【5】

 

その頃ゾロは、島の一角にある飲み屋で、案の定呑んでいた。

 

まるで水でも流し込んでるんじゃないかと言うほどの勢いで、かぱかぱといい呑みっぷりを見せるゾロに、すっかり祭にメートルをあげた酔っ払いの親父が、近づいてくる。

「イケるクチだな、緑のまろうどよ! まあ飲め、俺のおごりだ!」

おごりだ、も何も、よそ者であるゾロは、臥月祭の期間中は島のどこへ行ってもただ飯ただ酒だ。

親父の調子のよさに噴き出しつつも、ゾロはその杯を受けていた。

陽気な酔っ払いは嫌いじゃない。

それに、ゾロは昔っから何故かこういう手合いによく好かれるのだ。

この島の地酒も、どれもこれも土性骨にずんとくるような強さで実にいい。

 

「緑のまろうどよ、あんたは神輿を見たかい?」

赤ら顔で親父が聞いてくる。

「あの白いやつか?」

「おお、見たか。そりゃあ縁起がいい。今年の巫女様は格別に別嬪だったなあ。」

そう言われて、ゾロは、昼間見た神輿を思い出そうとした。

銀で飾られた真っ白な神輿。

そこに乗せられていた美しい巫女様…だったような印象は確かになんとなく覚えていないでもなかったが、顔がどうしても思い出せない。

だがまあ、親父が別嬪だというのだから、別嬪の巫女さんだったんだろう。

 

どちらかと言うとゾロは、巫女様よりも、それより前に披露された剣舞の方に心が行っていた。

祭らしく、あまり実戦向けではない装飾過多な甲冑に身を包み、獣のような顔の面をつけて、ダイナミックにして華麗な奉納舞いを披露する剣士達。

けれど振り回していたその大刀は、装飾こそ美しかったが祭用に刃を潰した物等ではなかった。紛れもなく真剣だった。

それを抜き身のまま激しい速さでぶんぶんと振り回して、何人もが場を入れ替えながら踊っていた。

─────ありゃあ、どいつもこいつも結構強ェな。

ゾロの目は、踊りの所作だけで、剣士達の資質を見抜いていた。

なるほど、戦神を崇める島だけあって、若者には戦士としての素地が求められるのだろう。

そういう目で見れば、島の男達は誰もが屈強で、筋骨逞しい。

華奢な体つきの男など一人も見当たらない。

隆々とした筋肉の、頑強な男達ばかりだ。

労働で培われた筋肉ではない。

鍛錬によって鍛え上げられた肉体だ。

目の前のこのメートル親父ですら、筋肉で肩が大きく盛り上がっている。

この丸太のような腕で殴られたら即死しそうだ。

 

そのメートル親父は、上機嫌で今年の巫女様がどれだけ美しかったかを褒め称えている。

すると不意に、店の中にいた別の男が話に割り込んだ。

「ありゃあ、港町のパン屋の娘だよ。」

「おお、レンガの煙突のか?」

すぐにまた別の男も話しに入ってきた。

「あそこのおっかあは若い時分はそりゃあ評判の小町娘でなぁ。」

「なんの、今日の巫女様もおっかさんに似て、なかなかの器量良しじゃねェか。」

「俺ァ、もう30年も前に、あそこのおっかさんにこっぴどく振られた事があってな。」

「おお、あのかあちゃんは別嬪だが、気の強さも天下一だからな。」

「その娘にしちゃあ今日の巫女様は実に可愛らしかったじゃねェか。」

「ああ、鍛冶屋の小倅が、嫁にするんだ、つって戦神を競ったってよ。」

「へーえ、あの洟垂れがなあ。大きくなったもんだなあ。」

気がつけば、店中がまるで旧知のように内輪話に花を咲かせていた。

皆、まろうどと呑んでいることが嬉しくてならないらしく、話の合間合間に「このおっかあってのの気性の激しさと言ったら」とか「鍛冶屋っつうのは西の山の中腹にあって」等と、話のわからないゾロにもわかりやすく解説をしてくれる。

しかし、みんながみんな酔っ払いで話が要領を得ず、おまけに、好き勝手に口々に話しかけてくるので、話の内容は半分くらいわからない。

それでもゾロは、店の中の優しい雰囲気に、気分よく酒を飲んでいた。

 

その時だった。

 

「大変だ!! 儀式が穢された!!」

血相を変えた男が店の中に飛び込んできた。

男の言葉に、店内の和やかな雰囲気が一変する。

「なんだと!?」

「どういう事だ!!??」

今まで笑いながら酒を飲んでいた男達の顔から、一斉に酔いが抜け、瞬く間に凄まじいほどの怒気を孕む。

思わずつられてゾロも腰の刀に手をやるほどの、それは殺気だった。

「まろうどが神殿に入り込んだんだ。儀式を見て、巫女様を助けちまった。」

「なんてこった!!!」

誰かが吼えた。

まさに一触即発の雰囲気。

 

─────まさかルフィじゃねェだろうな。

 

ゾロの脳裏に、いかにもそんな事をやらかしそうな船長の姿が浮かぶ。

儀式とやらがどんなものかは知らないが、うちの船長なら、うっかりで神殿ごと破壊していたっておかしくはない。

島民達がこんなに怒りまくっているのだ、ただでは済むまい。

もしルフィだったのなら、或いはゾロは、この人々に刃を向けなければならないかもしれない。

今まで楽しく酒を酌み交わしていたこの人々に。

 

だが、店に飛び込んできた男は、

「いや、それがな。」

意外な事を言い出した。

「そのまろうどは、儀式を穢した事を詫びてくれた。そんで、明日もう一度神輿が回ることになった。」

その言葉に、店内の男達の殺気が、いきなり、すとん、と抜け落ちた。

「本当か、そりゃ!」

 

「ああ、本当だ。何十年かぶりの、まろうどの巫女様だ!」

 

わあっと、店内が歓声に包まれる。

あまりに早い展開に、ゾロの頭は全くついていかない。

 

どういうことだ?

つまり、良くはわからないが、その儀式を穢したまろうどが詫びた事で、どうやら場が収まったと言うことらしい。

明日、もう一度神輿が回るという事は、儀式とやらをやり直しする、とそう言うことか。

 

「ああ…なんてすばらしい…!」

店中の男達が、泣きださんばかりに感激している。

「しかも、聞いて驚け。まろうどは我らに、金の髪のおかんなぎ様をお貸しくださった。」

「おお………………………!!」

店内の酔っ払い達は、もう感激に言葉も出ない様子ですらある。

 

だがゾロは、“金の髪”という言葉に、不意に、自分の船のコックを思いだした。

 

まさか……。

 

「金の髪とはなんとありがたい…!」

「おかんなぎの巫女様もまた久方ぶりだ…。」

 

いや、それはないか…。

あのおせっかいコックが何か関わっているかと一瞬思ったが、“おかんなぎ”、というのがなんなのかわからないが、“巫女”、というならば女だろう。

事実、昼間見た巫女は女だった。

金髪の女は、麦わらのクルーの中にはいない。

 

ゾロは安心して刀から手を離して酒の杯を取った。

 

「そりゃあ美しい月光の如き御髪をされている、おかんなぎ様だそうだ。」

「きっと今年は島にとって稀に見る豊穣の年になるに違いない。」

「なんとめでたい。」

 

男達は、先刻までの物騒な雰囲気もどこへやら、すっかり上機嫌で「祝杯だ!」とがなりながら、どんどん酒を飲み始める。

 

─────月光の如き美しい金髪、か…。

 

思うともなしに、ゾロの脳裏にサンジの髪の色が浮かぶ。

明日の巫女の髪がどれだけ美しいか知らないが、ゾロにとって、“月のような”といえば、それはサンジの髪だ。

まんまるの満月など、そのままあのコックの頭のようだ。

黄色くて、まん丸で、片手で握りつぶせんじゃないかってほど小さくて。

 

─────中身はすっからかんだけどな。

 

思いながら、ゾロは小さく笑った。

陽に透けながら、毛の先の先まで眩しいほどに輝きを放つ金の髪。

あの痩身が、まるで舞うような優雅な動きで敵を薙ぎ倒す時、その金髪は、さらさらと軽く快い小さな音を立てながら靡く。

あまりにそれがきらびやかで軽薄な美しさなので、中身が空っぽのように見えてしまう。

女にでれでれとしている姿を見れば尚更だ。

 

軽薄な仕草。軽薄な美しさ。

 

─────だけど本当は。

 

誰よりも高いプライドと、揺るぎない気骨。

自分の身を省みない、捨て身の優しさ。

 

なよなよと優男のような物腰で、その芯を貫くのは確固たる信念だ。

 

あの、さらさらと軽々しく、そのくせ一本一本がしっかりとしなやかで、毛先まで確かな輝きを放つ金髪は、まるでそれがそのまま、あのコックの本質のように思えてならない。

 

月光のような…というより、月そのものだ。

 

闇の中でなど、あの髪は、まるで髪自体が発光しているかのような、仄明るい不思議な光を放つ。

見ていると、心が安らぐような、全く逆にざわつくような、不思議な感覚に囚われる、そんな光を。

月光によく似ているのに、月光よりも密やかで、そのくせ鮮やかで、揺らめく光。

 

そうだ、あの金は…、海に映る月だ。

漆黒の海に浮かんで、見る者の心を弄ぶように、惑わすように、ゆらゆらと揺らめいて、捉えどころがない月。

 

すぐ近くに輝いて見えるのに、決して手で掬う事は出来ない。

手に入れる事のできない、海に映った月。

触れる事すらできぬのに、その輝きはあまりにも鮮烈で、誰をも魅了する。

 

「アホか俺は。」

 

何を考えてる。

 

あのクソコックの事を、ぼんやり思っているなんて。

 

─────祭の熱気に当てられたか?

 

苦笑しながら、手に持った杯を勢いよく飲み干した。

 

空に月は出ていないと知っているのに、何故だかとても月を肴に酒が飲みたいと思った。

 

 


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