■ 最終話 ■ 発情☆ア・ラ・モード/玉撫子薫
【6】
いきなりホールの真ん中で棒立ちになってしまったサンジを見て、ゼフが訝しくドアに目をやった。
入ってきた男がゾロであることに気がついて、途端にその眉を顰める。
「い、いらっしゃいませ。」
サンジが上ずった声で言うと、ゾロの視線がサンジを見た。
その目がふっと柔らかくなる。
思いもかけないその優しい瞳に、サンジが目に見えて嬉しそうに破顔する。
無意識にゾロに駆け寄ろうとして──────その体が強張った。
ゾロに続いて、髪の長い美しい女性が寄り添うように入ってきた。
明らかに愕然としたサンジの様子と、ゾロと女性に交互に目をやって、ゼフの険がますます深くなる。
ゼフの、ゾロを見る目は、もうほとんど視線で射殺せるのでないかと思えるほど険悪なものになっていたが、ゾロは、気づいてないのか厨房の方をちらりとも見ない。
サンジの顔だけを見ている。
サンジは、ゾロと一緒に入ってきた女性に気を取られていて、必死で泣きそうになるのをこらえていた。
腰までの長いピンクの髪の、綺麗な綺麗な女の人。
この印象的な髪には見覚えがある。
ゾロの部屋には来た事がなかったと思うけど、確か、どこかで会った。
サンジが働いている店に、女の人を連れてくるという事は…、そういうことなのだろうか。
サンジより、他の女の人を選んだと…?
震える唇を噛み締めながらも、営業用の笑みを作ろうとしたサンジの顔が、不意にきょとん、とした。
女性に続いて、もう一人、やたらガタイのいい男が入ってこようとしていた。
「あ、あの、お客様、三名様、ですか…?」
「そうよ。こんにちは。いいお店ね。」
ピンクの髪の女性がにっこりと微笑みながら答えた。
「あ、ありがとうございます。どうぞ、奥のテーブルに。」
戸惑いながら、サンジは、三人をテーブルに案内した。
テーブルにお冷を運ぶ。
「本日のお肉のランチは鴨肉のロースト・オレンジソース、ビーフシチュー添え。お魚のランチはいさきとつぼ鯛のフリット・ココナツソース、お野菜のランチは春野菜のチーズフォンデュ仕立て、となっております。」
メニューの説明をしながら、サンジの目はゾロに吸い寄せられていた。
ゾロもサンジを見ている。
なにか言いたいのに、言葉がなにも出てこない。
ゾロが傍にいると思うだけで、サンジの胸はいっぱいになってくる。
ゾロ。
本物のゾロだ。
女性連れだと思った時はショックだったが、こうして近くにゾロがいると、どうしたって嬉しくて仕方がない。
─────ちょっと痩せたかな。
けれどやつれた感じはしない。
しばらく見ないうちに少し雰囲気が変わった。
落ち着いたというか、纏う雰囲気が柔らかくなったというか。
何か、ゾロをそうさせる何かが、離れていた間にあったのだろうか。
ねぇ、離れていた間、どうしてた?
ちゃんとご飯食べてた?
俺がいなくて寂しかった?
俺は─────ずっと寂しかったよ…。
会いたかったよ…。ゾロ…。
何も言えないまま、ただゾロを見つめていると、ゾロの指が、ふと、サンジの胸元の“今日の主役”に触れた。
どくん、とサンジの心臓が鳴る。
「何だ? これ。」
笑い混じりの静かな声。
─────ああ…ゾロの声だ…
優しく、甘く響く、テノール。
「今日…、おれ…誕生日…。」
もう、客にする顔など作れず、すっかり素のままで、サンジがたどたどしく言うと、ゾロが、その形のいい片眉を少し聳やかせた。
「今日で、17歳、か?」
聞かれて、サンジが、こくんと頷く。
「そう…か。すまなかったな、知らなかったから何も持ってこなかった。」
どこまでも優しいゾロの声に、サンジの瞳がじわっと熱くなった。
必死で首を横に振る。
「ゾ、ゾロが、来てくれ、たから…っ…、も、いい…。」
ついに耐え切れず、涙が零れた。
「チビナス。2時になったから、表、下げてこい。」
不意にゼフの声がカウンターの向こうから飛んできた。
「はいっ!」
慌ててサンジは目元を擦りながら、外へ飛び出した。
階段を駆け下りる。
目から、ぽたぽたと後から後から雫が落ちた。
ゼフの機転で助かった。
危うく客の前で泣きだしてしまうところだった。
まだ店内には他のお客さんもいたのに。
表に出していた、「ランチタイム11:30〜14:00 本日のお薦めランチ 1500円〜」と書かれた、木のイーゼルに乗せられた小さな黒板を片付ける。
それから、エプロンで涙をぬぐって、自分に気合を入れた。
黒板とイーゼルを抱えて、一気に階段を駆け上がる。
店に戻るとすぐさま「1卓オーダーだ」とゼフに言われ、急いでゾロ達のテーブルに向かう。
根性で営業用スマイルを顔に貼りつける。
ゾロはお客様として来てくれたのだ。泣いてはいけない。
「お待たせいたしました。お決まりになりましたか?」
ピンクの髪の女性は穏やかに微笑んでサンジを見ている。
「スモーカー君はお肉? 私はお野菜で。ゾロは?」
「…魚。」
「お肉のランチ一つ、お野菜のランチ一つ、お魚のランチ一つ、ですね。食前のグラスワインはおつけしますか?」
「そうね。お願い。3つね。」
「かしこまりました。お肉とお魚のランチには、ライスかパンがつきますが、どちらにしますか? 本日はターメリックライスかミルクで練った焼きたてライ麦パンになります。」
オーダーを取りつつ、サンジは、不躾にならないように、ゾロが連れてきた二人に目をやる。
女性の方は確かに見た覚えがある。
けれど男の方は見覚えがない。
白っぽい灰色の髪をしたやたら体格のいいいかつい男で、葉巻を二本咥えている。
眼光も鋭くて、やたらと威圧的な空気を醸し出している。
ゾロの友達にこういうタイプはいなかったような気がする。
まあ、ゾロの男友達なんて、それほど多く知ってるわけじゃないけれど。
いつも突然来ては妙な仕事ばかり持ち込んでくるルフィとか、芸術家を名乗ってるけどその絵を一度も見せてくれないウソップとか。
どちらにせよ、目の前の二人とは雰囲気がかけ離れている。
ピンクの髪の女性も、たぶんゾロよりはずっと年上だろう。
華やかな髪の色にだまされそうだが、よく見れば、修羅場なんか何度もくぐりぬけてますーみたいな、肝の座った感じに見える。
どんな知り合いなのかな。
まさか、やばい筋の方面の人達じゃないよな…。
「─────それからコーヒー二つと紅茶一つですね。以上でご注文よろしいですか?」
「ええ。」
オーダーを受けて、厨房に戻る。
─────ゾロが来てくれた。
そう思うだけで嬉しくて、カトラリーの用意をしながら、知らずサンジの顔は緩んでいた。
「…しゃんとしろ、チビナス。」
いきなり言われて顔を上げると、渋い顔をしたゼフが睨んでいた。
けれど、その目は気遣わしそうな色を宿している。
「うん。ごめん。だいじょぶ。」
サンジが慌てて顔を引き締める。
だがそれは1分ともたず、すぐにサンジの顔はへらりと笑ってしまう。
どうしても、にへにへする顔を抑えられないでいると、
「馬鹿野郎が。周りよく見ろ。」
と、ゼフに小さく舌打ちされた。
周り? と店内を見回すサンジ。
ランチタイムもとっくに終わりの二時すぎともなれば、いつまでもだらだらと席に残ってる者など常連客くらいしかいない。
ここの商店街振興組合の会長のシャンクス、外回りの営業をやってるリーマンのコーザ、ゼフに勝手に師事しているケーキ屋のパティ、イタ飯屋のカルネ、この頃よく来るようになったサンジの隣人の爺さんのクロッカスさん、歓楽街の中にある24時間保育所の保父さんのギン。
その全員が、顔面に『興味津々』を貼りつけてサンジを見ていた。なぜかギンだけは少し涙目だ。
一部始終を見られていた事を悟って、かあああああっとサンジの顔が茹であがる。
「てめぇら食い終わったらとっとと帰りやがれ!」
我を忘れて怒鳴ると、どっと笑い声があがった。ギンだけは笑わずに涙目のままだったが。
「お茶くらいゆっくり飲ませてよー。」
シャンクスがニヤニヤしながら軽口で返した。
けれど、常連客達は、節度も心得ていて、それ以上サンジをからかう事はせず、ゾロのテーブルへちょっかいを出す者も誰もいない。
顔を赤らめながら、サンジはゾロのテーブルにスープを運ぶ。
「本日のスープはマッシュルームのポタージュです。」
3月に入って、だんだん春めいてきたとはいえ、まだまだ風は冷たい。
そんな心と体をあっためる、ほんわりクリーミーな一品だ。
厨房に戻ったサンジは、どの客の時もそうなのだが、そうっと客席を窺って、ゾロ達が一口目を食べる瞬間を見守る。
ピンクの髪の女性が、スープスプーンを手にしながら、おいしそう、とにこやかに呟くのが見えた。
それだけでサンジは嬉しくなる。
思わず笑顔になりながら、サンジは次の給仕の準備にかかった。
「ほんとにいいお店ね。」
小さなフォンデュ鍋でとろけているチーズに、ブロッコリーをくぐらせながら、ヒナが言った。
「お店の雰囲気もいいし、お料理もおいしいし。」
「オーナーは睨んでるしな。」
くっくっと笑いながら、スモーカーがヒナの言葉に茶々を入れた。
「スモーカー君。」
ヒナが横目で睨む。
「だってよ。さっきっからすげぇ目でてめェの事睨んでるぜ? 気づいてるんだろう? ロロノア。」
「…気づいてる。」
気づいていたが、意地でもオーナーと視線を合わせないように自分に気合を入れていた。
気づかないはずはない。
あれほどまでに明確な敵意。
「なんかしたのか、てめェ。」
「するか。初対面だ。」
「なら、あの子があなたの悪口でも吹き込んだのかしら。」
さっきはスモーカーをたしなめたくせに、ヒナが小首をかしげて追従してくる。
「…かもな。」
そっけなく答えて、ゾロは白身魚に食いついた。
「あら。否定するかと思ったのに。」
ヒナが意外そうに言う。
黙殺して食べ続けようとしたが、ヒナの目があまりにいつまでもゾロを見ているので、
「…アレが故意に俺を悪く言うとは思わねェが、馬鹿正直なアホだからな。聞かれるまま、じいさんにゃどぎつい話でも面白おかしく話したかもしれねェな。」
と、半ば投げやりに言った。
「ふぅん…。」
するとヒナは、なにか言いたげに、けれどそれ以上なにも言わずに、笑みを浮かべた。
「何だよ。」
軽く睨むと、
「別に。」
と言って、ヒナはまた、ふふっと笑った。
それから、厨房の中で楽しそうにくるくると仕事をしているサンジに目をやる。
「スカートも可愛かったけど、ギャルソンエプロンも可愛いわねぇ。」
微笑みながら言う。
それを胡乱げに見返すゾロ。
「お前、前に女装のあいつ見た時はかっこいいだのきりっとしてるだの、ふざけた事抜かしてたくせに、何が可愛いだ。」
「あら。」
ヒナが、さも心外だという顔をしてみせる。
「今もかっこいいし、きりっとしてるわよ? 可愛いっていうのは、男として可愛いって言ってるの。」
「…………あァ?」
「今日で17歳、だっけ? 一番可愛くて一番かっこいい歳じゃない。この仕事に誇りを持ってるのが誰が見てもわかるわ。この店の優しい雰囲気はあの子が作り出してるのね。きっと、みんなに愛されてるのね。」
ヒナの言葉に、ゾロもつられてサンジを見る。
厨房の中でサンジは仕事をしている。楽しそうに。
楽しくて楽しくて仕方がないという風に。
洗いものをしながら、目はホールに気を配っている。
ぐるりと店内を見回す目が、ゾロと合って、少し恥ずかしそうに、にこっと笑う。
アレがみんなに愛されているだろう事など、ゾロが一番よくわかっている。
どこにいても、アレは人目を惹きつける。
ゾロの女達でさえ、何かとサンジを構いたがった。
一度、サンジに乗っかろうとした女を見てからは、“仕事”の時以外もずっとサンジに女装させ続けたのに、それでもサンジにちょっかい出したがる女は減らなかった。
ゾロは一度寝た女と二度と寝る事はなかったし、大体の女もそれを理解していたが、ゾロと関係を絶ったあとも、サンジを気にしてゾロの留守中にゾロの部屋にあがりこもうとする女も何人かいた。
あの女達が、どの程度本気でサンジを欲しがっていたのか、ゾロにはわからない。
けれど、サンジの着ていた女物の服は、最初こそ過去の女の忘れ物だったが、最後の方は女達が競って買い与えていた事を、サンジは知っていただろうか。
皆、自分だけが与えたものでサンジを飾りたがった。
中には悪戯半分だった女や、ゾロに取り入るためだった女もいただろうが、ゾロなどそっちのけでサンジに関わりたがっていた女も少なからず、いた。
女達が買い与えたもので飾り立てられていくサンジを見て、わけもなく焦燥を感じて、らしくもなくゾロは、彼自身が選んだ色を、サンジの唇に乗せた。
どれだけサンジが色づけられようとも、唇だけはゾロの色になるように。
子供じみた独占欲でサンジを振り回していた、あの頃の自分。
「いい目をしてるわね、あの子。」
ヒナが言った。
「本当にやりたい事を見つけて迷いのないまっすぐな目。…あんた、ぐずぐずしてると置いてかれるわよ。」
楽しそうにヒナがゾロをからかう。
「…わかってる。」
それにも乗らず、ゾロはワインを呷った。
ヒナがぱちくりと目を瞬かせる。
「ゾロ、あんた…、」
「なんだ?」
「……………………なんでもないわ。」
それきり、ヒナはゾロをからかうことをやめて、食事に専念しだした。
その様子を見ていたスモーカーが、
「なるほどな。」
と言って、薄く笑う。
それから、
「つまりアレが、」
と、視線でサンジを示して、
「お前が“迎えに行く”奴か。」
と言った。
「そうだ。」
事もなげに答えて、ゾロはターメリックライスを頬張る。
「…いいのか?」
「何が?」
「…俺と行っちまって。」
スモーカーの問いに、ゾロが、食べる手を止めた。
一瞬、瞑目して、目を開ける。
「今の俺じゃあ、迎えに行く資格も何もないからな。」
静かな答えに、ヒナもスモーカーも、ゾロの内に秘めた決意を悟った。
「本日のデザートは、ベリーのマチェドニアです。」
ランチコースの終わりに、デザートが出される。
イチゴ、ラズベリー、クランベリー、ブルーベリー、ブラックベリー、カシス、レモンを白ワインとリキュールのシロップに漬けたデザート。
「それから…、」
給仕するサンジが、ほんの少し頬を染める。
一日中言っていたが、まだ照れる。
「あの、ほ、本日、イベントデーとなっておりまして、私の誕生日に“おめでとう”と言ってくださったお客様にガトーショコラをサービスさせていただいております。こちらのお席にもお持ちしてよろしいでしょうか。」
「あら。私達にも?」
「はいっ。」
「そう、ありがとう。いただくわ。」
にこやかに答えたヒナに笑顔を返して、サンジが戻ろうとしたその時、
「サンジ。」
だしぬけにゾロがサンジを呼び止めた。
この店にゾロが来てから初めて名を呼ばれ、サンジの心臓が跳ね上がる。
「な、なに。」
もう敬語を忘れてしまう。
「そのなんとかショコラはこいつらだけでいい。俺は…─────少しお前と話がしたい。」
跳ね上がった心臓が口から飛び出すかと思った。
2006/06/10
■ STORY TOP ■