■ Crime of Pain ■
【4】
「言い訳しないなんて偉いな、お前。」
車を走らせながらゾロがそう言うと、黒髪の子供は助手席で胸を張った。
「うん。いいわけするとサンジなくからな。サンジなくようなことは、おれしないんだ。」
なるほど、とゾロは思った。
サンジが泣くから言い訳はしない。
サンジが泣いているから幼稚園を抜け出した。
サンジを守る男になる。
この子の原動力は、全てサンジだ。
ゾロはそれを、ひどく好ましく思った。
いい子だな、と頭を撫でてやろうとして、不意に、ゾロはぎくりとした。
スモッグの胸元に名札がついている。
マジックで子供の名が書いてある。
「ひよこぐみ もんきー・D・るふぃ」
─────待て。
ゾロの心臓が、大きな音を立てた。
なぜ、「ポートガス」じゃない?
この子は、サンジとエースの子だろう?
なのになぜ、苗字がエースと違う。
モンキーは、サンジの苗字だ。
結婚したのなら、サンジもポートガスになっているはずだ。
なぜ、子供の名がサンジの旧姓のままなんだ。
エースが婿養子に入ったか?
いや、それはありえない。
別姓?
それこそありえない。
家を離れ、家庭を作り、子供を作り、あまつさえ別姓にしてる、など、いくらポートガスの家が鷹揚でも、そこまでは許されないだろう。
…籍を入れていない、のか?
サンジとエースは。
何故。
二人で逃げて、こんな風に暮らしておきながら、まさか、エースは、籍も入れずサンジを内縁の状態にしているのか?
突き上げてくる、怒り。
籍が入っていないのなら、ゾロにしてみれば喜ぶべきことのはずなのに、瞬間、ゾロを鷲掴みにしたのは、目も眩むほどの怒りだった。
かけがえの無い、大切な大切なものを、土足で汚されたような気がした。
ゾロにとってサンジは、何ものにも代えがたい、命にも等しい存在だった。
それを横から掻っ攫い、逃げていったのだから、そこまでしたのだから、エースは当然、ゾロがそう思うのと同じ思いをサンジに抱いていると思っていた。
エースにとっても、サンジは唯一無二なのだと。
サンジは、ゾロ達とは違う。
上流階級である事を鼻にかけ、骨の髄まで腐りきったゾロ達とは全然違う、美しく純粋で穢れのない人間だ。
取替えのきくおもちゃのように扱っていい存在ではない。
エースは、それをわかっていると思っていたのに。
囲っているのか? 妾のように。
サンジをこんなポートガス家から遠くの町に連れ出しておいて、自分はそ知らぬ顔で家に戻り、どこだかの令嬢を妻に迎えるつもりででもいるのか?
あまりの怒りに、ゾロは運転操作を誤りそうになり、慌てて車を近くの児童公園の駐車場に入れる。
「どうした? ゾロ。」
ルフィが心配そうに覗き込んでくる。
その曇りのない黒曜石の瞳に、ゾロは凄まじいほどの衝動を覚えた。
俺ではだめか?
俺ではこの子の父親になれないか?
俺と、この子と、サンジで。
俺ならサンジをこんな風に扱ったりしない。
サンジにも、この子にも、ロロノアを名乗らせる。
それでもダメなのか?
それでもサンジはエースを選ぶのか?
駐車場に車を止めたまま、黙って自分を見つめるゾロをどう思ったのか、ルフィがあれこれと話し掛けてくる。
「あのな、げんきがでないときは“うめず”がいいんだぞ。」
サンジの受け売りだろう、梅酢、などと渋い事を言ってくる。
ゾロは思わず口元を綻ばせて、
「お前、梅酢食えるのか?」
と聞いてみる。
「くえねぇ!」
元気よく返事が返ってくる。
「おれはけーきすきなんだけど、おたんじょうけーきはあんましすきじゃない。サンジのがいい。」
「お誕生ケーキ?」
「ようちえんでくった。5がつうまれさんのおたんじょうかいでもらった。」
「…お前、5月生まれか。」
「5がつ5かだ。こどものひだ!」
言いながら、ルフィは、首から提げた小さなカードホルダーをゾロに見せた。
子供に人気のアニメキャラクターのついたそれには、子供の名前と生年月日が書いてあった。
そこにもやはり、「もんきー・D・るふぃ」と書いてある。
それをやりきれない思いで見る。
サンジの姓のついた子供の名もそうだが、子供の生年月日は、ゾロを打ちのめすのに充分だった。
その生年の五月五日から、単純にとつきとおか引いても、子供が出来たのは五年前の7月頃。
7月…。あんな頃からエースと通じていたのか。
ゾロがサンジに告白をして、サンジが答えてくれて、楽しくて楽しくて仕方なかった頃だ。
そんな頃からもう、サンジはゾロに愛を囁くのと同じ口で、エースにも睦言を囁いていたのか。
「おれはがんばりやさんのえらいこなんだ!」
唐突にルフィが言った。
「あ?」
「ほんとは8がつなのに5がつにでちゃってちっちゃかったけど、がんばりやさんのえらいこだったからおっきくなったんだ。」
「あ?」
「サンジがいつもいってるもん。てめェはろっかげつででちまったからたいへんだったんだぞーって。」
「ちょっと待て。」
ほんとは8月なのに5月に出ちゃって。
6ヶ月で出ちまったから。
どくん、どくん、と心臓がいやな速度で動き始めた。
今、何かとてつもない事を聞いたような気がした。
本当は8月出産予定日なのに、5月に生まれちゃって。
妊娠6ヶ月で出ちまったから。
そういう、意味、か?
6ヶ月。
6ヶ月、だと?
心臓の音が煩い。
5月5日の、6ヶ月前。
11月。
5年前の、11月。
11月──────────!
今度こそ本当に、ゾロの心臓は止まるかと思った。
5年前の11月、エースがサンジと会えたはずが、ない。
放蕩息子で有名だったエースは、つまらない連中とつまらない諍いを起こし、その中の一人に怪我をさせ、拘置所に入れられていたことがあった。
結局、莫大な保釈金を払ってエースは出てきたが、拘置期間は3ヶ月近くに及び、エースは12月の半ば頃まで、拘置されていた。
9月頃から、12月頃まで。
もしルフィの言う事をそのまま丸のみにするのなら、サンジの子供の種が、エースであるはずは、ない。
11月だとしたら。
11月だとしたら。
11月。
忘れるはずもない。
11月は、ゾロの、誕生日があった、月だ。
忘れてない。
忘れるはずがない。
5年前の11月11日。
サンジに初めてメイドの仕事を休ませた。
一日中サンジを独占していた。
翌日からマリージョアにいる父の元に行かねばならなくて。
どうしても我慢できずに一日サンジを抱いていた。
何度もキスをして、何度も抱きあって、何度も精を吐き出して、お互いの体からもう何も出なくなって、擦っても舐めてもお互いのペニスはぴくりともしなくて、そんな風になるまで、無我夢中でお互いを貪りあった。
お互いのペニスがもうまったく勃たなくなっても、ずっと抱き合っていた。
お互いの体の間にほんのすこしの隙間も許せないとばかりに、ぴったりと密着したまま眠った。
クリスマスには帰ってくるから、そうしたらまた二人で過ごそう。
そのまま二人でマリージョアにいって、親父にお前を紹介するから。
俺の嫁さんになる人だって紹介するから。
そう言って、ゾロは父の元に出発していった。
なのに、クリスマスの当日に帰国した屋敷に、サンジはいなかった。
「彼はやめて出て行きました。」
とクラハドールが言った。
それきりサンジは、ゾロの前から姿を消したのだ。
すうっと、ゾロの脳天から血の気が引いた。
エースの籍に入っていない子供。
逃げるように姿を消したサンジ。
まさか。
不思議そうにゾロを見つめる子供の顔を、ゾロはただただ、呆然と見つめていた。
繰り返し繰り返し、脳裏に同じ疑問が浮かんでいた。
──────この子の父親は、誰だ?
2005/12/26