツはできねぇが…、押して歩くんで送ってくよ。お前さんみたいのが一人でふらふら歩いてるとタチ悪いのに絡まれそうだ。」

と、鷹揚にそう言って、

「チャリ取ってくるからちょっとそこで待ってなさいや。」

と、サンジの返事も聞かずにすたすたと歩き出した。

「えっ? あの、ちょっ…、」

バラティエによく来るお客様、というだけで、サンジは青キジの素性も何も知らない。

信用に足る人間なのかどうかも知らない。

いきなり強引に「送る」等と言われ、サンジの内心は俄かに警戒しだした。

ところが、青キジが向かった先を見て、サンジは驚愕した。

青キジは、なんとまっすぐ交番に向かって歩いていくではないか。

驚くサンジは、次の瞬間、更なる驚愕に包まれた。

交番の前に立っていた警察官が、青キジを見るや、背筋を正して敬礼したのだ。

「お疲れ様です! 警部殿!」

 

「…警…部…?」

 

サンジは呆然と呟いた。

 

「あァ…オツトメごくろーさん。遅くまでチャリ預かってもらっちゃって悪いね。」

「とんでもありませんっ! 警部殿の自転車はこちらにっ!」

直立不動で敬礼する警察官と軽くやり取りをして、青キジは、停めてあった自転車を引いてサンジのところに戻ってきた。

「待たせたね。」

「い、いえっ…、」

何とか首を振ったが、サンジの動揺は治まらない。

青キジに帰る方向を聞かれたが、サンジは動揺のあまり、その方角を指差す事しかできなかった。

青キジは特に気にした様子もなく、「んじゃあ行こうか」と自転車を押して歩き始めた。

サンジは慌ててその後を追う。

「あの、あの、青キジさんっ、あのっ…、」

追いかけながら、サンジは思い切って話しかけた。

 

「あの…、青キジさん…、警察の方、なんですか?」

 

「んん? …あァ、なんだ、お前さんとこのオーナーに何も聞いてなかったかい。」

青キジの返事に、サンジはただただ首を振る。

元よりゼフは客についてあれこれ言う方ではない。

「聞いてません…でした…。」

ああ、そうか、だから自転車の二人乗りできない理由が、“職業柄”なのか。

 

青キジさんが、警部さん。

 

「警部さん…て、偉い…んですよね…?」

「んあー、まあ、そうだな。下っ端ではねぇわな。」

 

サンジは心の中で小さな決心を固めた。

 

見知らぬ交番に出頭するのは怖いけど、青キジさんなら、少しは知っている人だし、それほど怖くはない。

 

「あのっ…!」

サンジは立ち止まって、ぎゅっと拳を握った。

情けないことに足がちょっと震えていた。

「あの、青キジさんっ…!」

サンジが突然立ち止まったので、青キジも少し先で立ち止まり、振り返った。

 

「俺…、俺、自首、したいんですけどっ…!」

 

振り返った青キジの顔が、大きく目を見開いた。

 

2007/07/11

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