■ 記念日 ■ シロンさん
11月11日は私たちの結婚記念日。
『今度の週末に予定している七五三のお参り、叔母さんたちも一緒に行ってくれるわよね?』
電話をしてきたのは夫の兄の子です。
彼女の両親は早くに事故で他界し、夫の両親が引き取って育てていました。
夫にとっても私にとっても彼女は実の娘のような存在です。その姪からの頼み事です。
一も二も無く引き受けました。
ああ、きっと、そのときから神様が私たち夫婦の過去の罪を軽くしてしださるよう慈悲をくださったのでしょう。
週末の境内はそれはそれは賑やかに、着物やドレス、スーツに袴姿の幼子を若い父母や祖父母が争うように、ビデオや写真に撮影していました。
私たち一行もはたから見るとそう見えるのでしょうか?
私たち夫婦に子供はなく、いえ、一度は『お父さん、お母さん』と呼ばれる機会を得たのですが……
そんな事を考えていたせいか一人の少年が目に入りました。
年の頃は10、11才ぐらい。きっと誰かのお兄さんでイヤイヤ連れてこられたのでしょう。退屈そうな顔をしています。
私にはその顔が記憶にある少年に見えてきます。
あの日、何も言うまいと唇を引き結んで去って行った少年の顔に。
「今日、結婚記念日でしょ? プレゼントがあるのよ。」
姪の声に慌てて頭を振り記憶を閉じました。
ディナーを予約しているとレストランの場所を教えてくれました。
夫と共に久しぶりに子供を相手にして疲れ気味だから、洋食は堅苦しくて……と答えると、
「大丈夫。そんなに気を使う雰囲気の店じゃないし、それにもうコースを頼んじゃったのよ。」
姪夫婦と姪のご主人のご両親もしきりに勧めてくださいます。
最後には折角のご好意だからということで、姪夫婦とご両親にお礼を述べ、あの日から祝うことの無くなった結婚記念日の夜に二人で食事に出かけることとなりました。
そしてそこで、偶然、会って、いえ、見つけました。
何年も前に、私たちの身勝手な振る舞いで傷つけてしまった、少年───
───ロロノア・ゾロくんを──
「ロロノア・ゾロです。」
そう言って笑った顔はとても緊張していました。
それまでの適正を見定める外泊と違って、今日からは本格的な養子縁組に向っての生活が始まるのです。
私も、夫も彼の緊張をほぐそうと色々と気配りをしていましたし、彼も私たちに気を使ってくれていました。
私たち三人は春の暖かい日差しのなかで、楽しく充実した毎日を過していたと今も信じています。
桜が見事に咲き誇ったすばらしい一春でした。
ゾロくんを養子にしようと思ったのは、私たちの結婚記念日とゾロくんの誕生日が同じだったから。
単純な理由だけれど縁を感じていました。
ですが、私たちはもっと自覚を持たなければいけなかったのです。
子供を引き取るということがどれだけ覚悟と責任を負う事となるのかを。
私たち夫婦の住んでいる地区はとても歴史があります。
中でも私の家は代々続いた旧家です。だから他に男兄弟のある夫には婿に入ってもらいました。
しかし、残念ながら子宝には恵まれせんでした。
連れ添ってもう二十年を迎えようとする年に、この家のためにもと子供を養子を貰う決心をしたのです。
当然のことながら私の親族達は猛反対しました。
それでもなんとかなると単純に考えていたのです。
だって、私たち夫婦とゾロくんはとっても仲良しになっていたから。
すべてが順調に運ぶと安易に信じ込んでいました。
しかし、春休みが終わりゾロくんが学校に通うようになって一ヶ月ぐらいした頃、大柄の男の人が子供を連れて『あんたのところのガキに殴られて怪我をした。』と怒鳴り込んできました。
そこで、本当の親ならば「うちの子が理由もなくそんな事をするはずがない」と毅然とした態度で対応したでしょうが、私たちはまったく顔も名前も知らない人に怒鳴られるという状況に、冷静な判断がつかず、すぐにその方に謝ってしまいました。誠意がないと騒がれ治療費としていくらかの現金もお渡ししました。
いま省みれば、これがいけなかったのだと思います。
その親子はそれ以来、何度となく『怪我をさせられた』と治療費を取りにくるようになりました。
夏休みが過ぎ二学期が始まると、別の親子が『遠足の費用が無くなった』とか『ノートを盗られた』などと言って来ました。
いくら「ゾロは知らないと言っています」と反論しても、『孤児院からきているガキが犯人なのは間違いない。それなのに謝りもしないで文句を言われた』と一方的に地域に、私たちの事を悪く吹聴されました。以来、町内の雰囲気が変わったのです。
最初は気のせいかとも思ったのですが、道を歩くたびにコソコソと噂され、目を合わせると蜘蛛の子を散らすように逃げていかれます……
いつも監視しているような視線を感じます。
スーパーや美容院で指差され、ヒソヒソと小声が洩れ聞こえてきます。
それが辛くて、ついお金を渡してしまいました。
それからは、親だけが家に来ては『窓が割られた』『自転車が盗られた』等々……きりが有りませんでした。
馬鹿な私たち夫婦はその度に金銭で処理していたのです。
そんな日々が続いていたある日、大叔父が親戚一同から頼まれたと突然尋ねてきました。
『なぁ、ムース、それからセトさんや……。
言いたくはないが、あんたらの為にあえて言わせて貰う。
あの子はあんたらを苦しめるためにおるんかの?
聞けば、今でも人を殴ったり蹴ったりしているそうじゃないか。
警察沙汰にならんうちに元いた施設に返したらどうかの?
何も、しなくていい苦労をいまさら背負い込まなくともええじゃろう。』
私たちの苦労をねぎらうように気の毒そうにそう言い残して帰宅しました。
───私たちを苦しめるために存在している。
慣れない子育てに疲れ果てていた私の心の中で、その言葉は次第に、ゾロくんが居なければ……、という気持ちを育てていきました。
夫とも最近、多くなった口喧嘩。
以前は二人だけで穏やかに暮らしていたのに、それも、これもみんなゾロくんのせいだと考えるようになりました。
ついにはゾロくんを愛しいと思う気持ちよりも、疎ましいと思う気持ちの方が大きくなっていたのでしょう。
「触らないでっ!!!」
肩に付いていたゴミを取ろうとして親切に伸ばしてきたゾロくんの手を、思い切り叩いて振り払ってしまいました。
その時の彼の顔。
一生忘れることが出来ません。
その表情は私を苛みました。
何の落ち度も無い彼を傷つけてしまったことに耐え切れなくなった私はやがて倒れてしまいました。
夢の中でゾロくんは私のことを責めました。
実際にはそんな事はただの一度も無かったのに。
一週間ちかく高熱が続き、うなされて続けていたらしい私が目覚めたのは緊急入院した病室でした。
私の顔を覗き込み、付き添っていた夫が静かに言いました。
「院に連絡をいれたよ。」
私たちは───親である事から逃げ出したのです。
「ごめんね。さよなら。」
最後にかけた私の言葉に、彼は無言のまま迎えにきた職員とタクシーに乗り込みました。
まるで、小鳥や犬猫のように簡単に生活環境を変えられてしまう事に、いろいろ文句も言いたかったでしょうに彼は何も言葉にすることなく去っていきました。
遠ざかる車を見送り続け、私たち夫婦もこれでよかったのだと思い込もうとしました。
家に戻ると住み慣れている我が家が広く感じました。
いまから夫と二人です。
以前の生活に戻るだけです。
胸の中を冷たい風が通り抜けたような気がしましたがあえて無視しました。
毎日痛む心を無視し続け、やっとなんとか生活を立て直しつつあったある日、私たちは分家の法要の席でとんでもない事を立ち聞きしてしまったのです。
『それにしても、あの男はうまくやってくれたな…』
『ああ、あいつね…金に困っていたようだったから、ちょっと入れ知恵したら案の定、難癖つけてタカリにいったよ。終いには自分で自分の子供を殴ってまでしてさ。』
『いやだ。その人、もう大丈夫なの?』
『ああ、あのガキが本家からいなくなったんだ。言いがかりの付けようもないさ。あの男の尻馬に乗った連中も。』
『そりゃ良かった。やっと本家からあんなどこの馬の骨とも分らない孤児院の子供を追い出せたのに、資産が減っちゃあ洒落にならないからな。』
『あら、それぐらいは本家の財産からすれば微々たるものだし、あの子を追い払うための手間賃だったとおもえばいいのよ。それにしても、わざわざ大叔父さんにお出まししてもらった甲斐があったわ。』
『これに懲りてあの二人も、もう養子なんて馬鹿なことは考えんじゃろ。』
『まったく。養子ならここにいる親戚のなかから選ぶのが筋ってものだろうに。』
『本当ですよ。』
目の前が真っ暗になり、足元が崩れていくようでした。
なんとかその場を離れ体調がすぐれないからとそのまま欠席し、自宅で夫と手を取り合って一晩中泣きました。
ゾロくんと私たちを追い詰めた数々の事件は、私の親類筋で起こしていた事でした。
彼らは私達の財産を狙っていたのでした。
もし、ゾロくんが正式に養子になれば私たちの財産はすべて彼に受け継がれます。
ですが養子縁組をしなければ子供のいない私たちの資産は、あの席に居た親族が手にすることが出来るわけです。
代々受け継がれてきた山や土地、田畑。それに毎月のアパートや駐車場の家賃、貯金、貯蓄、有価証券など。
空島地区では一番の旧家です。改めて考えれば相当な資産です。
あれだけ、猛反対していたのに途中であっさり引き下がったのはこういう理由があったのだと知りました。
もう少し私たちに世間を見定める力があれば、人の思惑を推し量る力があったのなら、ゾロくんはいまでもこの家に居てくれたかもしれません。
悲しくて、申し訳なくて、その日からゾロくんの部屋で毎日泣いていました。
あの日あの子はどんな気持ちで荷物の整理をしたのでしょう。
院が迎えの日に指定してきたのは…11月11日。
何度も、何度も、試し外泊を繰り返してやっと、親子になれると思っていたのに。
戻される日時を夫から聞かされたゾロくんは無言で頷いて、与えられていた部屋に籠ったそうです。
理由も問わず、騒ぎ立てる事もせず静かに。
大人びてはいても、まだその背中は小さかったというのに。
親戚一同の心無い仕打ちを知ってから、何をするにつけ、どうしているだろうかと気になりました。
ですが、いまさら合わせる顔など有りません。
幸せに暮らしていることを祈るばかりです。
やがて自然に結婚記念日は、私たちの記念日というよりゾロくんの思い出を話す日と変化していきました。
普段は食べないケーキを買い、一度も祝ってあげることの出来なかったお誕生日を夫と祝いました。
そして、私たちが傷付けて放り出した少年に詫びながら、あの春から初冬への三人で過した日々を振り返ります。
ええ、そうです。
夫と二人で何度も何度も本を読むように。繰り返してはまた繰り返して。
忘れることなど出来ませんでした。
その彼がいま、目の前ほんの数メートル先に居ます。
体つきも大きく逞しくなっています。
無事に大きくなったのね……知らず知らずに涙が流れてきました。
夫も食い入るように見詰めています。
ゾロくんは隣に立っている金髪の男の子とお話をしているようでした。
「…………………」
「んな、怒んなよぉ… しょーがねーだろう? 店、ジジィと二人だけなんだからよぅ。」
「…………………………」
「ほら。眉間に皺寄せんなよ。怖ぇぇつーの。ただでさえ凶悪面なのに。」
男の子が腕をのばしてゾロくんの眉の間を撫でています。
ゾロくんは暫らくそのままの姿勢でいましたが、急にその男の子を抱きしめて………キスをしました。
途端に、金髪の子は真っ赤な顔をしてゾロくんを蹴り飛ばしました。
「馬鹿ゾロッ! 天下の往来で何しやがるっ!」
「………………」
「…出来る限り早く帰れるようにすっから、テメェは大人しく部屋で待ってやがれ。」
「…おう。」
何年かぶりに聞いたゾロくんの声。
私たちが聞きなれていた遠慮がちな声音ではなく、どこか満足そうな声。きっと親しい人だけに聞かせる声。
そして、なにより蹴られながらも嬉しそうな顔。
指先一つ動かせずにいる私たちと反対の方向に、大きくなった背中が段々と小さく遠ざかって行きます。
私は視界が歪んで、もう声を押し殺すのも無理で……
「あの、マダム……どうかなさいましたか?」
穏やかな声。
声の方に顔を向けるとそこにはさっきゾロくんと一緒に居た少年。
心配そうに私と夫の様子を伺ってくれています。
夫が「思いがけないことが起きたので動揺しました。ご親切にありがとう。」と答えると、「大丈夫ですか?」と綺麗な笑顔で再度訊ねてくれました。
私たちを見詰める綺麗な青い瞳。
この少年ならゾロくんの事を教えてくれる……早くしないとこの子も去ってしまう。
気持ちは焦りますがなんと言えばよいのか……
すると、先ほどまでゾロくんと少年がいた階段の上の窓が開いて怒声が響き渡りました。
「いつまで油売ってやがるっ! 半人前にもなれねぇ、ぴよぴよひよこのチビナスがッ!」
「ひよこって呼ぶなっ! クソジジィ! あ! あの…じゃあ…」
脱兎のごとく駆け出す背中を大慌てで呼び止めました。
でも、何を言っていいのか分りません。
戸惑ったまま何もいえずにいる私たちにその子は優しく微笑んで誘ってくれました。
「俺、そこのレストランで働いてます。とっても旨い店です。よかったらどうですか?」
そのお店の名前は姪が教えてくれたレストランで、ゾロくんと私たちを繋ぐ糸はまだ切れていないように感じて私は思わず感謝の言葉を呟いていました。
案内されたレストランのホールにはチビナスくんしかいません。
お席に着くとにっこり笑って食前酒を給仕してくれました。
そのシャンパンはとても綺麗な色できっといい品物なのでしょう。ですが…
あれほど会いたいと願っていたゾロくん。
幸せに暮らしているだろうかと心配していたゾロくん。
そのゾロくんがチビナスくんが来るのをじっと待っているのかと、どうしても手が動きません。
今日はゾロくんのお誕生日なのに。
背の高いグラスの中で気泡が消えていくのをただ見詰めていました。
院に匿名でゾロくんのことを問い合わせても『前担当が退職したので分らない。』と冷たく言われました。
時々、親類達からゾロくんの悪い噂を聞かされました。『あの子はまともな子にならなかったよ』と。
聞かされる話はどれもこれも辛い話ばかりでした。
すぐに拳を振り上げるような子ではなかったのに。
ちゃんと礼儀のある子だったのに。
己の力のみを信じ、他人には無関心で無慈悲。
────手負いの魔獣。
そう呼ばれていると知ったときには、私たちのしたことがどれほど罪深いものかを改めて思い知らされました。
魔獣と通り名が付けられるぐらいです。彼の行動は壮絶なものだったに違い有りません。
その原因はすべて私たちにあるのです。
なにも悪くない幼いゾロくんだけが、傷付けられたままで生きていかなければならなかったのです。
どれほど、つらい日々だったことでしょう。
独りでいる毎日が。
その彼が、チビナスくんの前で笑っていました。
一緒に暮らした間にほんの一、二度だけ見せた素直な笑顔で。
きっと、きっと、きっとチビナスくんはゾロくんにとって、大切な人なのでしょう。
ゾロくんがチビナスくんを待っています。
チビナスくんには一秒でも早くゾロくんの部屋に行ってあげて欲しい。
そのためには早くお食事を済ませてしまわなければならないのですが、胸がつかえてどうしても手が動きません。
他のテーブルのお給仕の合間をぬって、度々チビナスくんが声を掛けてくれます。
飲み頃を過ぎたお酒を見て、「お取替えいたします。」そう言ってくれたチビナスくんの声も少し悲しそうです。
私はまた泣き出しそうになりました。
そんな私の肩に夫は手を置くと、決意を固めたようにチビナスくんに、責任者を呼んで貰えないだろうかと頼みました。
お席に来てくれた方はオーナーシェフで恰幅の良い堂々とした壮年の男性でした。
私たちが一瞬チビナスくんに視線を走らせたのを見落とさず、オーナーは彼を厨房へと追い払いました。
泣いていた私を気遣ってチビナスくんは奥の方の、あまり人目が気にならないお席を案内してくれていました。
ここならチビナスくんにこれから話す内容も届かないでしょう。
挨拶もそこそこに私たちは、今までの経緯を洗いざらいオーナーにお話しました。
黙って耳を傾けてくれているオーナーに、さらに無理なお願いを申し上げました。
オーナーは土下座をせんとする私たちを押しとどめ、「承知しました。」と仰って席を後にされました。
それでも不安な気持ちで待っている私たちのもとへオーナーが戻られ、片頬を吊り上げて愉快そうに仰いました。
「ケーキとワイン。それとディナーを少々持たせて、今、帰しました。」
チビナスくんを帰してしまったら、オーナーシェフご自身に物凄く負担が掛かることをご承知の上で、そうお計らいくださったのです。
私と夫はそのお心遣いにまた涙して、お礼とお詫びの言葉がうまく言えません。
声を殺して肩を震わせる私たちにオーナーは穏やかな口調で問われました。
「お会いに…ならないのですか?」
「…いまさら会っても、彼には迷惑なだけでしょう……今日、元気な姿を一目見られただけで充分です……」
じっと私たちを見詰めていたオーナーの目元がふっと緩みました。
「………さようですか。では、改めてごゆっくりと召し上がっていってください。」
オーナーは場を切り替えるような声で新しいグラスに注ぎ、アミューズ・グールを置いていかれました。晩餐の始まりです。
お食事を頂く気持ちになって改めて店内を見ますと、他のお客様にオーナーがお給仕なさっています。
申し訳ない気持ちが表情に出ていたのでしょう。
オーナーは快活に「お気になさらず」とアントレ、スープ、ポワソン、グラニテ、ヴィヤンド、サラダ、を絶妙のタイミングでサービスしてくださいました。
私たちは美味しいお料理に心を満たされながら、ゾロくんの思い出や、さっき会ったばかりのチビナスくんやオーナー、七五三の話をして、フロマージュを頂きいつしかデセールだけになりました。
コースはリモージュの器でしたが、デセールはクリスマスに合わせてかロイヤルコペンハーゲン。
白磁に描かれた青い花がチビナスくんの瞳の色と重なります。
ゾロくんがキスを贈った相手。
細身の整った顔をした綺麗な瞳の少年。
───突然、私は気付きました。
ゾロくんもチビナスくんも男の子だという事に。
キス…していたからには二人は恋人同士なのでしょう。
厚かましいかもしれませんが、私たちはゾロくんが微笑みかける相手なら人種だって性別だって気になりません。
ですが一般的な常識でいえば、同性愛は嫌悪され拒絶される事態が多いものです。
なのに、私は初対面のオーナーにそのことを話してしまいました。
ナフキンを持つ手が激しく震えます。
私たちは、また、ゾロくんの世界を壊したのではないでしょうか。
今度はチビナスくんまで巻き込んで───
一度ならず、二度までも、『我が子』と呼べるはずだった子の人生を狂わせてしまった──
もう少しで叫びだしそうなパニック状態のところへオーナーが現れました。
夫に協力して取り乱している私を椅子に座らせたあと、香り豊かなコーヒーを淹れてくださいました。
が、私は深い慙愧の念に捕らわれたままぼんやりと湯気の立つカップを眺めているだけです。
夫はなんとかお料理の感想を言っているようでした。
オーナーはそれを受けて終わると、綺麗な白い封筒を私に手渡されました。
無言で中を見るように勧めています。
──11月11日 ご招待券──
「このカードに期限はありません。
ランチの遅い時間のなら、あいつもそう忙しくないはずです。
その時に尋ねてみてはどうですかな。
今の生活は、あの男は、あの男の傍は幸せかと。」
驚きのあまり声も出ません。
「ワシはあの小僧共は…内緒ですぞ。……比翼連理だと。」
私の心を軽くするためか口調は軽いものでしたが、何もかも心得ている深い笑みがオーナーの顔に浮かんでいるのを理解できた途端、私はもう堪えきれずに号泣してしまいました。
ゾロくんとチビナスくんの幸せが壊れることがないのです。
初見客の私たちの唐突な願いを、ご自分の負担も省みず誠意で応えてくれたオーナー。
そのオーナーの下で働いているチビナスくん。
そのチビナスくんがゾロくんの傍にいてくれるのなら、ゾロくんは大丈夫。
もう、絶対に大丈夫。
そんな気がします。
そう思うとまた涙が溢れ出ました。
冷たい夜風は高揚した頬に気持ち良いぐらいです。
ほんの数分ぐらいしかいなかったような、何時間もいたような場所を振り返ります。
二階のお店へと続く階段。
上りきった先の扉の向こうには心を癒してくれる空間がありました。
このお店が私たちをゾロくんに繋いでくれました。
あの遠い日のゾロくんを撫でるように、手の中にあるカードをそっと撫でました。
この日のお料理のすばらしかったことを私たち夫婦は一生忘れません。
また、来年この店に戻ってきます。ランチをいただきに。
オーナーは口にこそ出されませんでしたが、夜はチビナスくんをゾロくんのもとへ行かせて下さる心積もりでしょう。
11月11日。
来年のこの日を思うと今から心が弾みます。
今夜、この時間をゾロくんとチビナスくんは幸せに過しているのかと思うと胸がいっぱいになります。
私たちはレストランに向って深く一礼をし、とても暖かな気持ちで年甲斐もなく寄り添いながら帰途に付きました。
───そして、
私たち夫婦が、チビナスくんの本当の名前が、サンジくんだという事をゾロくんに教えてもらうのは、
この時から何年か過ぎた11月11日のことでした。
2005/10/23
END.
■ 最終回祭り ■
きりんさん作第23話のゾロの養父母をシロンさんが味付け。
セト×ムース。