■ 世界に1つだけの…… ■ 連理の枝/都さん
疲れた足取りで駅のホームに降り立つ。
きっと傍から見ても、寂れた女に思われている事だろう。
ちょっと前までは、服装は勿論、化粧にも気を遣い、周囲に男たちを侍らせて。
こんな風に、自分の足を使って移動することなど無かったのに。
重い足を引き摺るように階段を上り、線路上の高架を渡って繁華街側の改札を出る。
ここ最近は人込みを見るのも億劫で、反対側の住宅街に近い方へと出ていたのだが。
面会に行った良人が、何か気持ちが高揚するモノが欲しいと漠然とした事を言ってきたから。
(そんなの、私の方が欲しいわよ!)
自分の前に居ない相手に毒付きながら、自動改札に乱暴に切符を通して顔を上げる。
人が慌しく行き交う雑踏と、客待ちのタクシーやバスのクラクション。
様々な光景が視野に入ってきたものの、取り立てて目を引くものも無く。
繁華街の中心であるデパート群へと続く横断歩道へと目をやる。
その時、目に飛び込んできたのは……。
忘れもしない緑髪の男。
通りの向こう側にあるオープンテラスのカフェ。
いくつもある通り側のテーブルと椅子のセット。
そこに座っているのは彼だけではないというのに。
彼しか目に入らないのは、自分だけでは無いだろう。
其処彼処で振り返り、立ち止まり、指で示して囁き合う女の姿が目に映る。
だが、それらの視線を一向に気にする事無く、いや気付いていないのかもしれない、悠然と座ったままの男。
あの他を寄せ付けない存在感は全然以前と変わらない。
少し短めのスポーツ刈りで、精悍な視線。
だが表情が、男の周りを包む雰囲気が柔らかくなったような感じがするのは気のせいか?
そう思ってじっと見つめていると、徐に男の目が此方を向いて、目が合う。
思わず、ニッコリと微笑んで声を掛けていた。
「久し振りね、ロロノアちゃん。」
同じテーブルの隣に腰掛けさせてもらって、無言でコーヒーカップに口を付ける目の前の男をじっと見る。
相変わらず無表情で愛想の欠片も無いんだけれど。
「何か変わったわね、ロロノアちゃん。」
「……………そういうアンタは随分やつれたな。アイツに何かあったのか?」
「ふふっ、鋭いわね。自業自得ね。貴方に傷付けたバチが当たったんでしょ。」
「……………ムショ、か?」
「そ、ドジ踏んじゃったみたい。」
「……………そうか。」
恨みがある筈だろう相手がパクられたというのに、それでも淡々としている男。
初めて会った時もそうだった。
まだ若いというよりは、子供と言ってもいいだろう歳で、妙に落ち着き払っていた。
そして、あの時も……。
□ □ □
ロロノアと初めて会ったのは何年前だったろうか。
場所は、私の勤めるキャバクラの前。
迎えに来ていた暴力団の彼と擦れ違い様に肩が触れた青年が居て。
でも、その青年は一瞥する事も無く、その場を離れていこうとする。
部下達が見ている手前でのその出来事に、彼がカッとなったのは言うまでも無い。
立ち去ろうとする彼の腕を引っ掴んで、振り向かせて。
その時の顔を見て、唖然とした。
だって、どう見ても20前後の子供が、いかにもやくざ風な強面の顔してる彼を平然と見つめ返したから。
「何だ?………用が無ぇなら離せ。」
声も震える事無く、身構える訳でも無く。
表情も怯えた様子など少しも見せずに、ただ淡々と。
そんな青年の態度に彼は怒りを露にし、青年を掴んだ手をそのままに、反対の手で殴ろうとしたのだけれど。
それは出来なかった。
青年が掴んだ彼の手首を握っていた。
ただ掴んでいるだけに見えたそれに、実は驚異的な力が籠もっていたようで。
振り上げられた彼の手が固まり、激痛なのか冷や汗を流しながら、ぐわああああっと奇声を上げて青年のその手を外そうともがいた。
それに対して青年は彼を蔑むように見て。
「相手見て突っ掛かんな、おっさん。」
その言葉と共に、ニヤッと笑った不適な笑み。
でも、目の奥は、その瞳の奥は、何も映していないかのように見えた。
口元だけの冷えた微笑。
私も彼の部下達もその顔に当てられてしまって動けなかったのだけれど。
「おいっ!てめぇら、何してやがるっ!!!」
彼の一喝で目を覚ました部下達が、青年を取り囲む。
殺気立った厳つい大人に囲まれても、青年の冷めた笑みは変わらなかったけれど。
このまま放っておけば、ぼこぼこにやられて死体も見つからないところに捨てられてしまうだろう。
ヘタしたら、臓器売買用にと海外に売り飛ばされてしまう事も十分に有り得る。
今まで彼に突っ掛かって、無事に済んだものなど1人も居ないのだ。
だからといって、これまでこんな感情を持った事など一度も無いのだけれど。
このコをもっと見てみたい。
心の底から笑ったり、怒ったり、悔しがったりする姿を目を見てみたい。
その冷めた目が、感情を示すところを。
「そこまでにしておいたら?こんな子供相手にみっともないじゃない。」
思わずこう言っていた。
彼も彼の部下達も、きょとんとして私を見る。
そんな彼らの戦意の無さを感じ取ったのか、青年はつまらなそうに彼の手首を離して立ち去ろうとする。
「ねぇ、お礼の1つも言わないの?」
「………別に助けてもらったワケじゃ無ぇ。」
「ふふっ、気に入ったわ。じゃあ、顔見知りになった記念に、私と飲みに行かない?」
背後で彼が顔色を失くすのを肌で感じ取りながら、少し前にある背中に問い掛けた。
前方へと進み掛けていた足を止めて、青年が振り返る。
その顔は、やはり無表情だったけれど。
「………どういうつもりか知らねぇが。物好きだな、アンタ。」
「そうね、興味あるの。貴方みたいな野放しの獣にね。………名前は?」
「………ロロノア・ゾロ。」
「いい名前ね。じゃあ、ロロノアちゃん、行きましょうか?」
後から聞こえる怒鳴り声を無視して、青年と連れ立ってその場を後にする。
どうせ彼は後で適当に取り成しておけば大丈夫だから。
それよりも、隣を並んで歩く、この初対面の青年の方が気になっていたのだ。
それから、5ヶ月くらいだったろうか……ロロノアと一緒に暮らしたのは。
その頃働いていたクラブでは1・2を争う人気ホステスだった私だ。
見かけも相当美人の部類に入るだろうし、会話もこなれていたと自負していた。
プロポーションも気を遣っていたし、褒めてもらった事だって数知れずだ。
それに一度でも私と寝た男は、必ず次を強請ってくる程だった。
なのに…………。
ロロノアは全く私に執着しない。
一緒に暮らしてはいたけれど。
毎晩ちゃんと帰ってはくるのだけれど。
私が誘えば抱いてはくれるのだけれど。
表情も以前と変わらず無表情で。
その瞳も何を映しているのかわからない。
私だけが躍起になっていた。
私だけが意地になっていた。
ロロノアを喜ばせたくて、ロロノアを泣かせたくて、ロロノアを怒らせたくて、ロロノアを笑わせたくて。
その目に私を映して欲しくて。
でも、どんな事をしてもロロノアの心を揺さぶる事は出来なくて。
自暴自棄になりかけた時だった。
ロロノアと初めて会った時にいた、暴力団の元彼から連絡が入って。
手も足も出なかった私には、これが神のお告げかと思ったくらいだった。
間髪入れずに承諾の返事をして、後ろに居たロロノアに声を掛けた。
「ロロノアちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど。」
テレビを見ていたロロノアが、相変わらずの無表情で振り向いて。
私は心の中で、こう叫んだ。
やっと、やっと、ロロノアの本心がみられるんだわ、と。
「で、この落とし前どう付けてくれんだ?」
元彼が、目の前で後ろ手に縛られた状態のロロノアに、意気揚々と話し掛ける。
ロロノアは俯いている為表情は見えないが、怯えている筈だ。
元彼が私に持ち掛けた事はただ1つ。
自分と仲直りしたいなら、ロロノアにあるコインロッカーの荷物を取ってこさせろというもの。
中味は他所の組のヤクで、当然カギなんぞないから、失くしたとでも言って開けさせて元彼の事務所へ届けさせろと言うのだ。
もし、それが相手方にばれてロロノアがその場でぼこぼこにされるも良し。
仮にばれなくて無事運び果せたとしても、自分たちの組に相手方が乗り込んでくる危険性を与えたとしてヤキいれてやるも良し。
どちらでも、ロロノアを叩きのめしてやれる、と。
別に仲直りなんかしたくなかったけれど、元彼の事務所といえば当然組長さんも居る。
目を合わせただけでも失禁しそうな威圧感のある方だと聞いていたから。
ロロノアの顔色が変わるのが、目の前で見られるかもしれない。
ロロノアが泣いて許しを請うのを見られるかもしれない。
その目が恐怖という感情を表すかもしれない。
そう思っただけで、身体中を陶酔感が満たした。
ずっと待ち望んでいたそれに、心がはちきれそうだった。
即座に実行した。
元彼には自分も立ち合わせてもらう事を了承してもらって。
頼んでみたら、ロロノアは訝しそうな顔をしたものの、1つ返事で部屋を出て行った。
後を付け、簡単にコインロッカーをぶち壊して荷物を取り出すロロノアを見る。
その淡々とした仕草から、怪しまれる事も全く無く、平然と組事務所へ向かうロロノアの後を追って。
元彼の暴力団事務所で拘束されるロロノアを、期待の籠もった眼差しで見つめていた。
「何とか言ったらどうだ?!おやっさんもお見えになるんだぞ!!」
元彼が声を荒げて、ロロノアに問い掛ける。
重厚な木製の机の前に立って、偉そうに踏ん反り返る元彼の後には、背凭れの付いたクッションのよさそうな椅子に腰掛けた組長がのんびりと膝に座る猫を撫でながらロロノアを見下ろしていた。
周囲を部下達が舌舐め擦りをするようなニヤついた顔で取り囲む。
私は、元彼の横で、壁に凭れながらロロノアの一挙手一投足を見逃すまいとじっと眺めていた
そんな中、ロロノアがくっと顔を上げた。
それを見て、組長が目を見張る。
元彼は唇を噛み締め、周囲の部下達は色めきたった。
ロロノアが笑っていたから。
口角を上げて、目を細め、如何にもバカにしているかのように微笑んでいたから。
瞳の奥の無表情さを変える事無く。
「なっ!!!何が可笑しい?!!!」
「あ?オレ1人にこんな大勢でよ。そんだけ買ってくれてんだとしたら、ここも大した事無ぇな。」
「なんだとっ?!!!」
元彼と部下達がロロノアに掴みかかろうとしたが、それは叶わなかった。
ロロノアが直接組長に話しかけたからだ。
「なぁ、オレがした事はそんなに悪い事なのか?」
「……そうだな。先方に行って指の1つも詰めてもらわねぇとダメだろうなぁ。」
「そうしねぇとどうなんだ?」
「ま、ここでてめぇ殺って、首検分でもしてもらうかな?」
「…………差し当たってまだ死にたくは無ぇな。」
「なら、どう落とし前付けるんだ、小僧?」
「…………んだな、小刀1本貸してくれ。」
組長が顎を杓って、1人の部下がロロノアの縄を解いてその手に短刀を手渡す。
ロロノアは徐にそれを抜いて、組長の目をじっと見据えて、一言こう言った。
「これで勘弁してくれよ。」
「っ!!!!!」
言うが早いか、右手に持った短刀を左胸上部に突き立てる。
息を呑んだ周囲の人間に構う事無く、ロロノアはその刃をゆっくりと袈裟懸けに引き摺り下ろした。
組長を睨み付けながら、顔色を全く変える事無く。
片や、それを見つめる周囲はといえば、それはもう見たことも無い光景に平常心を無くしていた。
口を押さえて信じられないモノを見ているかのように目を見開く者。
驚愕の表情のまま、首を横に振る者。
腰が抜けてしまって立てない者。
流石に親分は無表情のままだったが、それでも視線は釘付けで、葉巻きの灰が落ちるのも気付かない様子だ。
まるで人形の体に傷を付けているかのように、他人事のような顔をして斬っていくその姿は生き物とは思えないほどで。。
それをしているロロノアが人間だと知らしめるのは、その傷から流れ落ちる深紅の液体だけ。
胸を染め尽し、ボトムを伝い落ち、遂には床に溜まり始めたそれを、血の気も退く思いで見つめることしかできなかった。
ロロノアは右脇腹にまで到達した刃物を身体から抜き、呆然とする周囲を興味無さそうに見渡して。
瞳は変わる事無く何も映さないままで。
その血塗れの短刀を、ポイッと組長の前の机の上に放り投げる。
そして、流れ落ちる血を隠す事無く、ロロノアはくるりと背を向けた。
誰も止めることなど出来なかった。
□ □ □
「あの時の傷、大丈夫だったの?」
「………んなワケあるか。外出たら偶々通り掛った女にぶん殴られて、ソイツの病院に掻っ攫われた。今でも傷残ってるぜ。」
平然とそう言うロロノアに、くすくすと笑いが込み上げる。
そして、あの時からずっと聞けなかった事を口に出した。
「でも、どうしてあんな事したの?」
「自分自身に言い聞かせる為さ。誰も信じるなってよ。」
「………少しは信じてくれてたの?」
「………さあな。それは────」
ロロノアが急に言葉を止めて、駅の方へと視線を走らす。
じっと息を止めているかのように見入った後、顔を綻ばせた。
自然と零れる本当の笑みを。
その瞳に、隠しきれない喜びを湛えて。
驚いて、その視線の先を追い、目に飛び込んできたのは午後の強い日差しを跳ね返す鮮やかな金髪。
スレンダーな肢体に、優雅な身のこなしで胸ポケットからタバコを取り出す青年がそこにはいた。
此方に渡る横断歩道で、赤信号待ちをしているその青年がロロノアに気付いたのか、ふわりと笑う。
誰もが見惚れるような、可憐で艶のある笑顔で。
呆然とその青年を見ていて、気付かなかった。
ロロノアが立ち上がった事に。
ポンと目の前に札が置かれ、ハッと視線を巡らせば先程の笑みは消えていた。
「ロロノアちゃん?」
「オレ、行くわ。もう会わねぇたぁ思うが、達者でな。」
「ね、ねぇ、1つだけ聞いてもいい?」
「何だ?」
「もし、今また同じような目にあったら、もう1度こんな事するの?」
胸の傷を指して聞いた。
そうしたら、ロロノアはチラッと先程の青年を一瞥して。
鮮やかに笑ってこう言った。
「しねぇ。泣くヤツがいるからよ。見つけたんだ、この世でたった1つ、オレだけのモン。」
「………そう。」
私にそう言って背を向けて、青信号の横断歩道を優雅に歩いて近付いてくる青年へと足を向けるロロノアの姿を見送る。
道を渡り終えて、ロロノアの前まで来た青年が、ロロノアに抱き締められてうろたえているのを見つめる。
それでも離さないロロノアに、嬉しそうに照れ臭そうに笑い掛ける青年を羨ましく思いながら、自分自身を見つめ直した。
そして………。
(私も行こっかな、あの人の欲しがったもの探しに。)
立ち上がって、机に置かれた札を手に会計へと向かう。
あの人を思いながら、今し方見た若いカップルを思い出しながら探したなら、これと思うものが見つかるかもしれない。
それをあの人に持っていって、それこそ今見た青年の笑顔のような顔をしてくれたなら、自分も手に入れられるかもしれない。
(この世でたった1つ……か。私も欲しくなっちゃった。)
疲れた顔が、活き活きした笑顔に変わるのを自覚しながら、カフェを出る。
遠く人込みに消えていく2人の背中に手を振って、昼中の繁華街へを足を向けた。
自分には出来なかった、ロロノアの感情を揺さぶる事の出来る金髪の青年を羨ましく思いながら。
2006/08/23
END.
■ 最終回祭り ■
紅子さん作第30話に出てきたゾロの胸の大傷の理由を、都さんが味付け。