■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【13】

 

─────どうしようもなく人恋しい夜がある。

 

 

何度目かの寝返りを打ったゾロは、ついに眠るのを諦めて起き上がった。

体が火照ったように熱くて寝つけない。

 

出国してから、こんな夜は何度となくあった。

もともと一人寝などろくにしたことのないゾロだ。

それが見知らぬ異国の地での生活を余儀なくされ、生理的な欲求は溜まる一方だった。

だが、出国してから─────もっと正確に言えばサンジがアパートを出て行ってから、ゾロは誰とも肌を合わせていなかった。

サンジに操立てしたつもりはない。

それほど高尚な自分でないのはゾロ自身がよくわかっている。

実際、出国してから何度も女を買おうと思った。

スモーカーは新しい国に行けばすぐにその手の店に行って手っ取り早く体の熱を鎮めたし、ゾロを一緒に誘う事もあった。

ゾロもそのつもりでスモーカーと共にぬくもりを求めに行ったのだが、それを果たす事はできなかった。

 

体は熱くなっていたのに、頭の芯が凍るほどに冷たくて、ゾロは女を抱くことが出来なかったのだ。

 

違う。

求めているのはこれじゃない。

 

欲望を吐き出したがる体に強引にストップをかける、ひどい違和感。

 

ついにゾロは、女の体を目の前にしても勃たなくなった。

 

勃起しない、というのは、ゾロにとって少なからずショックだった。

女と寝るしか脳がないと、よくよく自負していただけに、そのアイデンティティが根底から覆された気分だった。

もしや本格的にホモになったのだろうかと男娼を買ってみた事もあるが、結果は同じだった。

けれどそれもそのうちどうでもよくなった。

 

どうでもいい、と割り切ってからは、体の熱に悩まされる事もなくなった。

溜まったら自分で搾り出せばいいのだ。

自慰に慣れてしまうと、ゾロは、実は自分がそれほどセックスが好きでもなかった事にも気がついてしまった。

自然と一人寝も平気になっていた。

 

 

だが、今夜はどういうわけか頭の芯がぐらぐらと熱かった。

理由はわかっている。

見てしまった、サンジの写真のせいだ。

あれからサンジは何度もゾロの夢に現れた。

今までにサンジの夢を見たことがなかったわけではない。

けれど目の前に写真があるのとないのとでは、その残像に格段の差があった。

 

抵抗を覚えつつも、ゾロはあれから何度もバラティエのページにアクセスした。

作った笑顔でメニューを勧めるサンジの顔を何度も見に。

女体の前でぴくりともしなかったゾロの性器は、サンジの写真一つであっさりと勃ち上がった。

 

要するに自分の体はもう、サンジにしか反応しないのだ、とゾロは悟った。

自分はもうサンジしか抱けないのだ。

 

サンジの写真一つで、頭の中は沸騰したように熱くなる。

体中が燃えるようだ。

サンジの写真を見ながら、自慰に耽った。

まるで自慰を覚えたての子供のように幾度も自分の精で自分の手を濡らした。

そうしてようやく眠りについたのに、体の中でまだ熱が燻っている。

 

ゾロはため息をついて寝床を出た。

同じ部屋に寝るスモーカーや族長を起こさないように注意しながら、家を出る。

 

母国とは全く異質の、密林の中の村。

すぐ近くを川が流れていて、村は豊富な水と太陽の恩恵で成り立っている。

その川のほとりまで歩いていく。

夜の水辺は危険だから近寄ってはいけないと言われてはいたが、ゾロは、どうしても今すぐ、この体の火照りを鎮めたかった。

大きな満月が辺りを明るく照らしていて、川までの足取りに不安はなかった。

シャツを脱ぎ捨てて、ジーパンを穿いたまま、ゾロはざぶざぶと川に入っていった。

足がひんやりと冷たい水に晒される。

手で掬ってざばざばと顔を洗った。

顔を上げて、ふと夜空を見上げる。

金色の満月。

闇を照らす怜悧な金色の光は、どうしたってサンジの頭を思い出す。

何見たってサンジに見えるのかよ、と思わずゾロが自嘲した時、背後で微かな音がした。

振り向くと、少し離れた場所に誰かの人影がある。

人影の胸元に構えているものが、赤いランプを点滅させていて、なおかつ先ほどの物音がシャッター音だと気がついたゾロは、不機嫌そうに唸った。

「……撮ったのかよ。」

人影が笑う気配がした。

「なかなかいい絵だったんでな。」

悪びれもしないスモーカーの態度に、ゾロは小さく舌打ちをして、川からざばざばと上がってきた。

黙ってスモーカーの横を通り抜けて村に戻ろうとした時、

「ロロノア。」

スモーカーがゾロを呼び止めた。

「前に俺が言った事を覚えているか?」

「…あ?」

ゾロが怪訝そうな顔をスモーカーに向ける。

「俺が撮りたいものの話だ。」

「…“万人の原風景”、だろう…?」

「そうだ。万人の中にはお前も含まれてるんだぜ? ロロノア。」

そう言われて、ゾロは、以前スモーカーに言われた言葉を思い出した。

 

『お前の心の中も撮りたい。お前の心に繰り返し浮かぶものはなんだ?』

 

繰り返し、浮かぶもの。

 

ふわふわとした金色。

きらきらとした金色。

 

「金色の…」

 

柔らかくて優しくて、無邪気で幼くて、怜悧で大人びて、手のひらに乗るほどに小さくて、ゾロの全身を受け入れるほどに大きくて、冷たくてひんやりとした、あたたかい────────…

 

 

「─────金色の………」

 

 

それはまだゾロの中で形にならない。

 

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

月に一回、決まった日に、サンジは店が終わるなりダッシュで帰る日がある。

大体いつもは店にいる方が楽しくて、クロージング作業が終わってもまだサンジは、だらだらとゼフと過ごしたりしているのだが、この日だけは速攻で帰る。

 

ゾロのコラムの載ったグラフ誌の発売日だからだ。

 

前は、朝、本屋の開店と同時に店に飛び込んで買っていたのだが、家まで待ちきれずにバラティエでそれを開いてしまい、心はゾロの元に飛んでいったまま帰ってこなくなり一日中使い物にならなかったのだ。

だから今では、すぐ買いに行きたいのを一日ぐっとこらえて、バラティエが終わってから本屋に飛び込む。

ちょうどアパートまでの帰る道すがらに、遅くまで開いている本屋があるのだ。

お取り置き、というシステムを知ってからは、サンジは毎月レジに直行してすぐに目的の物を手にできるようになった。

受け取るや否や、飛ぶような勢いでアパートに帰る。

そして存分に浸るのだ。

 

待ちに待った今月のその日も、サンジは本を買って慌しく帰宅した。

靴を脱ぐのももどかしく本を取り出したくせに、中を開くのを惜しんで、少し抱きしめたりしてしまう。

それから呼吸を落ち着けて、本を開く。

もうお目当てのページを見つけるのも手馴れたものだ。

ぱらぱらとページをめくっていたサンジの手が、不意に止まる。

 

その写真を見るなり、ひゅっとサンジが息を呑んだ。

 

鬱蒼と茂る密林の夜。

大きな丸い月をバックに、川の中に半身を浸かった男が、月を振り仰いでいる。

月の逆光で男の顔は見えない。

ほとんどシルエットで人種すら判別できない。

誰だかわからないのに、サンジにはそれが誰だかわかった。

 

─────ゾ…ロ…。これ、ゾロ…、ゾロだ…。

 

月を見上げる男。

よく見れば月に照らされた肌の輪郭は筋肉の盛り上がりを見せていて、上半身裸であることが知れる。

水浴びでもしていたのか、髪から肌に水滴が落ちて、月光を反射させて光っている。

まるでモデルのような、芸術品のような、美しい体。

 

どくん、と心臓が鳴る。

 

一瞬のうちに、サンジはゾロの肌の熱さを思い出していた。

いつ触れても、まるで焼け熔けた鉄に触れているように熱かったゾロの体。

 

急に体が熱くなったような気がして、サンジは慌てて、両腕で自分の体を抱きしめた。

熱いのに、震えが止まらない。

憑かれたようにコラムを読んだ。

 

それは月に焦がれた男の話だった。

また御伽噺のような、不思議なトーンで書かれている。

 

月に魅せられた男は、月を手に入れ、月を抱く。

だが男の腕の中で、月は夜毎に姿を変える。

姿を変え続ける月を、男は愛し続ける。

けれどついに新月の晩、男は月を見失う。

月は変わらずにそこにあるのに、月の姿は男には見えない。

見えないものを、それでも男は愛撫し続ける。

やがて男の手の中で、新しい繊月が生まれる。

しかし新しく生まれ変わった月は、男に愛された記憶を失っていた。

男が誰であるかすらわからず、その腕の中であどけなく誰何する月を、男はあらん限りの力で掻き抱いて、尚も囁くのだ。

─────お前を愛している。

 

 

それは、今までのゾロのコラムとは比べ物にならないほど艶っぽい文体で書かれていた。

一歩間違うと官能小説になるのではないかと思うほど。

けれどよく読めば、どこにも具体的に艶めいた単語はない。

にもかかわらず、一気に読み下すと、まるで目の前で絡み合う一対の裸体を見せ付けられているような気がする。

「男」がゾロ自身だとはどこにも書かれていないのに、「月」が男だとも女だとも書かれていないのに、何故か瞬間、サンジの脳裏に閃いたのはゾロと美女が裸で抱き合っている姿で、途端にサンジの心は強烈な嫉妬に苛まれた。

ずきりと心臓に激痛が走る。

 

─────やだ…。やだよ、ゾロ…。こんなのやだ…。

 

ああ、自分はまだ全然ダメだ。

ゾロの傍に誰がいても、ゾロが自分じゃない誰かを抱いても、それでもゾロが好きだとそう思っていたはずなのに。

実際には、こんなふうにゾロが誰かに愛を囁くのかと思っただけで、サンジの心はたやすく嫉妬に炙られる。

もっと強くならなきゃいけないのに。

もっと頑張らなきゃいけないのに。

 

「ゾロ、ゾ…、ゾロ…、やだ…、ゾロおっ…!」

 

ただのコラムだとは思えなかった。

ゾロの心を吐露したものだとしか思えなかった。

「嫌だ…こんな…、誰かにこんな…こと、言ったらやだ…!」

物言わぬ写真のゾロに向かって、サンジは怒鳴った。

紙面にぱたぱたと涙が落ちる。

写真のゾロは向こうを向いている。

遠くの月を見上げている。

サンジの知らない誰かに焦がれている。

「やだ…、俺は、諦めねェからな…こんなことで負けたり…っ…、」

ひくっと喉がしゃくりあげた。

 

誰。

一体誰が。

こんな風にゾロの心を絡めとってしまったのだろう。

 

涙を拭う事も忘れて、サンジはもう一度コラムをゆっくり読み直す。

短い文章の中から読みとれはしないかと。

この国から遠く離れて、異国の地で、ゾロはこの相手に出会ってしまったのだろうか。

それにしては、まるでこの文章は悲恋のようだ。

変わっていく相手に対して、絶望的なほどに男は愛を囁き続けている。

繰り返される愛の言葉にサンジは動揺したが、よく読めば、男の恋はあまりに悲劇的だ。

月は男の手の中で幾度も姿を変える。

あげくのはてに男を忘れる。

「月」は「男」の手の中にいながら、「男」の傍にはいない。

空にある月がすぐ近くで輝いているように見えて、手が届かないように。

 

いつしかサンジの涙は止まっていた。

 

全体からダイレクトに伝わってくる雰囲気があまりにも艶っぽいから、つい見逃していた。

よく読めばこれは、届かない相手への愛の言葉だ。

胸が詰まるほどにせつないまでの。

 

ゾロがこんな恋をしているというのだろうか。

 

だとしたら、こんな風に想われている相手に、サンジはかなうはずがないとしか思えない。

だってゾロの心は全霊で愛を叫んでいる。

 

「……え?」

不意にサンジの目が止まった。

 

いったん戻ってもう一度読み直す。

同じ箇所で目が止まる。

 

「え……?」

 

「月が」「月は」と繰り返される中に、一箇所だけ「彼は」となっているところがあった。

 

「─────“彼”……?」

 

「彼女」ではなく、「彼」。

 

「男」は「彼」をかき抱く。

金の髪に指をくぐらせて。

 

瞬間、ぶわっとサンジの頭が熱くなった。

 

「まさか…。」

 

 

届かないところにいる、金の髪をした、「彼」。

 

 

「まさか…。」

サンジがもう一度ひとりごちる。

「これ……、俺……?」

 

くしゃりとサンジの顔が泣き笑いに歪んだ。

 

─────なァ、ゾロ…。俺、うぬぼれてもいい…?

 

蒼い瞳から涙がこぼれる。

 

自分かもしれないと思って読めば、文章はまたまるで違って読める。

 

男は「月」に囁き続ける。

どんな姿になっても愛していると。

例え君が僕を忘れても愛していると。

 

愛している、と。

 

サンジの全身を襲う震えは、なかなか止まらなかった。

だがそれは、悲しいからでもせつないからでもない。

 

ただ、恋しくて。

狂うかと思うほどに、ゾロが恋しかった。

 

「俺、頑張れる…。頑張れるよ、ゾロ…。」

 

だから俺がどんな風に変わってしまっても俺を愛して。

俺は「月」のように全てを忘れてしまったり、しないから。

 

「ゾロ…。」

 

写真のゾロのが見上げる先には、自分がいるのかと思うだけで、全身が震えた。

どんな顔で月を見上げているのか、無性に見たかった。

 

コラムの中の「男」は、月に絶え間なく愛を囁いている。

腕の中に閉じ込めて、愛撫している。

 

ふるっとサンジの体がまた震えた。

 

生々しくサンジの中に蘇る、ゾロの記憶。

冷たい目でサンジを突っぱねていた頃だって、ゾロから感じるのはいつだって“熱さ”だった。

熱い吐息、熱い肌。サンジを貫く、熱い楔。

 

「ゾロ……。」

 

このコラムのように優しく抱かれたことなどなかったけれど、このコラムからは同じような熱が伝わってくる。

 

「…ゾロ……。」

 

我知らず、サンジの手が服の中に滑り込む。

もうそこは半ば熱くなり始めていた。

ゾロに触れられていることを想像しながら、サンジは自分に触れる。

 

「…ん、ゾ…ロ…、」

 

触れられたい。

ゾロに触れられたい。

このコラムのように。

「月」のように。

 

サンジは夢中で自分を慰めた。

手の中のそれは、ちゅくちゅくとはしたない音を立てている。

ゾロとしなくなってから、サンジは性欲が失せてしまったかのようにぱったりとこんな事もしなくなっていたのに。

「ゾロ、あ、…あっ…、」

コラムは、まるで吐息のように、「愛している」を繰り返す。

愛撫するような優しい文体。

サンジはその愛撫の痕を辿るように自分の体に触れ続けた。

まるでゾロに抱かれているみたいだ、と思いながら。

 

こんな風に抱かれて、「月」が「男」を忘れるはずがない。

例え忘れたって、きっと「月」は何度でも男に恋するに決まっている。

例え「月」がどんな風に姿を変えたとしても。

 

「…ゾロ……………愛してる……………。」

 

コラムの中のゾロに抱かれながら、サンジは達していた。

涙はいつまでも止まらなかった。

2006/12/14

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