■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【14】

 

年の瀬ともなると、飲食店は俄然目の回るような忙しさになる。

これまで日参する勢いだったフォクシー店長も、さすがに自分の店が忙しいと見えて、顔を見せなくなっていた。

自治会長のシャンクスもそういえばここんとこ顔を見ない。

忘年会の予約がいっぱいで年内の休みが一切なくなったカルネも来ないし、クリスマスケーキの予約が明らかに受注限度を超えているパティは、顔に死相を浮き出させて自分のケーキ屋に自ら軟禁されている。

ギンの保育園はホステスさんをママに持つ子が多いので当然この時期は文字通り24時間体制だし、リーマンのコーザも年末進行でばたばたしている。

 

もちろん忙しいのはバラティエも例外ではなく、サンジは比喩でなく忙しさに目を回していた。

繁華街のフランス料理店ともなれば、ロマンティックな聖夜に恋人と過ごしたいというお客様のおかげで、20日辺りから予約はびっちりだ。

恋人たちに最高の夜を演出すべく、ゼフとサンジも気合は入りまくっている。

今日も今日とて、クリスマスディナーのコースの最後に出すアントルメをどうするかでゼフとサンジは額をつき合わせて考え込んでいた。

「去年はどんなんだったんだ?」

「天使のムースだ。」

「どんなんだ?」

ゼフのいかつい顔から“天使”等という可憐な単語が出てくると、その破壊力はかなりのものだ。

「カラメルのムースだ。中に洋ナシのコンポートが入ってて土台はチョコスポンジだ。ホワイトチョコで天使の羽つくって、こうやって広げた形に飾ってな。」

「うわ、なにそれ、旨そー♪」

「なんなら後で作ってやるからてめェでも覚えろ。」

「了解。おととしは?」

「おととしは何だったか…ああ、クレープシュゼットだ。クレープにグランマルニエソース。アイスクリームを添えて、フランベして青い炎が出てる状態で客に出す。」

「おお、ロマンチックだな。けっこうやるな、ジジィ。」

「褒めるな、照れる。さて今年はどうしよう、ってな話だが。」

「ロマンチック路線は外したくねェな。大切だよ、ロマンチック。」

そして二人でうーんと考え込む。

しかし実はゼフの方は考え込んでる素振りをしているだけで、その目はじっとサンジを見ている。

コック歴こそ短いが、サンジには、それを上回るほどの濃密な内容を叩き込んできてある。

この一年でサンジがそれをどれだけモノにできたか、ゼフは見極めようとしていた。

「せっかくのクリスマスだもんな。来たお客さんみんなに幸せな気分になってもらいたいもんな。」

にぱっと笑うサンジの顔は実に可愛らしい。

「あ! なァジジィ、俺、前に本かなんかで読んだんだと思うんだけど、ケーキの中に指輪入れるっての聞いた事あるぜ? 指輪入りのケーキに当たったら王様になれるとかそんなやつ。」

「そりゃクリスマスプディングとガレット・デ・ロワの話がごっちゃになってるな。指輪入れるのはイギリスのクリスマスプディングだが、王様になるのはフランスのガレット・デ・ロワだ。」

「……違うもんなのか?」

「クリスマスプディングはドライフルーツとかナッツの入った、まあ蒸しパンみてぇなやつだ。ふわふわのじゃなく、もっとずっしりがっちりした奴。ブランデーをしみこませて一ヶ月以上熟成させて作るんだ。イギリスの家庭料理だな。」

「一ヶ月以上熟成させるんじゃ今からじゃ無理だな。ガレット…なんとか言うほうのは?」

「ガレット・デ・ロワ。直訳すると“王様のガレット”だな。アーモンドクリームのパイに陶器の人形入れる。でもそいつぁクリスマスのケーキじゃねェ。正月のケーキだ。」

「え、クリスマスケーキじゃないの?」

サンジがきょとんと小首をかしげる。

「クリスマスケーキっつっても間違いじゃねぇんだがな。日本のクリスマスは24、25日だけの行事だが、ヨーロッパじゃクリスマスってのは25日から年越しの行事だ。25日から1月6日までがクリスマス。ガレット・デ・ロワは1月6日に食うケーキだ。」

「へええー。」

がれっと・で・ろわ、とサンジは小さく口の中で復唱する。

ゼフは、そんなサンジを見ながら、キリストの公現節(エピファニー)の説明をすべきかどうか悩んで、やめた。

どこから説明したらいいかわからなくなったからだ。

まさかサンジもここで「主の教え」を聞かされても困るだろう。

「そんならフランスのクリスマスはどんなケーキ食うんだ?」

「まあ、一般的なのは、ブッシュ・ド・ノエルだな。」

「あー丸太の形したやつな。んーー。なんかピンとこねぇんだよなあ。」

うーん、とサンジが腕組みして考え込む。

サンジたち料理人が作る菓子は、アントルメ・ド・キュイジーヌと呼ばれ、菓子職人が作る菓子アントルメ・ド・パティストリーとは区別される。

通常、アントルメ・ド・キュイジーヌはムースやマチェドニア等、作ってすぐ食べるようなものが多いのだが、ゼフはそういったことに拘らず、スポンジケーキの類もよく作った。

「こないだジジィが作ったあれ旨かったな、クーベルチュールチョコレートの、」

「ガトーショコラか。」

「うん、それ。チョコはいいんじゃねえかな。コーヒーにもワインにも合うし。」

「じゃあ、ガトーショコラにするか?」

「んー、いやちょっと待って。なんかもう少し考える。」

そしてサンジはまた考える。

「何をそんなに考えてやがんだ?」

ゼフが尋ねる。

「コースの締めにチョコレートはなんかいい感じな気がするんだけど、何か足りねェ気もするんだ。」

しきりに小首をかしげている。

「ロマンチックが足りねェのかな。クリスマスだろ、聖夜だろ、らぶらぶカップルだろ、これからホットな夜だろ……。」

ぶつぶつ呟いていたサンジが不意に押し黙る。

「ホットな夜…。外は寒いけど二人の心はキャンドルの炎よりも燃え盛っているのさ…。」

再びわけのわからないことを呟き始める。

さすがにゼフが

「おい、チビナス…。」

と声をかけた。

パッと顔を上げるサンジ。

「ジジィ!」

「な、なんだ。」

「ガトーショコラじゃなくてさ、フォンダンショコラにしようぜ。フォークを入れると中からとろっと流れ出すあっつあつの濃厚なチョコレート。これから濃厚で熱々の一夜を過ごす恋人達にぴったり♪」

我が意を得たりとばかりに、サンジは目をきらきら輝かせている。

「ほう。」

思わずゼフも破顔した。

「デコレートは、アイスクリームか生クリーム添える…アイスの方がいいかな、絶対バニラだよな。それとも下にアングレーズソース敷いて、イチゴソースで模様描くか? イチゴは生の方がいいかな。ハートに切って可愛く飾るとか。ショコラの上にはイチゴは乗せたくねぇんだよなー。ショコラにはさ、パウダーシュガーで雪降らせるんだ。 生クリームとミントの葉を乗せたいとこだけど、そこをぐっとこらえてパウダーシュガーだよ。な?  いいと思わねェ? イチゴじゃなくフランボワーズでもいいよな。赤くて可愛いのを散らして。それとも皿の周りにチョコソースで、MerryXmas って書くか? ちとあざとすぎるか? それとも金箔散らすか?  ブランデーかラムソースで風味つけるのも面白いよな。ああ、だけどお客さんが服に零したりしないように持ってくときに一言いるよな。“レディ、こちらは僕の心の中のように熱いソースが出てまいります。貴女のフォークで僕を切り開き、その美しい唇でお召し上がりください。どうか一滴も僕の心を零さないで。ああ、貴女のその赤い唇はまるで…”───── 何だよ、ジジィ。」

独演会に発展しかけていたサンジは、ゼフがまじまじと自分を見つめていることに気がついて口を閉じた。

「サンジ。てめェ、そんだけ頭ン中で絵が出来てるんなら、アントルメはお前が作ってみろ。」

「ええ!?」

サンジは仰天して叫んだ。

「なんだ、できねぇのか?」

「でき…なくは…いや、でも…だって…そんな…。」

「どっちなんだ。」

「や、やらせてください!!!」

思いっきり言い切って、サンジは内心でちょっとビビったりもしている。

だが、せっかくのチャンスだ。

ゼフがやらせてくれると言っている。

「よろしくお願いします!!」

頭を下げたサンジの体がふるっと震えた。

武者震いって、きっとこういうのだ、とサンジは思った。

 

 

もちろん、サンジの作ったフォンダンショコラが客達に喜ばれたのは言うまでもない。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

「金色?」

スモーカーはカメラをいじっていた手を止めてゾロを見た。

「ああ。」

「金色の、何だ?」

聞き返されて、ゾロは壁に背をもたれて座ったまま、虚空を見据える。

「…何だろうな。とにかく金色だ。それしか出てこねェ。」

「お前の原風景か。」

「原風景…かどうかはわからねェが…、俺の魂が還る場所というなら、俺はそこに還りたいと思う。」

「つっても、“金色”だけじゃあなあ。」

そう言いながらも、スモーカーにはゾロの言う“金色”がなんなのか、朧気にはわかっている。

あの日、レストランで見た金髪の少年。

ゾロの持つ金色のイメージは、全て彼に帰結するのだろう。

「こないだの“月”はお前の金色にならなかったか?」

「…思い出しはした。けど、月の光は眩しすぎる。あんなに眩しい金色じゃないし、夜を照らすのはなんか違うと思う。」

「んじゃ真昼の月か?」

「真昼の月は金色じゃねェ。」

即答するゾロに、スモーカーもなるほど、と頷く。

どうやら、ゾロの中で、今まで漠然としていたらしい“金色”は、ここに来てはっきりと形作ったらしい。

だが彼自身、それがどこに行けば撮れるのか、わからないのだ。

「金色ねェ、金色。ライオンのたてがみ。」

スモーカーの例題に、ゾロは黙って首を振る。

「金色の目。…は、お前さん自身だな。」

これはスモーカーが自分で突っ込む。

「金の砂漠は? 砂が風に舞って金色に光るんだ。」

「砂漠…は違う。もっと潤うようなイメージだ。優しくて…ふわふわして…。」

「ふわふわねぇ。ヒヨコみたいなふわふわか?」

一瞬、ぴくりとゾロの肩が揺れる。

おや? とスモーカーは眉を聳やかす。

ゾロは、視線を手元に落とした。

何も持っていない右手を、握っては開く。

「………ヒヨコ…は、違う。………還りたいとは…思ってない。」

“ヒヨコ”に何かあるらしい、とスモーカーは思ったが、それは口にださない。

ふぅん。と、小さく言う。

「じゃあ、麦畑だ。穂が金色でふわふわ。晴天だと見渡す限りの金色だぜ?」

「…それはなんか…ちょっと明るすぎるな…。少し違う…ような気がする。」

「難しいな。金色…金色…。金色の雨はどうだ? 撮るのは、ちと大変そうだがな。」

「金色の雨、か。ちょっと色っぽ過ぎるな…。妖艶な和服の女みてぇだ。」

「いいねぇ。今度それで一本書いてみろよ。あと金色のものって何があるかねェ。金色ー金色ー。」

金色の髪、とはあえて言わない。

「金色の空はどうだ。朝焼けとか金に光るぜ?」

「空…。」

ゾロがふっと遠い目をする。

「お。いい感じか?」

「近い…ような気はする…。金色で…蒼くて…。」

金色で蒼い、ときたか。

スモーカーは内心で苦笑した。

日本をたってそろそろ一年たつというのに、ゾロの中でサンジはいつまでたっても褪せない。

スモーカーにとってこの旅が、万人の原風景を追い求める旅であるのと同じように、ゾロにとってのこの旅はサンジへと行き着く旅だ。

なのにゾロは、一年もかけてようやく、それを形に出来ようとしている。

心の中で形が固まるのに、一年もかけたのだ、この男は。

スモーカーは笑いながらため息をついた。

 

「うし、じゃあ、行くか。」

 

「あ?」

どこに?という顔を、ゾロがする。

「てめェの金と青の原風景を撮りにだよ。忘れてやしねェか? お前さんのタイムリミットは一年だったはずだぜ?」

「あ…。」

ゾロの顔色が変わる。

帰国の刻限が近いことに、今気づいた、という顔だった。

「わかったら行くぞ。次の国だ。」

スモーカーに言われて、ゾロは愕然としていた。

 

自分はまだ何も掴んでいない。何一つ。

2006/12/22

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