■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫
【12】
シャンクスが中心の「商店街公式ホームページプロジェクト」は着々と進んでいた。
バラティエが参加を表明したことで、追従する飲食店も増えた。
当然、ホームページ開設記念の一番最初の特集はバラティエになった。
店の名前、“restaurant BARATIE ”。
業態、フランス料理店。
それからバラティエの入っているビルの外観の写真と、バラティエの店内の写真と、そこまでのアクセスマップ、電話番号。
営業時間はランチタイムが11:30〜14:00、ディナータイムが17:30〜22:00。
定休日、日曜。
オーナーゼフが最後まで渋っていたメニューは、ランチのコースとディナーのお任せの一例だけを載せた。
ようは見ている人が、こんな感じのお店で大体予算はこのくらいあれば大丈夫、という事さえわかればいいのだから、と、理解したサンジは、その範囲内で、ゼフの矜持に触らないように細心の注意を払って、ホームページに載せるメニューを作った。
そこらへんは全てサンジが一手に引き受け、出来上がったものをゼフに見せた時、ゼフは褒めもしなかったが、だめだとも言わなかった。
それどころか、自分の写真やプロフィールを載せる事は断固として嫌がったのに、シャンクスが悪乗りして、「ここんとこに“サンジくんの今日のオススメ”コーナー作ろうよ」と言ったときは、ゼフは人の悪い笑みを浮かべて賛成していた。
おかげで、サンジはにっこり笑顔でバラティエのホームページに納まるはめになった。
そしてその効果は、驚くほど大きかった。
ホームページが公開され、プレス発表があり、マスコミに取り上げられるようになると、バラティエの客は格段に増えた。
その中にサンジ目当ての客が少なからずいたことは言うまでもない。
元来いじられやすい性格のサンジは、客達のいいおもちゃでもあった。
そうして、サンジやバラティエを気に入ってくれた客の中には、そのまま常連さんになってくれる人もいた。
この頃よく来るようになったのは、あのフォクシー店長。
ヤのつく組関係の系列店の店長という事もあって、パティの店で会ったときは、パティが巧みにサンジが本当はバラティエの店員だということを言わないでいてくれたのだが、ホームページに顔写真が出たことであっさりサンジの居所を知ったフォクシー店長は、それから足繁くバラティエに通ってきてくれている。
ラストオーダー近くに来て、幾度となくサンジを閉店後のデートに誘いたがるのが困ったもんだが、まあ男など誘っても嬉しいもんでもないだろうから、サンジはすべてフォクシー店長の冗談ごとだと思って取り合わないことにしている。
それにあんまりしつこいとゼフがフォクシー店長に釘をさしてくれるのだ。
どうもフォクシーはゼフに一目置いているらしく、頭が上がらないらしい。
それから、青キジという人もよく来るようになった。
ランチタイムによく一人で来るのだが、何をしている人なのかはわからない。
来店する時はいつもスーツだが、サラリーマンにはあまり見えない。
シャンクスと顔見知りらしく、バラティエで顔を合わせたときに、シャンクスが「青キジの旦那」と呼んでいたのでサンジはその人の名を覚えた。
ベジタリアンなのか、いつも必ず「お野菜のランチ」。
もっともバラティエの「お野菜のランチ」はチーズや生クリームを使ってあることが多いので、厳格なベジタリアン向けではあまりないのだけれど。
そして青キジさんは、食後に必ずアイスクリームを頼む。
それも、「お好みツインジェラート」という、カップルや家族でのお召し上がりを想定してある、二種類のアイスがてんこもりにガラスボウルに入った奴を。
よっぽどアイスクリームが好きなんだろう。
もちろん、以前からの常連さん達も、変わらずに来てくれる。
新しいお客様も大切だけれど、いつも来てくれる常連さんもとても大切だ。
バラティエの味を熟知している常連客たちに、「バラティエは儲かるようになってから味が落ちた」などと言わせてはならない。
ゼフは客が増えても料理のクオリティは決して落とさなかった。
自然とサンジの仕事も増える。
前にも増してサンジは忙しくなった。
ホームページに乗ったことで、電話の問い合わせや、取材の申し入れなどの細かい対応もサンジの仕事になった。
その一方で、オーナーからの、コンソメを含めたコックさん修行は、相変わらず毛の先ほどの手抜きもない。
どころか、ますます苛烈になる。
忙しくなるのは嬉しい。
頑張りがいがあるし、忙しくなればなるほど、心の中の一抹の寂しさを忘れていられるから。
けれど、くたくたに疲れてアパートに帰り着いて、一人になったとたんにサンジを襲う寂しさも倍加した。
会えない寂しさは日々募るばかりだ。
忙しくなればなるほど、会いたくてたまらなくなる。
─────ゾロ…。
バラティエでの別れの間際、ものすごい力でゾロに抱きすくめられたのを思い出す。
力任せの強い強い抱擁。
まるでサンジを抱き潰そうとしているかのように、ゾロの力は強かった。
耳のすぐ近くでした、ゾロの荒い息遣い。
手負いの獣が痛みを必死で堪えているような、そんな息遣いだった。
サンジの髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、ゾロはその中に顔を埋めて、思い切り息を吸い込んでいた。
サンジのにおいを忘れまいとするかのように。
あの時のゾロの力強さは、まだサンジの体に残っている。
─────会いたい……………
鼻の奥がつぅんとしてくる。
そんな時は必ず、サンジはゾロのコラムの載ったあの雑誌を引っ張り出しては眺めた。
ゾロのコラムはもう何度も何度も読んだ。
今月号のも先月号のもその前のも、何度も何度も読み返して、もう一言一句空で言えるほどだ。
それでもサンジは飽きずに何度でも本を開いた。
『コラム/ロロノア・ゾロ』の文字を、もう何度指でなぞっただろう。
ゾロに会えなくなってから、もう半年たつ。
もう半年、なのか、まだ半年、なのかわからない。
あと半年したらゾロは帰ってくる。
けれど、あと半年たったら自分はゾロにふさわしい人間になれているのかどうか、それがサンジにはわからない。
わからないけれど、ゾロに会いたい。
会いたくて会いたくてたまらない。
もういいから。
ゾロも自分も、ふさわしいとかコックとかどうでもいいから。
だから会いたい。
何もかも投げ出して、ゾロに会いに行きたい。
そんな風にすら思ってしまって、そのたびにサンジは慌ててそれを否定する。
頑張る。
頑張るんだ。
くじけちゃいけない。
迷っちゃいけない。
頑張ると決めたのだから、だから、頑張るんだ。
何度も何度も心の中で反芻しながら、サンジは眠りにつく。
夢は時折、ゾロとの日々を蘇らせてくれて、サンジの心を甘く切なく疼かせた。
◇ ◇ ◇
いつものように、まとめた文章をメールで送信しようとノートパソコンを立ち上げたゾロは、ヒナからメールが届いているのに気がついた。
内容は、次号の使用写真や雑多な業務連絡といういつもと同じものだったが、いつもと違って、文末に唐突にURLが張られ、「↑開通したのでお知らせ」と書かれている。
URLを見て、ゾロはどきりとした。
ドメインに懐かしい街の名前。スラッシュを挟んで、restaurant、french、そして、「baratie.html」の文字。
あの街にある、サンジが働いているレストランの名前があった。
ほとんど反射的に、ゾロはそれをクリックしていた。
restaurant BARATIE
あの日確かに行ったそのレストランの写真が表示される。
ああ、タウン情報サイトか、とすぐ見当がついた。
料理やワインのメニューをずーっと下にスクロールして、─────ゾロの息が止まった。
「サン…………!」
そこに、あの日、店に行った時に見た、ソムリエエプロン姿のサンジが笑っていた。
ふてぶてしいほど綺麗な営業スマイルのサンジは、「今月のデザート」として「カボチャのブリュレ・蜂蜜アイスクリーム添え」を紹介していた。
短い文章の中に4回も「とってもおいしい」を連発していて、文章そのものもサンジの言葉であることが容易に窺い知れた。
フレンチレストランなのに、後半は何故か英国風紅茶に言及していて、
『ぜひデザートはアップルティーでお楽しみください。』
と結んである。
女性客を意識しているのだろう、ふわふわと浮ついた美辞麗句の鏤められたその文章は、ゾロの知っているサンジからは考えられなくて、それでいてサンジらしく細やかで温かい文章に見えた。
こんな風に女性にそつのないサンジを、ゾロは知らない。
ゾロの知ってるサンジは、ゾロ以外の誰ともあまり話をせず、どこか人間に対して警戒したような、怯えているような、そのくせ無防備で誰に対しても心を繕うことを知らない、そんなところのある少年だった。
女装させてサラリーマンに援助交際を持ちかけさせて財布をひったくらせていた時も、サンジはそれが犯罪という自覚をほとんどせず、子供のいたずらの延長のように、無邪気に罪を犯し続けていたように思う。
サンジが変わっていく。
それはゾロの中に微かな澱みを漣のように広がらせた。
サンジはこれからどんどん成長していく。
新しい世界を吸収しながら。
そうやって子供の殻を脱ぎ捨てて行く彼が、果たしてゾロが愛したサンジすらも脱ぎ捨てないと、誰が言えるだろうか。
いや、逆に、そうやって成長したサンジは、もはやゾロの存在など歯牙にもかけない可能性だってあるのだ。
蝶は、サナギから羽化するとき、青虫だった頃の記憶を全てなくしているのだという。
もし青虫だった頃、愛した誰かがいたとしても、その存在の事などすっかり忘れて、美しく華麗な蝶へと変身を遂げる。
例え蝶がその誰かを覚えていたとしても、蝶の姿はもはや、愛した者にとっては愛しい青虫のものではない。
それでも、青虫を愛した誰かは、その愛を貫くだろうか。
自分が愛した者が、自分の見知らぬ全く違う姿に変わってしまっても尚、愛は変わらないといえるだろうか。
ゾロの指が、ノートパソコンの液晶画面をそっとなぞる。
そこに映る、愛しい者の姿を。
指先が、金色の頭に触れる。
この髪はいつでもさらさらとしなやかだった。
あんまりさらさらで、よく、女達がつけたピン止めが止まらずに落ちてしまったりしていた。
バラティエで別れる時、どうしても耐え切れずに抱きしめて、この髪に指をくぐらせた。
あまりに力任せだったと気づいたのは、バラティエを出た後だ。
ゾロの指に、金の髪が何本か絡まっていた。
それをどうしても捨ててしまう気になれず、一日中指に絡ませたままにして、しまいには我ながら女々しいと思いながら、ティッシュでぐちゃぐちゃに包んで小銭入れの中にそれを入れた。
それっきりその小銭入れは二度と開かなかったので、まだちゃんと入ってるかどうかはわからない。
元々20円くらいしか入ってなかったし、国を出てしまった今となっては、母国の小銭が必要であるはずもなく、だからその小銭入れを持ち歩く必要もないのだが、その小銭入れは、今もポケットがやたらいっぱいついているゾロのズボンの左足の脛の辺りのスナップのついたポケットに、入れっぱなしになっている。
ズボンを洗う時も小銭入れは入れたままだから、きっと中のティッシュは凄いことになっているだろう。
指先が、画面の中の白い頬に触れる。
白磁器みたいに硬質な透明感のある肌なのに、触れると柔らかくて、あたたかくて、心地よかったのを思い出す。
女の肌とはまるで違う、どちらかというと、子供の肌に近いような感じだった。
そのくせ体温はゾロよりもずっと低くて、寒いのではないかといつも気になった。
時にはその体温の低さに苛立って、わざと寒さの中に放っておいた事もあった。
何故あんなに苛ついたのか、今ならわかる。
ゾロは、サンジのあの体温の低さが怖かっただけだ。
手の中に握りこんだヒヨコのぬくみにも似た、たよりなげな命の温度が。
本当は、それに苛立つよりも、ただ温めてやればよかっただけだったのに。
肌が冷たいのなら、自分の体温で、隙間もなく抱きしめて、温めてやればいいだけだったのに。
そうすれば、きっとゾロ自身も温かかったはずだ。
唇。
女達がこぞって彩りたがったのに、ゾロが絶対に許さなかったそこ。
いつもゾロが与えた色を乗せていた唇。
無理に色など乗せなくても、こんなにも瑞々しい色をしていたのか。
この唇に、ゾロは優しくキスをしてやったことがあっただろうか。
優しく抱いてやった記憶などない。
キスをしたかどうかも覚えていない。
あれは愛の営みなんかではなかった。
いつもゾロの一方的な陵辱だった。
けれどサンジはいつでもゾロを受け入れてくれた。
女のように柔らかくも潤んでもいない体で、けれど女よりもはるかに深く、全身で受け入れてくれた。
子供にありがちな、拙くて幼くて脇目もふらない一途な想いで。
それがあっという間に男の目になっていった。
それなのにサンジはまだ、ゾロを好きだと言う。
別れを告げたとき、この唇はわななきながらもきっぱりとそう言った。
いつまでもゾロが好きだと。
誰よりも好きだと。
ずっとゾロだけが好きだと。
もし本当にサンジが完全に羽化したあとでも尚、変わらずにゾロを求めてくれるのなら。
できることなら、今度はこの手の中でどこまでも甘やかしてやりたい。
どこまでも優しく、苦痛など微塵も感じないほどに優しく、抱いてやりたい。
「─────サンジ……。」
ゾロはいとおしそうな目で、画面の中のサンジの髪を撫で続けた。
その指先は、ほんの少し震えていた。
2006/12/12
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