■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫
【16】
「サンジさん、お誕生日おめでとう♪」
席にご案内したお客様に、いきなり小さな包みを差し出されて、サンジは驚いた顔を柔和な笑顔に変えて見せた。
「ああ♪ ありがとう、ロクサーヌ♪」
にっこり笑い、大仰な恭しい仕草でプレゼントを受け取る。
今年のサンジは『今日の主役』をつけてはいなかったし、誕生日を公言してもいなかったが、それでもこうして去年のことを覚えていてプレゼントを持ってきてくれるお客様がいる。
まだランチタイムの時間内だというのに、既にさほど広くない店内は、お客様方からの花で埋め尽くされんばかりになりつつあった。
店員と客とのボーダーが、一般的なフレンチレストランよりもゆるいのは、この店がいわゆる歓楽街にあるからだ。
客は、お目当てのクラブの店員に贈り物をするのと同じ感覚でサンジにプレゼントや花束を持ってくる。
サンジはそのどれもを嬉しそうに満面の笑顔で受け取っている。
その一方でサンジは、何も知らずに来店した客へのフォローも決して忘れない。
今日がサンジの誕生日とは知らずに来店して、プレゼントを持参しなかったことに恐縮、或いは疎外感を抱いてしまう客に、サンジは、「今日というこの日に貴女に出会えた事そのものが僕への最上級のプレゼントですー♪」等と軽い調子で話しかけている。
たった一年でよくぞここまで成長したものだ、と、ヒナは、奥のテーブルでお魚のランチに舌鼓を打ちながらサンジを感慨深げに眺めた。
まるで息子の成長を見るような、と一瞬思ってしまい、すぐにそれを内心で慌てて否定する。
─────やだわ、それじゃ、私が15才のときの子供って事になっちゃうじゃない。
けれどこの子は本当に、この一年でいっぱしの大人の顔をするようになった。
あでやかな笑顔の下に、全ての感情を押し隠して。
面差しもずいぶん変わったように思う。
痩せてたくせにどこか丸い印象のあった、サンジを少女めいて見せていた顔は、すっきりとして青年の持つそれになりかけている。
身長もだいぶ伸びた。
もう女装しても通用する身長は越し始めている。
毎日重い鍋やフライパンを扱うせいか、腕にはしなやかな筋肉がつきつつある。
そのくせ、どこか危うい印象はそのままだ。
サンジは今日で18才になる。
もうこの子は本当に、子供じゃなくなる。
ふう、と一つため息をついて、ヒナはまばたきするように、ほんの一瞬だけ、瞑目した。
誰にも、とりわけ小さな店内を優雅に泳ぐように給仕して回る大人になったばかりの青年に気づかれないように。
だがヒナのその微かな嘆息は、向かいに座る同行者にはちゃんと届いていた。
「ヒナ。気持ちはわかるけど、おいしい食事を前にそんな顔するのはよして。」
言葉はきついがその目はからかいを含んで、けれど気遣うように微笑っている。
「ロビン。」
ヒナが僅かに苦笑しながら顔を上げた。
今日ヒナは、バラティエにロビンと二人で来ていた。
女同士で気がねなく食事を楽しみたかったのもあるが、ヒナ自身が、どうしても一人では来にくかったせいもある。
今日というこの日に、ヒナはサンジに伝えなくてはいけないことがある。
こんなに頑張っているサンジにはとても…とても、酷な事を。
それを考えるとヒナは気持ちが重くなるのを禁じえなかった。
だから、ロビンについてきてくれ、と頼んだのだ。
ヒナから事情を聞いたロビンは、「ちょうどおいしいランチが食べたかったの。」と快諾してくれた。
ヒナとロビンが知りあいだと知らなかったサンジは、二人が連れ立ってきたのを見てとても驚いていた。
「ロビンの本はうちの出版社から出てるのよ」とヒナが教えると、サンジはしきりに感心していた。
けれど、恐らくサンジ自身無意識だったろう、サンジの仕草に、ヒナは気がついていた。
入り口にヒナを見た瞬間、サンジの目はヒナではなく、ヒナの後ろを見たのだ。
そして、現れたのがロビンだと知って、その目に落胆の色が走った。
ほんの刹那、本当に、針の先ほど一瞬のことだったけれど。
ヒナですら注意しないとわからないほど。
或いは、そのサンジの落胆の色すら、ヒナの罪悪感が見せた幻影ではないかと思えるほど。
それほどに、その後のサンジの笑顔と応対は完璧だった。
この一年ですっかり身につけた、洗練された優雅な仕草で、ヒナとロビンを奥のテーブルにエスコートしてくれた。
目の保養になるウェイターときめ細かな給仕とおいしいランチ。
向かいには気楽な女友達。
心の中のたった一つの憂いさえなければ、最高のひと時だったのだ。
「あなたの食べてる“お野菜のランチ”、おいしそうね、ロビン。」
ヒナはわざと話題をそらして、ロビンの手元を指差した。
「おいしいわよ? 春野菜のロールキャベツ。中、お野菜ぎっしりでヘルシーで。あなたの“お魚のランチ”は?」
「あん肝のフォアグラ風ガレット。あん肝のソテーの上にあん肝のテリーヌが乗ってるの。フォアグラよりこっちの方が好きな味だわ、私。」
「そう、それはよかった。」
にっこり笑ってロビンが食事を続行するので、ヒナも頭の中から強引に憂いを追い出して、食事に専念することにした。
ともかくも、こんなおいしいランチを上の空で食べるなんて、もったいないと思ったから。
だからヒナは、その後は、心行くまでランチを堪能して、ロビンともお互いにひと時仕事を忘れて楽しくおしゃべりして、最後のデザートまで残らず平らげた。
食事を終える頃には、店内はすっかり客も引いて、ランチタイムも終わろうとしていた。
ヒナとロビンも身支度をして席を立つ。
それを見て、サンジが素早くレジに入る。
レジで会計を済ませた後、
「ちょっとだけいい? サンジ君。」
と、やっとヒナは切り出した。
「はぁい、何でしょう〜?」
語尾に♪がつきそうな浮かれた調子で、サンジが小首を傾げた。
「ゾロの事なんだけど。」
ヒナの来店で予想はしてたのか、サンジは、ゾロの名が出ても動揺の色を見せなかった。
それでもヒナがその後を言い淀み、なかなか続けられずにいると、サンジの瞳がせつなそうに揺れた。
「もしかして…、ゾロ、帰ってこない…のかな?」
静かな微笑を浮かべて、サンジが聞いてくる。
その微笑みはあまりに痛々しかった。
「ごめんなさい。連載が好評で、ゾロの契約は一年延長になったの。来年まで帰ってこれないと思うわ。」
それは半分は本当だったが、もう半分は本当ではなかった。
確かにスモーカーとゾロの連載は好評で、結果的に企画は延長となったが、一年延長、と決めたのは、編集部の意向ではなく、ゾロとスモーカーの意向だった。
まだ撮りたいものが撮れていない、というのが、その理由だった。
ならばゾロだけでも帰国させようとヒナは働きかけたのだが、ゾロもまた、スモーカーと同じ事を言った。
曰く、「まだ書きたいものが書けていない。」
書きたいものって何よ、とヒナが聞くと、ゾロは要領の得ない答えばかりを返してきて、納得行かずにキレたヒナが、「あんたも物書きの端くれならわかるような言葉でちゃんと話しなさい!」と怒鳴ったら、逆切れしたゾロがやけっぱちのように、
「ラブレターだ! 俺からアイツへの!!」
と、怒鳴り返してきて、ヒナは思わず目が点になった。
ゾロの方も、言った瞬間に後悔したらしく、「今のは言葉のあやだ」とかなんとか、らしくもなくごもごもと言い訳していたが、要するにそういう事なのだろう。
ゾロは自分のサンジへの想いを綴れるようになるまで、サンジに会うつもりはないのだ。
そこまで覚悟しているのなら、と、ヒナは、連載続投を許可した。
あまつさえ、こうしてゾロの事を謝罪に、バラティエに訪れている。
一人で来る勇気がなくて、ロビンを付き合わせてしまったところはまぁ、我ながらヘタレだったと思わなくもないが。
ごめんなさい、と頭を下げたヒナを、サンジは慌てて遮った。
「よしてよ、ヒナさん! 俺大丈夫だから!」
だから頭を上げて、と穏やかな笑顔でサンジは言う。
その笑顔に、本当にごめんなさい、と心の中でもう一回詫びてから、ヒナは、
「ゾロもね、“すまない”って、あなたに伝えてくれって。」
と告げた。
サンジの瞳の中に、また感情が揺れる。
微笑を浮かべているのに、その瞳だけはまるで置き去りにされた幼な子のように不安げに揺らいでいる。
思わず抱きしめて慰めてあげたくなるような衝動をこらえて、ヒナはハンドバッグを探って、小さな紙包みを取り出した。
「これ、ゾロから。たぶんバースデープレゼントのつもりだと思うわ。」
リボンも何もかかっていない、片手で握れてしまうほどの小さな小さな紙包み。
それを、サンジは大切そうに両手で受け取った。
そして、見る者が思わずハッとするほど綺麗な、透明な笑みを浮かべて、
「ありがとう。」
と、震える声で言った。
その笑みの美しい残像は、ヒナとロビンの心に深く焼き付いて、その後しばらく離れなかった。
◇ ◇ ◇
ランチタイムが終わると、バラティエはアイドルタイムになる。
この間にゼフとサンジは遅い昼食をとったり、ディナータイムの仕込みをしたり、休憩をとったりする。
賄いを作るのはゼフとサンジが交代でしている。
今日はサンジの誕生日だから、ゼフが賄いを作っている。
サンジはそれをテーブルで待ちながら、手の中の紙包みを眺めていた。
ゾロからの誕生日プレゼント。
ゾロがサンジの誕生日を忘れてなかった事が嬉しかった。
ゾロの帰国が延びた事にはがっかりしたが、少しだけほっとしたことも事実だ。
だってサンジはまだゾロにあげるコンソメを完成させていない。
そりゃあ、それがありのままの自分だから、もう焦ったり取り繕おうとは思わないけれど、だけど、サンジだって男だから、大好きな人にはかっこ良くなった自分を見せたい、くらいの見栄はあるのだ。
想いに耽りながら、サンジは我知らず手の中の包みをもてあそんでいたらしい。
ころん、と、何か転がる音に、サンジははっと視線を落とした。
紙包みがほどけて中身がテーブルの上に転がっている。
包みは封などしておらず、ただ中身を紙に丸め込んだだけだったらしい。
よくよく見れば、その紙も手帳か何かを破っただけのものだ。
何か書いてある、と、広げてみると、ボールペンで、
『Happy Birthday SANJI ─────ZORO』
とだけ書き殴ってある。
久しぶりに見るゾロの字に、サンジは懐かしさで胸が熱くなった。
それにしても…
「…これ、なんだろう…?」
サンジは転げ出たものを見て首をかしげた。
「天使だ。可愛い。」
手の中にすっぽり納まってしまうほどの、小さな小さな陶製の人形。
金髪巻き毛で、背中に小さな白い羽根を持った、可愛らしい天使の人形だった。
ゾロが買ったにしてはあまりにも可愛らしすぎる上に、買ったのなら包装くらいされていてもよさそうだ。
それに、これは一体なんなのだろう。
サンジの頭に真っ先に浮かんだのは、
─────がちゃがちゃの景品…?
だった。
それほどに小さかった。
がちゃがちゃか、コンビニの食玩、といった感じだ。
だが、さすがに海外にがちゃがちゃはないような気がする。
それに、がちゃがちゃなら材質はプラスチックだろうが、この人形は陶器だ。細工も細かい。
見る者の心を和ませるような、可愛い子供の天使の人形。
くるんくるんの金髪巻き毛に青い目で、ほっぺたぷっくり、おしりもぷりん、だ。
よく見ると手に何かプレゼントのようなリボンのかかった箱を大切そうに抱えている。
背中にくっついたちっちゃな羽根がまた可愛らしかった。
手のひらに乗せてサンジが飽きず眺めていると、ゼフがでかい丼を二つ持ってやってきた。
「おら、飯だ。─────なんだ?そりゃ。」
「天使ちゃん。俺の誕生日プレゼント。」
ゼフがテーブルの上に丼を置く。
丼の中を覗いてサンジが歓声を上げる。
「ステーキ丼だー!」
ほかほかご飯の上に、旨そうに焼けたサイコロステーキがごろごろ入っている。
その上に、あん肝のテリーヌが乗っている。
実はステーキもテリーヌも、端っこの、客には出さない切り落としの部分だ。
でもこの切り落としたとこが旨いんだよなー、と、サンジはホクホク顔で丼を引き寄せた。
ゼフは、テーブルに広げてあった、天使を包んでいた紙切れを見ている。
「あのチンピラが帰って来たのか?」
「…ううん。ヒナさんが、持ってきてくれた。ゾロ、帰国が延びたんだって。」
サンジが少し伏せ目がちでそう言うと、ゼフは、フン、と鼻を鳴らした。
それからゼフは、天使を手にとって眺める。
サンジはステーキ丼に箸を突っ込みながら、
「なんかゾロにしちゃやたら可愛いプレゼントだよなー。どんな顔して買ったんだか。」
と独りごちた。
「買ったもんじゃねェだろう、これは。」
不意にゼフが言ったので、サンジは驚いて顔を上げた。
「ジジィ、ソレが何かわかるのか?」
「こら、お前、“フェーブ”だ。」
ゼフの答えに、サンジが目をぱちくりさせる。
「ふぇー…ぶ…?」
「いつだったか、ガレット・デ・ロワの話をしたろう?」
「ああ、うん、ケーキの中に指輪を入れて、それを引き当てたら王様になる奴。」
「指輪はイギリスのクリスマスプディングだと言ったろうが。ガレット・デ・ロワはこういう陶器の人形を入れるんだ。」
「へえええー。」
「おおかた、チンピラどもは新年にフランスかスイス辺りにでも行ってたんだろう。ガレット食って、チンピラがこれを引き当てたんじゃねェのか?」
「へええええー。」
サンジはゼフから天使を受け取って、それをもう一度まじまじと見た。
「ガレット・デ・ロワってこんな人形入れるんだ。へー。」
ケーキを食べてこれが出てきたときのゾロの顔を想像してサンジは少し笑えた。
以前のゾロだったら、こんなものを引き当てたとしても、すぐ捨ててしまったろう。
それを捨てずに2ヶ月も持っていて、サンジにくれようと思ってくれた事が、何だかサンジには嬉しかった。
「フェーブを引き当てた奴は、一年を祝福されるんだ。それをてめェに送ってきたっつう事は、あのチンピラがてめェの今年一年の幸せを祈ってるっつう事なのかもしれねぇな。」
いかにもおもしろくなさそうに、ぶすっとしてゼフがそんな事を言ってくれたもんだから、サンジは思わず泣きそうになってしまった。
サンジの一年に幸多かれと。
ゾロが。
潤んだ目で、サンジはいつまでもくすくすと笑い続けた。
◇ ◇ ◇
成田空港。
「渡してきたわよ。」
ヒナが告げる目の前には、ゾロとスモーカーの姿。
「ああ。」
「…ほんとに会わなくてよかったの? …せっかく…せっかく日本に…いたのに。」
実はゾロとスモーカーは、契約延長と諸々の手続きのため、一週間前から日本に帰国していた。
ヒナの縋るような目を、ゾロはちらりと見て、目をそらして
「…悪い。」
と詫びた。
思いもかけないほど殊勝なゾロの態度に、ヒナが瞠目する。
あのゾロが。
誰かに詫びる日が来るだなんて。
この一年で、ゾロもまた確実に変わっていっているのだと、ヒナは思った。
ゾロとスモーカーは、そのまま出発ゲートへと去っていく。
二人の姿を見送りながら、ヒナはぼんやりと呟いていた。
「だけど、ゾロ…。なるべく早く迎えに行ってあげてね……。」
あんなに哀しい笑顔は、もう見たくないから。
2007/02/07
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