【19】

 

がくん、といきなり体が沈む感覚に、サンジは我に返った。

ゾロが、サンジの四肢を拘束した鎖を刀で断ち斬っていた。

支えのなくなった体は、ぐんにゃりとその場に崩れ落ちる。

慌ててゾロが、サンジを抱き起こした。

「大丈夫か? 立てるか?」

「…立てねェよ。」

苦笑するサンジに、ゾロがまた口付ける。

「ん…。」

甘い、啄ばむようなキスに、サンジが薄く笑う。

ちらりと一瞬、内心を掠めた小さな不安には、気がついていないふりをした。

さっきあれほどの幸福感の絶頂にいたのだ。

それでもう充分のはずだ。

余計な事は考えまい。

「…てめェ、まだなんか他所事考えてやがんな。」

「え…。」

上の空のキスに気づかれたらしく、目の前のゾロが渋い顔をしている。

「…まァいい。腕、俺の頭の後ろによこせ。」

「あ?」

言うが早いか、ゾロはサンジの脇の下と膝裏に腕を通してそのまま抱え上げた。

いわゆるところの、…お姫様抱っこ。

「うわあああッッッ!!!」

それを把握するなり、サンジは絶叫した。

「バッ、てめ、おろせ!!」

わめきながらゾロの腕の中でじたばたするサンジは、もう顔から湯気でも噴きそうだ。

「お前が立てねェっつったんだろうが。」

くっくっと笑いながら、ゾロは実に楽しそうにサンジを姫抱きにしたまま、祭壇から飛び降りた。

「…え。」

サンジが驚く。

「…お、降りちまっていいの…?」

「何言ってる。儀式は済んだろうが。」

「…あ…。」

言われてサンジは我に返った。

そうだ。

 

巫女は戦士と交わり、体内に注がれた精液を地に零す。

 

それは全て、終わった。

ぞくり、とサンジの胸中に、焦燥が走る。

さっき己で気がつかないふりをした、不安。

儀式は終わった。

ゾロがサンジに触れる理由も……………………もう、ない。

どくん、どくん、と心臓の音が煩い。

 

「巫女様、戦士様…。」

そうっと気遣うような声がした。

女官の一人が、頭を下げ、朱塗りの盆を捧げ持って近づいてくる。

サンジは慌ててゾロの腕の中から逃れようとするが、ゾロはサンジをしっかり抱いたまま離さない。

まるで、誰にもやらないとでも主張するかのように。

 

─────ゾロ…

 

女官が頭を下げたまま盆を差し出す。

「どうぞ、お薬湯をお召しくださいまし。」

言われるままに、サンジは盆の上の茶碗を受け取った。

花の香りがする。

今朝サンジが飲まされたのと同じお茶だ。

ゆっくり啜ると、喘ぎすぎた喉に、それは優しく染み透ってくる。

ふと、ゾロの両腕はサンジを抱いている為にお茶を受け取れない事に気づき、サンジはごく自然にそれを口に含むと、上を向いて、「ん」と、ゾロを促した。

ゾロが目を大きく見開いたのがわかって、サンジは内心、くすりと笑った。

すぐにゾロが、獰猛に口付けてくる。

サンジの口腔内を吸い上げて、舌を絡めてくる。

それを、サンジはおとなしく受けていた。

レディの前だとか、そんなことはもう気にならなくなっていた。

だって儀式はもう終わったのだ。

ゾロがサンジに触れる理由は、もうなくなってしまった。

それならば、ちっぽけなプライドに固執してこの腕を拒むより、今はただ、一秒でも長く触れ合っていたかった。

 

もう一人の女官が、やはり頭を下げたまま、儀式の前にサンジの頭から脱がせた天冠を差し出す。

「これにて儀式は満願となります。お二人で神殿の奥にお進みになり、この天冠を奉納ください。湯と寝所のご用意はできております。今宵はごゆっくりお寛ぎくださいませ。」

そう言って、女官は二人揃って深く一礼する。

退出するような気配を見せて、女官の一人がふと振り返った。

サンジ達が傷つけてしまった元の巫女の方の女官だ。

「サンジ様。」

女官達はずっと頭を下げていたのに、この時だけ、彼女は顔を上げて、サンジをまっすぐに見た。

その顔は、先ほどまでの儀礼的なそれではない。

 

「月神は決して間違いを犯しません。…ご多幸を。」

 

神輿の上で言ったその言葉をもう一度言い、にこりと微笑み、再び頭を下げて、女官はすっと下がっていった。

 

気がつけば、辺りには誰もいなくなっている。

あれほどいた島民達も、ルフィもロビンも、いつの間にかいなくなっていた。

女官達も姿を消し、ゾロとサンジの二人だけが残されている。

 

「神殿てどっちだ。」

サンジを抱えたままのゾロがあらぬ方向に行こうとするのを、サンジは笑いながら、

「目の前だ。ばか。」

と突っ込んだ。

荘厳に聳え立つ、白亜の神殿。

その外観は神輿のそれによく似ていた。

模して作られていたのだろう。

 

重い扉をゆっくりと開けると、中は灯りがついていた。

神殿の中は外気を遮って、ひんやりと冷たい空気に満ちている。

「ゾロ、歩けるから降ろせ…。」

小さく告げると、ゾロがようやっとサンジを降ろしてくれた。

 

神殿の中は、円形の広間になっていて、壁にはたくさんの絵がかけられている。

広間を突っ切った正面奥に、御帳台がある。

サンジは、天冠を手に、神殿の奥に進んだ。

神殿の奥にある御帳台には、小さなお社と神像があり、手前に空いた台座がある。

サンジは、その台座に天冠をそっと乗せた。

それから少し考えて、躰に纏った夥しい装飾品も外して台座の周りに置くことにした。

装飾品は、もしかしたらここに返すものじゃないのかもしれないが、まあその辺は誰かが何とかしてくれるだろう。

華奢な細工の装飾品は、ゾロが無茶してくれたおかげで鎖があちこちちぎれてしまったり、絡んでしまったりしている。

それを丁寧に一つ一つ外しながら、サンジは自分の躰を見下ろした。

平坦な胸の、男性器もついている、どこをどう見たってまごうかたなき、男の躰。

これがゾロに愛撫されて、ゾロを受け入れたなんて、まだ信じられない。

白い肌に点々と残る、赤い痕。

サンジはそれを指で辿って、ふるりと躰を震わせた。

「何やってんだ?」

出し抜けに背後から声をかけられ、サンジは飛び上がった。

ゆっくりとゾロが近づいてくる気配がする。

努めて動揺を表さないようにしながら、サンジは、何気ない風に、ゾロに向かってうなじを晒してこう言った。

「ちょうどよかった。てめェ、これ外してくれ。」

自分の首にかかった首飾りをとんとんと指差す。

ゾロの熱い手が首筋に触れて、サンジの心臓が、とくん、と音を立てた。

うなじに、ゾロの吐息があたる。

 

─────やべェ…俺…勃ちそう…

 

ぎゅっと目を瞑り、サンジは、自分の体の奥に灯った明らかな欲情を、押し殺した。

 

そのサンジの耳に、ぶつっ、という鈍い音が届いた。

 

サンジのこめかみに血管が浮く。

「……………ぶっちぎりやがったな…。マリモくん。」

「外せって言うから外したんだろうが。」

「ぶっちぎれとは言ってねェ!!」

「結果的に外れたんだからいいだろうが!!」

「あーもー、しょうがねぇな!!」

 

さっきまでの甘い名残などどこにもなく、サンジは、ゾロに頼んだのが間違いだった、と思いながら、手や足の鎖を自分で外し始めた。

とはいえ、鎖同士は絡まりあってしまっていて外しにくく、斬ってしまう方が確かに手っ取り早いといえば早い。

サンジが無言で鎖と格闘していると、ゾロがふと、

「…こいつが戦神って奴か。」

とぼそっと言った。

思わず顔を上げると、ゾロが御帳台の上の神像を覗き込んでいる。

「二つあるな。どっちだ? 犬の方か?」

「……犬?」

言われてサンジもそこに視線をやる。

確かに神像は二つある。

対の像らしく、シンメトリーのポーズをとっている。

片方は、頭に、サンジが乗せていた天冠とよく似たものを乗せた、優しげな顔の神像。

巫女と同じ天冠である以上、こちらは月神だろう。

そしてもう一つは、甲冑に身を包んだ戦神と思われる神像。

甲冑の神像は、体つきは人間だったが、その顔は狼のような獣の顔をしている。

「へぇ…、獣神…だったのか…。」

サンジも思わず呟く。

まじまじと覗き込んでいたゾロが、何かに気がついたような顔をして、いきなり、ちっ、と舌打ちした。

「どした? ゾロ。」

「…この犬、鷹の目みてぇな大刀持ってやがる。」

サンジが改めて戦神の像を見ると、なるほど、背中に身の丈もあろうかと言うような刀を背負っている。

ゾロを振り返ると、ゾロは、いかにも嫌そうな顔をしていたので、サンジは思わず噴き出した。

「…なんだよ。」

「はははは、なんでも、ねぇよ。ははは。ほら、でも、これ、お前らのみたいなまっすぐな刀じゃねェじゃん。薙刀みてぇな刃。青竜刀だな。」

そう言って、サンジは笑いながら、慰めるようにゾロの頭をぽんぽんと軽く叩いた。

その手をいきなり掴まれる。

怒らせたかと、びくりと、サンジの体が硬直する。

それほどに、恐ろしいほど真剣な、ゾロの顔。

 

「………………お前そうやっていつでもバカ面で笑ってろ。」

 

「…は…?」

「弱っちくベソかいてんじゃねぇ。」

「なっ…、ベソ…!?」

呆けていたサンジの顔が、見る見る紅潮する。

「いつ俺がベソなんかかいた!! あァ??」

自分がかつてないほど弱っていた事を充分承知の上で、けれど譲れないプライドでサンジは声を荒げた。

だが、チンピラ丸出しの顔で肩を怒らせるサンジを、ゾロは穏やかな笑顔で見ている。

心底ほっとした、と言うような。

もしかしてこいつ、心配とかしてくれちゃってたんだろうか、と思うと、サンジの顔は更に熱くなった。

「笑ってんじゃねぇ、蹴り飛ばすぞ。」

面映ゆさを隠してそう言うと、

「今はやめとけ。てめェ、フルチンだ。」

と、すげなくかわされた。

「て、てめェだってそうだろうが!!」

咄嗟に言い返したが、実はサンジは、二人とも威勢良く全裸であることを、今の今まで失念していた。

女官が顔を伏せていたはずだ。

彼女達は、このあられもない姿を見ないように気を使っていてくれてたのだろう。

なのに、サンジもゾロも平気で真っ裸で、股間のものをぶらぶらさせて、あまつさえ、サンジはゾロにお姫様抱っこされて…。

「う…がああああああああああッッッ!!!」

俄かに脳天に羞恥が駆け上がってきた。

自分がどれだけぶっ飛んでいたかをいきなり自覚した。

レディの前で全裸で、お姫様抱っこで、ちんちんぶらぶら、二人して。

ゾロだけでなく、自分まで。

ゾロにつけられた濃厚な情交の痕をこんなにも躰のあちこちに残したままで。

 

これを、

全部、

レディに、

見 ら れ ……

 

「ぎゃああああああああああ!!!」

サンジは頭をかきむしって悶絶した。

 

信じられない。信じたくない。

ゾロに触れられて、ゾロに抱かれて、ぶっ飛んでしまった自覚はある。

けれど、まさか、これほどまで自分が我を忘れていたなんて。

 

ゾロは、目の前で突如発狂したかのように絶叫するサンジを、面白そうに見ている。

その視線がもういたたまれなくて、サンジは、慌てて、ぷいっと踵を返した。

「おい…。」

呼び止めるゾロに、

「うるせぇ! 風呂だ、風呂!!!」

と振り返らずに言い放った。

 

既に昨日、サンジはこの神殿で一泊している為、風呂がどこにあるかもうよくわかっている。

いったん円形の広間に戻って、脇の通路を抜けた先だ。

用意してあると言った寝所は、多分、あの礼拝堂とは名ばかりのベッドしかなかった小部屋のことだろう。

 

サンジは恥ずかしさのあまり、ゾロを振り返りもせず、広間までダッシュした。

壁に激突するような勢いで広間まで戻り、そのまま壁に縋りつく。

なんだかもう壁に縋ってしくしくと乙女泣きしたいような気持ちになっていた。

 

とん、と手が何かに当たる。

ああ、しまった、壁にかけられた額に触っちまった、と思い、慌てて顔を上げて、─────刹那、サンジは息を呑んだ。

 

 

 

そこにかけられていたのは、世界を焼く、戦神の絵だった。

 

 


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