■ 第14話 ■ Eld Vind/橙ポコさん
三日前のこと。
通行人に肩を押されながら、俯いて金髪の少女が泣いていた。
親に叱られたか、男に振られたか、いずれ落ち行く哀れな姿に、ただ醒めた視線が掠めるように通り過ぎていく。
その後ろ姿に、興奮した視線を投げる男達がいても、道行く人々にとって、それはやはりありきたりな風景でしかなかった。
「いたぜ。あのガキだ。」
「一人だな。ヤツはどこだ?」
「どっかに隠れてんじゃねぇか?獲物が引っ掛かんの待ってやがんだろ。そういう手口らしいからな。」
「あんなのが泣きながら歩いてたら、そりゃ親父も引っ掛かるよなぁ。」
「確かに。‥‥けど演技かね、アレが。なんか、マジ泣きに見えねぇ?」
「ああ、確かに。あんなに目元をゴシゴシ擦ったら化粧がだいなしだもんな。嘘泣きじゃねぇかも‥‥。」
「‥‥ケンカしたんじゃねぇか?さっきの男と。」
「あの野郎、すげぇ形相で怒ってやがったからなぁ。」
「三対一っての忘れて、ついびびっちまったもんな。」
「なぁ、野郎とケンカした‥‥ってぇことは‥‥。」
「ああ、今度は邪魔は入らねぇってことだよな。」
育ちきっていない華奢な身体が震えるように揺れるのは、洩れる嗚咽を抑えているせいだろう。
乱暴に手の甲で目元を拭う仕種が幼い。
滑らかだった頬や手の感触を思い出し、男達の喉がゴクリと鳴った。
「俺は男とはやったことねぇけどよ、あれなら‥‥。」
「ククク、初めてがアレでよかったな。きっとやみつきになんぜ。」
「んにゃ、あんな上等はもったいねぇだろ。初めてはてめぇの汚ぇケツでも貸してやっちゃどうだい?」
「あ?」
仲間との淫猥な会話に、ふいに違う声が混ざり、ギョッとして顔を上げると、目の前にオレンジのテンガロンハット。
背後で不穏なざわめきが起こり、サンジはゆるゆると首を回した。
「野郎っ!」
目に飛び込んだ人相は、まだ記憶に新しいものだった。
「あ、あいつは‥‥」
さっき男だと知っていながらサンジをナンパした連中の一人だ。
激昂した赤い顔で、どうやらケンカをしているらしい。
なら相手は‥‥。
一瞬ゾロの姿を探すが、目に入ったのは鮮やかなオレンジだった。
まるで炎が揺らめくようにオレンジが沈み、浮き上がる。
やみくもに殴りかかる三つの拳を飄々と躱す様は、じゃれる子猫をからかっているみたいに余裕綽々だ。
「すげぇ‥‥、一発も当たんねぇじゃん。」
サンジが感嘆の呟きをもらした時、オレンジの動きが、ふいに曲線から直線に変わった。と思ったら鮮やかな手刀が三つ、続けざまに男達の頸骨を打つ。あ、とサンジが声を上げた次の瞬間には、もう三人は路上に寝そべっていた。
驚いた。誰一人怪我をしない、そんなケンカを見たのは初めてだ。
見物人から拍手まで送られて、オレンジのテンガロンハットが優雅に辞儀をする。
そして上げた視線は、真っ直ぐにサンジへ向けられていた。
ゾロ並みに厚みのある身体が、体重を感じさせない足取りでサンジに近づく。
「やぁ、可愛いね、君。一人?」
あっという間に間合いを詰めて、覗き込んできた帽子の下の黒い目は陽気に綻んでいた。
「おや、どした?泣いてたの?」
プイと目を逸らしたサンジに、気を悪くした様子もなく、男は続けた。
「こういう場所で泣いてると、悪い奴らに目をつけられちゃうぞ。家はどこ?送ってってあげるよ。」
家と言われて浮かぶのはゾロと暮らすアパートだ。
途端にサンジの胸がまたじくじくと痛み出す。
俯いてしまった金髪に、そっと男の手が触れた。
「ねぇ、もし行くあてがないんなら、うちに来るかい?」
ハッとして顔を上げる。
『行くとこねえなら、うち来っか?』
フラッシュバックする、あのシーン。
だが目の前にいるのはゾロじゃない。
切ない想いと共に、ブワッと涙があふれてきた。
男の手が背中に廻り、ギュウッと抱きしめられる。
堪えきれずに、道の真ん中で、見知らぬ男に縋り付いてサンジは泣いた。
「それでエースんちに行ったんだ。」ボロいアパートの部屋で、シミの付いた壁に背を預け、気のなさそうに振る舞うゾロのシャツを掴んだまま、サンジが訥々と語る。
やたら広い部屋の、やたら大きなベッドにサンジを腰かけさせ、エースと名乗ったその男は、緊張をほぐしてやろうと気を使っているらしかった。
「無理やりってのは趣味じゃないんだ。」
けど、そそられる、そう言われてサンジは返す言葉が見つからない。
あの時のゾロのように誘われて、思わず家までついてきてしまったけど、今さらそんなつもりじゃなかったなんて言って通じる相手だろうか。
女の子じゃないとわかったら、怒り出すかな?
だがすぐに、エースの意外な言葉でそれは杞憂だったと知ることになる。
「君、噂の女装少年だよね?」
ギョッとして顔を上げたサンジを、エースは面白そうに眺めた。
「クラブで耳にしたんだ。連中もきっと同じ噂を聞いたんじゃないかな。けど、ちょっとした都市伝説かと思ってたよ。清純そうで色気があって、頼りなくて気が強そう、なんてめちゃくちゃな形容聞いてたからさ。でも、ホントだったんだなぁ。」
フン、とゾロが鼻を鳴らす。
「最初からわかってて誘ったのかよ。あいつ、ゲイか?」
「そういうわけじゃない、つってた。いつもは女の子がいいけど、俺なら‥‥」
サンジは顔を赤らめながら、それでもゾロの視線を捉えたまま言った。
「俺なら抱けるって。‥‥エース、ちゃんと勃ってた。」
エースと名乗ったあの男がサンジに買春を持ちかけたのは、その方がサンジの気が軽くなると思ったためらしい。
確かにいきなり気持ちを他の男に向けるなんて器用な真似は出来ないが、自棄になっていた心には適った提案だった。
「好きだと思ったから、ゾロに抱いてもらいたかった。けれどそれが思い込みだって言うんなら、他の誰でも同じ事だ。そういうことだろ、ゾロ?」
逃げる気も、逃がす気もない強い青が、射抜くようにゾロを見つめる。
「でも、ダメだった。きっと、ゾロでなきゃダメなんだ、俺。」
サンジの目の縁が興奮で赤く染まっていた。
それでも泣くまいと、唇を噛んでゾロを見据える。
サンジがいなくなっていた三日間、ゾロはただオロオロと明るい金髪を夜の街に探していた。
だがサンジは。
答を見つけてきたのだ。
ゾロが、守ろうとしたものを投げ捨てて、なのに少しも汚れていないまま‥‥。
ゾロの手が、サンジの唇に触れた。
「噛むな、アホ。せっかく似合ってんのに‥‥。」
今、サンジは化粧をしていない。その顔を飾っているのは、ゾロにもらったピンクのグロスだけだ。その、薄く色の付いた唇を、ゾロの指が撫でる。
「あいつにも触らせたんかよ。」
低いゾロの声は抑揚に乏しく単調だ。けれどその目の中には、三日前にサンジの心臓を鷲掴みにしたあの炎が燃えさかっているように見えた。
「ゾロ‥‥。」
震える声で名を呼ぶと、ツヤを持ったその唇は覆い被さってきた男の口に塞がれた。
2005.5.31
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