■ Tea time ■ Key Ring/きりんさん
まだ、あの子いるのね。
ラキはいつものドアを開けてヒールを脱いだ。
部屋の中の灯りは点いていたから、サンジがそこにいるのは入った瞬間分かった。
ゾロの部屋はいつも鍵がかけられていないから、会いたい日はこうしてやって来て帰りを待っている。
そうしていれば大抵ゾロは抱いてくれる。激しくて燃えるようなセックスはゾロに教えてもらった。
身体だけの関係と割り切って、この家を訪ねるようになってしばらく経つ。
他の女とかち合う事もあるけれど、いちいち気にしていられない。
ゾロを振り向かせようと躍起になっている娘もいるみたいだけど、そんなに必死じゃ飽きられるわよ。気の無い素振りでいる方が、きっと長続きする。
そう考えている私が一番必死なのかしら?と考えて少し笑った。
部屋に上がるとサンジがちらりとこちらを見る。
「ゾロは?いる?」
「いねえ。」
ぶっきらぼうね。こんなに可愛い顔をしているのに。
幾日か前からゾロの家に住み付いているあの子。
いやぁね。
気を利かせて何処かに行ってくれたらいいのに。
あ、ほら、ゾロが帰って来た。
「あぁ〜ん、ゾロ。遅かったっじゃないの、ねぇ」
ドカドカと大股で歩いて部屋に入り、上着をその場に脱ぎ捨てて盛り上がった筋肉を露にする。
その逞しい腕に縋りついて、今夜の快楽をお強請りする。
なのに、あの子ったら・・・・睨んでるわ。
ふふん、そう。
貴方もゾロのことが好きなのね。
同じ感情を持つもの同士、わかっちゃうのよ。ゾロには分からないみたいだけどね。
ちょっと意地悪だけど、見せ付けてあげる。
ぺろん、と舌を長く伸ばして骨太の指を舐め上げる。
ほら、見た。
今度は指に吸い付いて見せる。
あら、また睨まれちゃった。
ん?ちょっと涙目?悔しいのね、ゾロに愛されないことが。
でも残念ね。貴方男の子でしょ。
貴方にはこんな風にゾロを愛せないでしょ。
そして、こんな風にゾロに愛してもらえないでしょ。
「きゃっ」
痛い。
ゾロったら乱暴に押し倒すんだもの。
いつもゾロはそう。
こちらの感情なんてお構い無しに淡々と抱くの。
乱暴すぎる愛撫に愛の言葉なんてなくて、コトが済めばさっさと背中を向けてしまう。
なんでこんな人がいいのかしら。
なんで惹かれるのかしら。
言葉もまるで通じないような人なのに。
「お茶、飲む?」
今日も訪れたゾロの家に肝心のゾロはいなくて、女装しているサンジだけが部屋の隅で膝を抱えていた。
たぶんさっきまで他の女達がたくさんいたのだろう。部屋中に充満した女の残り香と、退屈を紛らわせる為に弄られたサンジの化粧映えする顔が物語っていた。
手持ち無沙汰ですることもなく、思いついたようにお茶を入れる。
勝手知ったる他人の家で、ほとんど使われていない台所の食器棚を開けて茶筒を取り出した。
いったいいつ開封したのか分からない緑茶を、ちょっと迷ってから急須に移して、湯を注ぐ。
「お茶、飲む?」と尋ねる声に小さく頷いたサンジが、湯飲みを並べている。
気のつく子ね、と改めて思った。
最近、ゾロの様子が変わってきた。
前から無愛想だったけれど、この頃は突然苛立ったり上の空だったり、心ココに在らずといった日が続いていた。
きっとそれはこの子のせいね。
この子はまだその事に気付いていないようだけど、女の勘は、そう馬鹿にしたモンでも無いのよ。
小さなテーブルを挟んで向かい合って黙ってお茶を啜る。
元々安い茶葉の湿気た匂いが口の中に広がって、部屋に立ち込める安っぽい化粧品の匂いにすぐにかき消される。
お互い心に秘める思いはあるけれど、それを会話にするほど私たちは親しくはない。
ゾロの帰りを待つ間、美味しくもないそれを飲んで、時間を潰すしか他にすることも思いつかない。
サンジは時々見上げる視線を寄越すけれど、口は噤んだまま。
聞きたい事は分かっている。
ゾロのコトを知りたいのね。
ゾロが何を考えているのか、ゾロが何を思って私達を抱くのか、ゾロが誰を好きなのか。
でも、それは私にも分からないコトなのよ。
だから、黙って視線を返すだけ。
そのまま二人は日が陰るまで味の無いお茶を飲んでいた。
この、色すらも出なくなってしまった古いお茶の葉のように、そろそろ捨て時なのかもしれない。
身体だけを繋げるゾロとの関係も。
だって目の前にいる男の子のコトでゾロの頭の中はいっぱいだもの。
潮時くらいわきまえておかなくちゃ、次の恋が辛くなる。
使った湯飲みの始末をサンジに任せて、主の帰らないうちにこの家を出た。
この家での思い出は、最後に飲んだお茶の味のように、安っぽい化粧品の匂いに負けたひと時の快感。
抱かれてもそこにあるのは身体の悦びだけで、いつも他の女の影に怯え、愛の無いセックスにはかえって寂しさが増した。
たぶんこのまま私が消えてもゾロは私を捜すことすらしないでしょうね。
残念だけど、それが現実。
最後までゾロとは言葉が通じなかったわね。
外に出ると雨が降っていた。
少し濡れたい気分、と失恋を気取ってみたけれど、あんな男のせいで風邪なんか引いてちゃ洒落にならないと思い直して、見えてきた古ぼけたアパートの軒先を借りて雨宿りをした。
濡れた黒髪を軽く拭いていると、ザク・・ザク・・と耳慣れない音がする。
ゆっくりと振り向いて見れば、一目で外国人と見て取れる風貌の男が、庭とも言えない石だらけの地面を掘り返している。
(こんな雨の中で・・?)
そんな思いがけない光景に、思わず見入ってしまった。
モヒカン頭にまん丸サングラス。
こんな雨の降る中、傘も差さずに庭にしゃがみこんでいるだけで充分一目を引くけれど、もし違う場所で出会ったとしても、このスタイルならどんな人込みでも見分けられる。
(で、こんな雨の中で何をしているの?)
見慣れない格好もさることながら、相変わらず地面を掘り続けている彼の動向も気になる。
軒先を借りながらちらりちらりと様子を窺った。
ふんふんと耳慣れない言葉で鼻歌を歌いながら土を掘り続ける彼の隣には、雨に濡れて芳香を増した草が置かれている。
多分そこに植えるつもりなのだろう。
何もこんな日にしなくてもいいだろうに。
それでも目の端に映る彼の顔は嬉しそうな笑みを浮かべている。
濡れる衣服が身体に纏わりついて気色悪いだろうに、泥のついた袖を疎ましく思う様子も無く、掘ったばかりの穴に草の根を丁寧に植えている。
片手で根を支えながら柔らかく掘り出した土を被せ入れ、完全に埋まってしまうと最後に草の根元をギュッと押さえた。
そのまま泥のついた手で額を流れる雨を拭ったものだから、かえって顔は汚れてしまった。
それでも彼は嬉しそうに笑っていて、植えたばかりの草の香りを嗅いでいる。
その一部始終を、目を逸らすことも忘れて見とれてしまった。
隠れ見ていた筈なのに、いつの間にか自分も軒下から外れて。
(え、何?今なんて言ったの?)
突然私に気付いた彼が立ち上がって近付いてくる。
サングラスで目は見えないけれど、笑顔で側に立つと理解出来ない言葉でまくし立てた。
呆気に取られている私にお構い無しに、彼は喋り続けた。
英語でもない、もちろん日本語でもないその言葉はただの音になって耳に届く。
咄嗟のことに思わず後ずさりしたけれど、ゼスチャーを交えた彼の話している内容は何故か分かった。
「この香辛料を使って料理をするんだ。今度食べに来ない?」
きっとそんなことを言っているのだと思う。
初対面の雨宿りの女を泥にまみれた顔で食事に誘うなんて、今までの常識では考えられなかった。
でも何故か嫌な感じはしない。
むしろ、好感さえ持てる。
縋って求めて言葉を追いかけたゾロからは、結局意味を成す言葉は何も聞こえなかった。
なのに初めて会ったモヒカン頭のグラサン男の言っている意味が分かるなんて滑稽ね。
雨に混じって涙が頬を伝った。
別れを決心した時でさえ、心は乾いていたのに。
突然の涙に、目の前の彼は驚いた顔をして、盛んに何か喋っている。
自分の部屋に寄って行くといい。身体の温まるお茶があるよ。
と、彼は言っているようだ。
傷つくまいと鎧で固めた心が解されていくように、迷い無く彼の部屋に招かれた。
そこはその安アパートの1階、歩けば軋む音のする廊下の角。
昼間でも灯りを点けないと薄暗い部屋の中は、色々なスパイスの香りが漂っていた。
湿った座布団の上に座らされしばらく待つと、彼は柄違いのカップを両手に持ち現れた。
一見するとミルクティのように見えるそれからは、鼻をつく芳しい複雑な香りが立ち昇り、冷たくなった身体も心も癒してくれた。
「美味しい」と言うと彼はにっこりと笑った。
彼の名はカマキリというらしい。
名を交わすことにすら言葉の障害を感じたけれど、そんなやり取りも嬉しい。
少なくとも彼とは言葉が通じる気がする。声が聞こえる気がする。
彼の部屋の並びにサンジが越してくるのはまたしばらく後のことだった。
2005/10/25
END.
■ 最終回祭り ■
フカヒロさん作第4話に出てきた女を、きりんさんが味付け。
カマキリは紅子さん作番外編にも出てきます。コラボ。