■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫


【9】

 

銀座桜通りの桜は八重桜だ。

八重桜は、ソメイヨシノがもう散ってしまった頃に開花する。

幾重にも重なってぽってりと丸く咲いた濃い桃色の花は、ソメイヨシノのような楚々とした儚げな風情ではなく、華やかで、まさに咲き誇るという表現がぴったりくる。

お花見シーズンも落ち着きを見せ始めた頃、通りを鮮やかなピンク色に染め替えるので、今日の銀座の話題は、たぶんどこもこの桜の事だろう。

 

そんな事を思いながら、ヒナは、とあるビルの落成記念パーティーの会場についた。

 

銀座に新しく建ったこのビルには、マスコミの人間としてももちろん興味があったが、ヒナの古くからの友人が、新しいテナントを構えたのだ。

 

「ロビン。」

 

会場で、来賓に挨拶をしている友人の姿を見つけ、ヒナは、タイミングを見て声をかけた。

振り向いたその顔が、笑顔になる。

 

「ヒナ。きてくれたのね。」

「当然でしょ。念願の銀座新本店おめでとう。」

「ありがとう。」

 

ヒナの旧友、ニコ・ロビンは、エステティックサロンを経営している。

母親が著名な考古学者で、自らも考古学に造詣が深く、当然その方面に進むと思われていたロビンは、大学在学中に古代遺跡から出土した“リオ・ポーネグリフ”と呼ばれる古代文明の美の秘術の解読にはまり、ついにはそれを元にしてエステティックサロンをオープンさせたのだ。

「現代に蘇った秘儀」、「古代花から抽出した魅惑のオイル」等の謳い文句と、古代遺跡風の豪奢な内装を売りにして、飽和状態といわれているエステティック業界に彗星のごとく現れて、あっというまに店舗を全国拡大した。

 

そしてこのたび、このビルの落成と同時に、新本店をグランドオープンさせる運びとなったのだ。

 

「新本店開店おめでとう。」

「ありがとう。」

 

ロビンの店の急成長には、ヒナの力も一役買っていた。

当時、婦人誌の担当だったヒナが、雑誌の中でロビンの店を何度も取り上げたのだ。

その後、ロビンは、ヒナの出版社から、美容に関する著作を何冊も出版した。

 

「忙しかったみたいね。」

 

ヒナがロビンの顔を見て言った。

 

連日の開店準備に追われていたのだろう、ロビンの顔にはほんの少し疲れが見える。

同性でなければ気づかないほど、ほんの少し、ではあったけれど。

 

「エステサロンのオーナーが顔に疲れを残すようじゃダメね。」

ロビンが小さく自嘲する。

「ストレス溜まってるんじゃないの? いいセックスしてる?」

どぎつい話をいきなり出すのも同性の友達ならでは。

「相手がいないことくらい知ってるでしょ。この間、ペットに逃げられたっきり空き家よ。」

やな人ね、とロビンが笑いながらヒナを睨む。

「ペットっていうほど世話もしていなかったくせに。」

ふふん、とヒナがわざと鼻で笑う。

「そうね。ペットっていうほどなついてもいなかったしね。」

話しながら、二人はサイドワゴンからグラスを取り、かちん、とお互いにそれを合わせた。

くいっとそれを呷って、ロビンが小さく息をついた。

「そもそも野生の獣は人にはなつかないものだしね。」

ため息と共に一人ごちる。

 

「そうねぇ…。でも……。」

ヒナがあいまいに相槌を打って、言葉を濁す。

 

ヒナがロビンに紹介した、緑の髪をした“ペット”。

 

確かに彼は野生の獣だった。

孤高で誇り高く、尊大で傲慢で、美しかった。

誰にも媚びない。誰にも従わない。誰も受け入れない。

誰一人として手なずける事すらできなかった。

 

だけど。

 

ヒナは知っている。

その野生の獣が、唯一欲した存在のあることを。

 

その存在のために、獣が今まさに変わろうとしていることを。

 

ロビンに“彼”の話をしようかどうしようか、しばし逡巡して彷徨っていたヒナの視線が、不意に一点で止まった。

ヒナが目を見開いてその人物を凝視する。

 

「どうしたの?」

「ねぇ、ロビン、あの人誰?」

 

ヒナが指差した方をロビンも振り向く。

 

「どれ? 白い髭の人なら、このビルのオーナーのエドワード・ニューゲートよ。」

「ううん、その隣の、ピンクのダブルのスーツの。」

 

「ああ、あれは、ビルオーナーの息子のエース。」

 

エース。

 

ではあれが…、今をときめく白髭グループ総帥の一人息子のエースか。

若くして既に将来を嘱望されていると言う。

 

「ねぇ…ロビン、あの人、紹介してくれない?」

「エースを? …あなたの好みのタイプじゃないと思うけど…。」

「そんなんじゃないの。話してみたいのよ。」

 

ヒナはエースを覚えていた。

 

サンジに初めて会ったファミレスの前で、サンジと共にいた男だ。

ただ立ち話していただけの様子だったのに、ゾロはそれを見るなり逆上した。

感情的にサンジを殴りつけていた。

それをこのエースという男が割って入って…。

 

逆上するゾロなど、ヒナは初めて見たのだ。

 

ロビンがヒナを見て、不審そうに首をかしげている。

それでもヒナを連れてビルオーナーの元へ向かう。

 

まずはビルオーナーに型どおりの挨拶。

ビルの落成のお祝いの挨拶と、テナントとして今後の挨拶。

ビルオーナーもにこやかに言葉を返している。

すると、隣にいたエースが、

「お飲みになってらっしゃったのはシャンパンですか?」

と、向こうから声をかけてきた。

「ええ。」

ロビンが笑顔で答える。

「あちらに、かの太陽王ルイ14世が愛したロゼ・シャンパーニュがあるんですが、如何ですか?」

「ありがとうございます。いただきますわ。」

ロビンが答えると、エースは、ロビンとヒナをエスコートして、父親から離れたサイドワゴンに案内した。

どうやら父親の挨拶回りにつき合わされるのに飽きていたらしい。

「先ほどサロンの方も拝見させていただいたんですよ。」

「恐れ入ります。お呼びいただければご案内いたしましたのに。」

「美しい内装ですね。さすが考古学に造詣の深い方だけの事はある。」

ワゴンからフルートグラスを取って、ロビンとヒナに渡す。

「ありがとうございます。こちらこそ、こんな一等地のビルに本店を構えることができたのもニューゲート社長のおかげですわ。」

ロビンが礼を言う。

エースがシャンパンのボトルをロビンのグラスに傾ける。

フルートグラスに華やかな薔薇色が注がれる。

それからエースは、ヒナのグラスにもそれを注ぎながら、

「こちらの美しいご婦人をご紹介いただけますか?」

と言った。

「彼女はマリン出版のヒナ。今までの私の著作は全て彼女に担当していただきましたの。」

「出版社の方でしたか。はじめまして。私はポートガス・D・エース。しがない御曹司です。どうぞよろしく。」

しがない、ときたか、とヒナは思わずふきだしそうになる。

都心に超高層ビルをいくつも持っている日本有数の大手デベロッパーの社長の一人息子という堂々たる肩書きのどこが“しがない”というのか。

にこにこと人懐こい笑顔を向けながら、人を食ったような自己紹介をするエースに、ヒナは俄然興味をそそられた。

けれど、どうにもそれは男としての興味にはなりえない。

ロビンの言うとおり、確かにこの男は、ヒナの好みの範疇からは、やや外れているのだ。

異性に対しての興味と言うより、それはマスコミ特有の下世話な好奇心に近い。

 

今をときめく御曹司と、巷で噂の女装少年に、いったいどんな繋がりがあるのだろう。

 

だいたいパーティーとはいえ、芸能人が着るようなピンクのスーツを着用するところがまず普通じゃない。

しかも、そのトンデモな色のスーツを、嫌味なく着こなして、かつ似合ってしまうのだからすごい。

 

─────これでハットなんか被っちゃったら、まるっきりジュリーのカサブランカ・ダンディだわ。

 

そういえば、初めて見たときはオレンジのテンガロン・ハットなんて被っていた。

私服のセンスもトンデモだった。

 

「本日は落成おめでとうございます。でも、“はじめまして”じゃありませんわ。」

嫣然とした笑みを浮かべながらヒナが返した。

「ああ、それは大変失礼しました。こんな美しい方とお会いした事を忘れているなんて。どちらでお会いしましたでしょう。」

非礼を詫びる姿も、実にそつがない。

 

「いつぞやの朝に、ファミレスの前で。あなたとゾロがサンジ君を取り合ってるときに。」

 

その瞬間の、エースの表情の劇的な変化といったら見物なほどだった。

大人びた柔和な笑顔の仮面が一瞬で崩れて、驚くほど少年っぽい素顔が、目を見開いてヒナを見る。

すぐにそれはまた仮面の下に隠れてしまったが。

「ああ…。思い出しました。あの時の…。」

表情だけは笑顔に取り繕っているが、内心は動揺しているのだろう、さきほどまでの流暢な社交辞令が嘘のようにエースは言葉に詰まっている。

「…なに、そんな繋がりなの…?」

ゾロの名が出たことで、ロビンも反応する。

「そんな繋がりなのよ。」

ヒナがロビンに悪戯っぽい目を向けた。

二人が意味深な目配せをしたのを見て、エースも関係を把握したのだろう、

「えーと、つまり、あなた方は…ゾロの…。」

と言いかけて、言葉を濁した。

「昔の女その1、その2ってとこ?」

小首をかしげながらヒナが答えた。

それにエースが苦笑のようなあいまいな笑みを返した。

「…ヒナ。…“サンジ君”って?」

ロビンが聞いてくる。

そういえばロビンはサンジの存在を知らなかったっけ、とヒナは思い出す。

ゾロが誰かに恋をした、くらいは、もしかしたら薄々感づいているのかもしれないけれど。

だからこそ、ロビンとゾロは関係を絶ったのだろうから。

「気になる?」

「…別に…。」

そっけなく返すロビンに、ヒナがあきれたように笑う。

「あんたも大概素直じゃないわね。」

 

ねぇ、ロビン。

あの緑の獣が、“誰にもなつかない”と知っていながら、今まで飼い主のようなふりをしていたのは何故?

その手の店にでも行けば、いくらでも従順で美しい男が買えるだろうに、わざわざ扱いにくいゾロを、お金を出してまで繋ぎとめていたのは何故?

きっとあなたの事だから、ゾロの影に誰かが見えても、優雅に微笑みながらその手を離したのでしょうけれど、私はあなたがそれほどビジネスライクに他人と体を交わせないことくらい、知ってるわ。

 

「…まあいいわ。サンジ君はね、ゾロの“片翼”よ。」

 

ヒナがそう言うと、傍らのエースが何か言いたげに身じろぎした。

けれど何も言わずに口を閉ざす。

 

「片翼?」

ロビンが聞き返す。

「本気で惚れてるそうだから、そうなんでしょ。」

わざとそっけなく、ヒナは答えた。

またエースから物言いたげな空気が伝わってくる。

エースにとっては、ゾロとサンジの絆は認めがたいと言うことなのだろうか。

 

「…男の子の名前のように聞こえるのだけれど。」

怪訝そうにロビンが言う。

「男の子よ。」

ヒナが答えると、ロビンがますます訝しげに眉根を寄せた。

「…私はゾロは女子高生に現を抜かしていると聞いたわ。」

「サンジ君のことだと思うわ、それ。ゾロは最近までサンジ君に女装させてたから。」

ヒナの言葉に、ロビンが目を見開く。

「女装…?」

そのまま絶句する。

与えられた情報に、頭が飽和しているのだろう。

ロビンは表情を作る事もできずに強張っている。

 

「…会ってみればわかるわ。どうしてゾロがサンジ君を選んだのか。」

 

ヒナの言葉に反応したのはエースだった。

「サンジが今どこにいるのか知ってるんですか?」

掴みかからんばかりのその勢いに、ヒナが驚く。

「俺、あれから一度もサンジに会ってなくて…、この間ゾロのアパートに様子を見に行ったら空室になってて…。」

「…ええ、ゾロは今、うちの社の仕事で海外に行っているわ。長期だからあのアパートは引き払ったの。」

「サンジは? サンジもゾロについていったんですか?」

「いいえ、サンジ君は今、フレンチのお店でコックさんやってるの。」

 

「コックさん……。」

 

呆然と呟くエースの顔を見て、ヒナは今度こそ本当に吹き出した。

まったくもう、なんて顔をしているのだ。

「二人で一緒にお店行ってきなさいよ、あなた達。」

「ちょっとヒナ、私は別に…。」

ロビンがぎょっとしてヒナを遮ろうとするが、ヒナは構わず続ける。

「いいから息抜きがてらいってらっしゃい。本格的なフレンチのお店だから、あなたも気に入ると思うわ。」

そう言うと、ヒナは、シガレットケースからタバコを取り出して咥えた。

紙マッチで火を点ける。

一吸いして、ふうっと煙を吐く。

その紙マッチを、ぽんとエースの手に乗せる。

 

紙マッチは茶とエンジの品のいいデザインで、細い金字で『restaurant BARATIE 』と書いてあった。

 

「バラティエ……。」

エースが小さく呟いて、紙マッチを大事そうに手のひらに包み込んだ。

 

 

□ □ □

 

 

怒涛のようなランチタイムを終えて、ディナータイムの準備をしていたサンジは、予約客のリストを見て、「あれ…?」と首をかしげた。

予約リストの一番上に、『ポートガス様/二名/7時』とある。

「ジジィ、これいつ受けた予約だ?」

「あァ?」

めんどくさそうにサンジの手元を覗き込んで、

「ああ、今日の昼過ぎに取った予約だ。なんだ、知り合いか?」

と、ゼフは言った。

「いや…うーん…どうなんだろ。」

エースの苗字は確かポートガスだったはずだ。

けれど、サンジはエースにこの店で働いていることを教えそびれてしまっていた。

慌しくあのアパートを出てしまって、それきりになってた。

 

エースかなあ、これ。

俺がこの店にいるって知ってるのかなあ。

それとも偶然かなあ。

 

ちょっぴり楽しい気分になりながら、サンジは「RESERVE」と書かれたテーブルスタンドを、テーブルに置いた。

 

 

 

ディナータイムに入り、来店したのはやはりエースだった。

「エース!」

ドアを開けて、懐かしい顔が入ってきたのを見て、サンジはぱっと顔を輝かせて駆け寄った。

「やぁ、サンちゃん。ひさしぶり。元気そうだね。」

エースは変わらない人懐こい笑顔で応じる。

サンジの存在に驚いた様子を見せないところを見ると、やはり、エースは、サンジがここにいることを知ってて訪ねてきてくれたのだろう。

「いらっしゃいませ、どうしたの、どうしてここがわかったの?」

久しぶりに会ったエースは、見慣れたテンガロンハットではなく、ピンクのスーツを着こなしている。

何でこんなお洒落しているの、と、聞こうとして、サンジはエースの後ろに誰かいることに気が付いた。

「お二人様ですか?」

黒髪の、大人っぽい女性だ。

胸元が大きく開いた、ドレススーツを着ている。

 

────すっごい美人。

 

女性の艶やかさに目を奪われながら、サンジは二人をテーブルに案内した。

エースがスマートな仕草で女性をエスコートする。

女性も、男性にエスコートされることに慣れているのだろう、エースに椅子を引かれて、優雅に腰掛ける。

 

その二人の洗練された所作に、サンジは、女性がエースと同じ世界にいる人間だと言うことに気がついた。

 

バカみたいに大きなお屋敷だった、エースの家。

サンジを招き入れてくれたその屋敷だけでも、サンジには充分贅沢な家だと思えたのに、エースはそれが本宅ではない、と言っていた。

この家はエースだけが住む別宅で、本宅には両親が住んでいるのだと。

自分とは違う世界に住むエース。

なのに、少しもお金持ちぶらなくて、気軽にサンジみたいな怪しい素性の人間を家に上げてくれて、話をしてくれた。

お金持ちのくせにファミレスで飯を食ったりもしてた。

それでもエースから漂う気品みたいなものは、少しも損なわれなかった。

目の前の女性からは、そのエースと同じにおいがする。

上流階級の人間だけが持つ、においが。

 

まるで、絵のような一対。

 

映画から抜け出してきたような二人の姿に、束の間サンジはぽけっと見惚れた。

すぐにゼフに怒鳴られて、慌てて、お冷とメニューを用意したけれど。

 

────すげーすげーすげー、なんかすげー迫力ある二人だ。すげー。

 

きっとデートだ。

だって二人ともあんなに気合の入った格好してるし。

 

その瞬間、サンジは不意に思い出した。

 

────好きでどうしようもなくて。ただ好きなだけなのに、見てもらえなくて…苦しくて

────好きでたまらないのにな

────すげえ、好きなのに

────あいつだけなのに

────側に居たいだけなのに

 

いつもは飄々として何を考えてるのか表に出さないエースが、あの日、思いもかけず吐露した、せつない想い。

想う気持ちは、サンジがゾロを求めるそれと同じなのだと、優しく、けれどどこか遠い瞳でサンジに語ったエース。

 

もしかして。

もしかして、この女性(ひと)がエースの想い人だろうか。

 

そうならいい、とサンジは思った。

この綺麗な人がエースの好きな相手で、想いが成就したから二人でこうしているのだったら、どんなに素敵な事だろう。

 

エースみたいに、底なしに優しい人には絶対幸せになってもらいたい。

 

いっぱいいっぱい迷惑をかけた。

でもエースはいつでも笑顔で受け止めてくれた。

 

そんな優しい人だから。

 

エースの想いがかなったからここにこうして二人でいるのだといい。

 

メニューを見ていたエースが、サンジを呼ぶ。

「お決まりになりましたか?」

「ん、このね、お任せのコースをふたつ。ワインはーどうしようかな。さっきいっぱい飲んだんだよね…。まぁ、まかせるんで、てきとーにお願い。軽めので。」

エースらしい大雑把なオーダーに、サンジはくすっと笑いながら、「かしこまりました」と言った。

エースがメニューから目を放してサンジを見る。

「迷いが吹っ切れたみたいないい顔してる。“自分”に戻れたようだね、サンジ。」

その言葉に、心配してくれていたのだと悟り、サンジは頬を赤らめた。

「いろいろ…ほんとにありがと。エース。」

エースには、感謝しても感謝してもし足りない。

「ゾロの事も…。」

「え?」

「…ゾロの事も吹っ切ったのかな?」

エースの言葉に、サンジがきょとんとする。

「ゾロの部屋、出たんだろう? それって、ゾロとはもう別れたってことなのかな。」

思いもかけないエースの言葉にサンジは驚いて、それから、

「違うよ、逆だよ。」

と言って、ちょっと笑った。

 

「俺ね、ゾロの事、諦めないことにしたんだ。」

 

俺、今までのゾロの女の人達みたいに、ゾロの事、簡単に諦めてやれないんだ。

人を好きになったのなんてゾロが初めてだから、駆け引きとかもよくわかんないし。

悪い男だとかチンピラだとか言われても、ゾロの事嫌いになれない。

俺の他に誰かいても、それでもゾロが好きなんだ。

たぶん、ずーっと好きでいるんだと思う。

 

「だから、諦めないんだ。」

 

照れたように笑いながら言うサンジに、

「でも、今、ゾロはいないんだろ?」

とエースが問う。

諦めない、と言いながら、ゾロとサンジは今、離れている。

すると、

「ん、だからさ、」

にぱっと、ますますサンジの顔が笑った。

 

「ゾロが帰ってくるまでに、俺、男を磨くんだ。」

 

悪戯が成功したような子供のような顔で。

エースが、ほんの少し、眩しそうに目を眇めた。

「俺、ずっと待ってばっかりだったから。いっつも誰かに拾ってもらってばっかりだったから。今度は俺がゾロを迎えに行くんだ。」

その為に男を磨くんだ、と、そう言って、サンジはまたへらっと笑って、厨房に下がった。

その後姿を眺めながら、ロビンが小さく息をつく。

「そう…。ゾロが選んだ子は…ああいう子なの…。」

ほとんど聞き取れないような、微かな声で呟く。

「お気に召した?」

エースが愉快そうにロビンを覗き込む。

ロビンは無表情で、厨房の中で働くサンジを見ている。

「綺麗な子ね…女装はきっと似合ってたでしょうね。私も見たかったわ。」

サンジから目を放さずにぼんやり独り言つ。

「だけど…。まだ子供じゃないの…。」

ゾロよりもずっと年上のロビンにしてみたら、サンジなど、赤ん坊に等しいほどの子供でしかない。

ましてや、歳よりもずっと幼く見える表情や言動を目にすればなおさら。

「子供だよ。」

エースが答える。

「幼稚で無邪気で狡猾でしたたかで、欲しいものを欲しいと大声で言うことの出来る、子供だ。」

そのエースの言葉に、ロビンが振り返る。

エースは人当たりのいい穏やかな笑みでロビンを見ていた。

ロビンの口元にも、嫣然とした笑みが浮かぶ。

けれど目は笑っていない。

「大人だからこそ欲しいものを手に入れられるのじゃなくて?」

「どうかな。大人になればなるほど、プライドや体面が邪魔をして、欲しいものを欲しいと言えなくならない?」

「……私は皮肉を言われてるのかしら? それともあなた自身の事?」

「さあ。どっちだろうね…?」

腹の探り合いのような会話を、エースとロビンは、それはそれは魅力的な笑みを互いに浮かべて交し合う。

まるで愛の言葉でも囁きあっているかのような笑顔で。

 

それを厨房から見ていたサンジは、やっぱり二人は恋人同士に違いない、と心をときめかせていた。

 

「あなたはどうして言えないの?」

ロビンがエースに聞く。

「あなたの“欲しいもの”っていうのはあの子なんでしょう? 何故伝えないの?」

穏やかなエースの笑みに、困ったな、と言うような色が滲む。

痛いとこつかれちゃったなー困ったなー、とでも言いたげな。

「そりゃあまあ…、」

言いかけたとき、トレイを持ったサンジがやってくるのに気がついて、エースは口を噤んだ。

 

食前酒(アペリティフ)です。」

二人の前に、静かにシェリーグラスが置かれた。

中には淡い小麦色が輝いている。

「シェリーかな?」

エースが聞くと、サンジがにやりとした。

「まあ、飲んでみて。」

エースとロビンが揃ってグラスに口をつける。

「あら。」

「へぇ…。」

そして揃って驚いたような声を上げた。

「これ…梅酒?」

エースの言葉にロビンが首をかしげる。

「でもこれ、焼酎じゃないわね。…シェリー酒で漬けたのね?」

「正解です。レディ。」

ロビンの答えにサンジがにんまりと笑う。

「梅をシナモンスティックと一緒にシェリーに漬け込んだものです。昼間もワインを召し上がったと聞いたので、食前酒にはこういうものの方がいいかと。」

「ええ、とてもおいしいわ。ありがとう。あなたが漬けたの?」

「はいっ。」

ロビンがサンジににっこりと笑いかけると、サンジは照れたような笑みを浮かべた。

「ああ、サンジ。彼女はロビンさん。エステティックサロンの社長さんなんだよ。」

ふと、思い出したように、エースがロビンをサンジに紹介した。

「あ、サ、サンジです。エースには、あの、いろいろ迷惑かけててっ…。」

慌ててサンジがロビンに頭を下げる。

それをエースは小首をかしげて、

「迷惑なんか何もかけられてないよ?」

と言う。

「でもっ…!」

サンジがエースを見る。

「でも俺…、エースがいてくれなかったら、まだ同じとこでぐるぐる悩んでたと思うよ。
エースのおかげで前に進めたんだ。エースには感謝してる。心の底から。」

サンジが言い募ると、エースがあいまいな笑みを口元に浮かべた。

それが、

「だから俺、エースがロビンさんを連れてきてくれて、本当に嬉しいんだよ。」

とサンジが言ったとたんに強張る。

「サンジ、ちょ…、」

サンジはエースの表情の変化に気がつかない。

「エース、いっつも人の事ばっかりで自分の事は後回しだったから、エースがちゃんと自分の事も大切にしてくれてて、俺、嬉しいんだ。
エース、ロビンさんの事、“どうしても好きだけど自分の事を見てくれない”なんて言ってたけど、エースみたいないい奴に惚れない奴なんていないから…だから…。」

「え、あー…うん、いや…。」

エースがばつが悪そうに言葉を濁す。

一瞬僅かに瞠目したロビンは、すぐに笑みを取り戻し、サンジを見上げる。

「大丈夫よ、私も彼の事は大切に思ってるから。」

微笑みながらロビンに言われ、サンジの顔がぱあっと明るくなる。

その時、厨房の奥から「チビナス、働け。」とオーナーの声がかかり、サンジは慌てて厨房に駆けていった。

厨房に戻るサンジを、「てめェ、ウェイターが店ン中ばたばた走るんじゃねェ!」とオーナーが蹴り飛ばす。

それを横目で見ながら、エースが、大きなため息をついた。

「…………参った。」

それを見て、ロビンが先ほどまでの含んだ笑いとはまったく別の笑いを漏らす。

弟を見守る姉のような。

「あー…、話あわせてくれてありがとう。助かった。」

「あなたが私をそんなに好きだったなんて知らなかったわ。」

ロビンはまだくすくす笑っている。

「しかたねぇでしょ。あれはゾロしか見てない。
卵から孵ったひよこが、生まれて初めて見た者を母親だと思い込むように、ありゃゾロしか見てない。
こっちはゾロなんかやめて俺にしろって意味で“好きな奴”の話なんかしたのに、そのまんま言葉の通り受け取られちまうし…。」

「“自分の事を見てくれないどうしても好きな人”っていうのは、あの子の事なのね。」

「…………俺は好きでもない奴と寝ようとするほど酔狂な男じゃないよ…。」

すっかりポーカーフェイスの取れた顔で、エースが呟く。

語るに落ちていることにすら、自分で気がついてないらしい。

「ふふ…可哀想な人…。」

ほんの少しのからかいを込めてロビンが言うと、エースがロビンを見て、情けない顔のまま笑った。

「…慰めてくれる?」

「そうね。今のあなたはさっきまでのあなたよりずっと好きよ。」

「そりゃありがとう。」

どういたしまして、と言うように、ロビンは手に持ったグラスをエースに差し出した。

エースがそれを見て、自分のグラスを持ち上げて、かちりと合わせる。

そのままエースは一気にシェリーを飲み干した。

 

2006/07/19

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