■ 第30話 ■ Dirty bird/紅子さん
「……どこへ行くつもりだ」
声を絞り出すと、サンジは顔を上げた。
「店の近くに、部屋借りた。小っせえの。ここより狭いぜ」
サンジはくすくす笑った。
「風呂なんかないし、今時便所も共同なんだぜ?片っぽの隣はよいよいの爺さんでさ、反対側は3、4人住んでて外国人みたい。名前聞いたんだけど何て言ってんだかよくわかんねえの。いろんなスパイスの匂いがするんだ」
「金はどうする。売りでもやる気か。調子に乗ってっと、ヤクザにぶっ殺されるぞ」
「ちょっとだけど給料もらえるし。食うもんは店で賄があるから。保証人もそこの親父さんがなってくれた」
サンジはゾロを見上げ、明るく笑った。
「毎日は来られねえかもしんねえけど、ここにも帰って来るよ。おまえに会いに」
ゾロから体を離し、サンジはまた台所に向かった。
「腹、減ったろ?食おうぜ」
ゾロはその腕を掴んで引き戻した。
「どうしてだ」
サンジは困ったように首を傾げた。
「だって、このままじゃ駄目なんだ」
「おまえのしてることはおかしいぞ。俺を好きなんだろ」
「好きだよ」
「じゃあ、何で俺から離れるんだ。何で俺を」
ゾロはそれ以上言えなくなった。
……何で、俺を置いて行くんだ。
サンジは真剣な顔でゾロを見つめた。
「言えよ、ゾロ。ちゃんと話せ」
「言ったら、おまえは出て行かないか?」
サンジは目を伏せ、首を振った。
突然怒りがこみ上げてきた。
俺はこんなガキ一匹相手に何をやってる?
「ゾロ、俺はここには居られないよ。だって」
俯いて呟くサンジの頭を掴み、顔を上げさせて頬を張った。
サンジは打たれた瞬間目を閉じ、歯を食い縛って体を震わせたが逃げようとはしなかった。
また目を開けて、ゾロを見て笑った。
「鏡を見ろよ、ゾロ」
「何だと?」
「そんな顔するくらいなら、俺を殴るな」
ゾロはサンジを突き放した。
部屋の真ん中に置かれた炬燵を蹴飛ばし、床に胡坐をかいてタバコに火を点けた。
背を向けているので、手が震えているのはサンジには見えないはずだ。
「ゾロ。俺、ゾロと会って初めてちゃんと息が出来るようになったよ」
サンジはその場に立ったまま、小さな声で言った。
「おまえを好きになって、初めて自分も好きになった。だから、ちゃんとしたいんだ。わかれよ。おまえのこと、すごく好きだよ」
返事をしないゾロに、サンジは憑かれたように話し続けた。
「この間、厨房に入れてもらった。プロが使うガスコンロって、半端じゃねえ火力なんだぜ? オーヴンもでかくて、奥行きが深いんだ。店のジジイ、俺に『熱いから気を付けろ』なんて言わなかった。そんなこと言われなくたってわかるよな、子供じゃないんだから。でも、ゾロは」
「……ゾロは、火に手を突っ込まなきゃ熱いのがわからねえんじゃねえのかと時々見てて思うよ。何でそうなの?」
「ゾロ、息をしろよ。ゾロは生きてるのに、息をしてない。どうしてだ?」
「ゾロは誰のことも好きじゃねえの?……俺のことも?自分のことも?」
「俺は自分を好きじゃなかった時、周りの人が皆、意地悪に見えた。そんで、すごく寂しかった。ゾロは寂しくねえの?」
「ゾロは何で自分が嫌いなの?」
「黙れ!!!」
ゾロは座って前を向いたまま喚いた。
「それ以上何か言いやがったら、殺すぞ、てめえ!!!」
サンジはゾロの正面に回り、膝を付いた。
体が震えるのをどうにか押さえ顔を背けるゾロに、そっと手を伸ばす。
シャツのボタンを一つずつ外して、サンジはゾロの服をはだけた。
「最初見た時、すげえびっくりした。普通だったら死んでんじゃねえ?お姉さん達は皆、これがセクシーだって言ってたけど、俺は怖くてしょうがなかった」
肩口から臍の下まで、体を斜めに横切る傷跡を優しく指でたどる。
「こんな傷を作るようなことをしなけりゃ、ゾロは自分が生きてるってわかんねえの?」
「……黙れ」
「ゾロは可哀想だ」
「うるせえ!!!」
ゾロはサンジの顔を思い切り殴りつけた。
一切手加減のない、自分でも驚くほどの力だった。
サンジは横に吹っ飛び、壁に頭をぶつけてずるずると倒れた。
寝ぼけているように首を少しだけ左右に振り、僅かに身じろぎした後動かなくなった。
「……サンジ」
答えはない。
ニコ・ロビンと最初に寝てからしばらく経った頃、ゾロは自分から電話を掛けた。
何でそんな気になったのかはわからない。
珍しく、酔っ払っていたのかもしれない。
結構長く喋っていた気がするが、何を話したのかも覚えていない。
ただ、あの女が言ったことは忘れられない。
ものすごく腹が立ったからだ。
「あなたは子供ね。綺麗なものも汚いものも、いいものも悪いものも、見分けられずにぐちゃぐちゃに握り潰して一緒にして楽しんでる。残酷な幼児だわ。あなたに本気で惚れる女は不幸ね。そんな人いるとは思わないけど。でもあなたは魅力的よ、可哀想なお馬鹿さん」
体はいいし金も持ってたが、むかつく女だった。
もちろん、あの女の言ったことは間違っている。
ぐったりと横たわったサンジを見下ろした。
確かにゾロは人も物事も、自分自身をもぶち壊してぐちゃぐちゃにする。
止むに止まれずにではなく、意図してすることもしばしばある。
だが、それを楽しいと思ったことなど一度もない。
あの女は何もわかっていない。
「サンジ」
顔にかかっていた髪をかき上げて、赤くなった頬を撫でた。
サンジは薄く目を開けた。
虚ろに彷徨う視線が、ゾロを捉えた。
「おまえの方が痛そうな顔してる」
サンジはしゃがれた声で言い、少しだけ口の端を吊り上げて笑おうとした。
2005.6.22
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