■ 聖母 ■ Mong-Hai/あづちさん
2杯目のクイーンズペッグに手を伸ばしたタイミングで、見慣れた髪型が視界の端に入った。
「よぉ。ゾロ。」
グラスを持つはずだった手を軽く上げ、声を掛ける。
ネットラジオから流れるシャンソンと、深夜に向け活発化してくる自称アーティスト達の声で満ちる店内。
ざわつく中、名を呼ばれた相手は的確に店の奥でカードに興じる俺の声に気付いたらしい。
壁に掛けられた照明の白熱灯だけが頼りの中、滅多にこの店には来ないクセにヤツは無造作に置かれたスツールの脚に引っ掛かることもなく狭い店を縦断する。
チクショウ カッコイイね
赤みを帯びた光りと、濃い陰影。
その中を真っ直ぐ前だけを見て歩く様はかなり絵になってやがる。
チクショウ おまえさんは俳優かよ
そんな褒め言葉が、ヤツにとってなんの意味も無い事を知っているだけに、口に出す気は無い。
次のカードを取ろうとしていた仲間の手が止まる。
「ヤバめ?」
チラリと俺を見て呟く。
近づいてくるゾロの雰囲気を面白がっている声だ。
「それっぽいな。」
相変わらずの無表情に近い仏頂面。
だけど、普段とは違う視線の動きはいかがなものか?
俺は手にしていたカードをテーブルに伏せると、仲間に一時中断とばかりに軽く手を振る。
それからまだ口を付けていないクイーンズペッグを掴むと、隣のテーブルに移動する。
「よう。珍しいな。一人か?」
最近一緒に行動してるはずの金髪が見えなくて、俺はゾロの背後を窺うように背を伸ばす。
「あぁ、出ていったみてぇだ。」
ゾロは事も無く言ってのけると、目を丸くするウソップの正面に座り、カウンターに向けてオーダーする。
ざわつく店の中、バーテンダーが頷くのを確認すると、ゾロは視線をウソップに戻した。
「…。なんだ?その顔は?」
怪訝そうにゾロが言えば、ウソップは「はぁ?」などと見当違いな返事をする。
「はぁ?ってなんだよ。なに驚いてんだ?」
表情を露骨に険しいものに変え、ゾロがウソップを睨みつけると、彼は慌てて首を振った。
「ちょ、待てよ。ゾロ。サンジが出ていったって、どういうこった?おウチが見つかったってのか?」
ゾロの部屋で何度か、そしてこの店では一度だけあった事のある未成年の顔を思い出しながらウソップは聞き返した。
確か彼は帰る家のない『家出中』とか言っていたはずだ。
「知るか。3日前になんだかウダウダ抜かしてどっかいきやがって、そのまんまだ。」
ゾロは椅子にふんぞり返ると、何気に店内を見回す。
その視線の動きに気付かない振りをして、ウソップはゾロに問いかける。
「なんだ?ケンカでもしたのかよ?」
「知らねぇよ。」
素っ気無い返答。
「まさか、お前殴ったりしたんじゃねぇだろうな?」
ゾロの持つ気性の荒さが脳裏を掠め、バーチャルバイオレンスにウソップは顔を歪める。
「アホ。なんで『商売道具』を傷めつけんだよ。」
「じゃ、暴力を振るったわけじゃねぇってんだな?」
「当たりめぇだ。無駄に手ぇあげるかよ。」
その言葉に、ウソップは軽く息を抜く。
どうやら原因は暴力沙汰ではないらしい。
「それ聞いて安心だ。お前が本気で殴れば、サンジぐらいの身体じゃヘシ折れちまう。」
(第一、あんな細い身体にゾロの破壊的な拳がめり込んじゃ、失踪の前に入院だな)
別に嫌味のつもりで言ったわけではないが、ゾロの表情に微妙な影が落ちる。
(暴力は振るってねぇが、うっかりヒドイ事でも言ったのか?)
洞察力の鋭い男は、それ以上言葉を口にすることなく、ただゾロを眺める。
会話の無い二人の間に、ゾロが頼んだショットがテーブルに置かれた。
「おし、そんじゃ乾杯。」
ウソップがそれに自分のグラスを当てると、中で氷がカランと音を立てた。
「これ飲んだら出るぜ。」
ゾロはグラスを目線の高さまで持ち上げると、グラスの底を円を描くように廻してから冷え切ったトレイル・ダストを一気に呷る。
ゴクゴクと喉を鳴らし飲み切ると、ゾロはスツールから腰を浮かす。
「…バケモノですか?」
恐ろしい度数の酒を目の前で一気飲みされ、ウソップは呆れる。
「仕方ネェ。喉乾いてんだ。」
グイと口元を拭い、ゾロが唸る。
そこそこ冷房の効いた店内にいるから忘れていたが、外は今日も熱帯夜だ。
歩き続ければ喉も乾くだろう。
ウソップはグラスを置くと、手をパン、と鳴らした。
「しょうがねえな。見かけたら伝えとくよ。お前んとこに戻れってよ。」
なにせ、お前が人を探す姿なんざ、初めて見せてもらったからな。
なんて事を口走れば、即パンチでKOだ。
それなりに長い付き合いは、身の危険を回避する方法を自然に習得する。
嫌そうに顔を歪めるゾロを笑って見上げ、ウソップは続ける。
「そんで、今度俺の絵のモデル頼むわっつっといてくれ。」
「なんだ?そりゃ。」
突拍子もないウソップの言葉に、ゾロの表情がますます険しいものに変わる。
それにウソップは手をピッピッと払う。
「あー、別にヌード頼もうってわけじゃねぇ。今描き始めた絵、メインが丁度金髪なんだよ。なもんで、サンジにちょこっと髪の色具合を参考にさせて欲しいんだよ。」
「あぁ、テメェの高尚な脳ミソの世界な。俺には興味ねぇから、会ったら自分で頼んどけ。」
実に愛想無く断ると、ゾロは再び人の間をぬって外の世界へと出て行った。
「そこそこ予想はしていたとはいえ、バッサリと斬るように言われると凹むぞ。オイ。」
そう言いながらもウソップは口元に笑みを浮かべると、カードの続きをするべく仲間が話しているテーブルへと戻った。
コン、コン
真昼の光り射すアトリエに響く小さなノック。
部屋の主はまだ就寝中なのかと思い、訪れた人物はドアノブに遠慮がちに手を伸ばすと、それはあっけなく廻った。
「───────ウソップさん?」
薄く開けたドアの隙間から、大きすぎない声で呼びかけるが、返事は無い。
「まぁ…。おでかけかしら?」
家人が居ないのに部屋に入るのは失礼かと思いつつも、鍵のかかっていない部屋をそのままに立ち去るのも無用心かと思い直し、細身の少女は部屋の中へと足を踏み入れた。
絵の具や工具、油の染み込んだ布が散らかる床に注意しつつ歩みを進めると、間仕切り代わりにも使われている棚の向こうに部屋の主がいた。
畳半分ほどのカンバスに向かい、無言で手を動かしているドレッドヘアの芸術家。
少女は手にしたバスケットを手短なキャビネットの上に置くと、その背に近づいた。
「まぁ…!素敵!」
背後から聞こえた息を飲む音に、ウソップは現実の世界に引き戻される。
「うぉっ!っと、カヤ、来てたのか。悪い。」
色を塗る作業に没頭しすぎていた所為で、彼女の来訪に気付けなかった事に謝ると、彼女はゆっくりと頭を振った。
「いいえ。こちらこそすみません。勝手にお部屋に入ってきてしまって。」
そう言って微笑むと、カヤの髪に初冬の光りが柔らかく弾かれた。
「もし起きてらしたら、お昼をいかがかと思ってサンドイッチを持ってきたのです。」
「そりゃあ、ありがてぇ!よし!早速いただくとすっか!」
ウソップは手にしていた筆やパレットをサイドテーブルに置くと、手に着いた絵の具を拭い、カヤが持ってきたバスケットを取りに椅子を立つ。
「ウソップさんにしては、珍しいですね。人物画…。」
カンバスを見つめ、カヤがうっとりしたように呟く。
「…。あぁ、初めての挑戦だ。」
バスケットに手を突っ込み、野菜がぞんぶんに挟まれたサンドイッチを頬張ると、ウソップはバスケット片手にカンバスへと戻った。
窓から射す、棘を抜いた日光に照らされているのは、宗教画。
「聖母と御子ですね。」
「あぁ。今まで抽象画ばっかだったけど、ちょっとこの夏からコレの制作に時間かけてんだ。」
ガラクタに近い金属彫刻や、色の洪水にしか見えない巨大なカンバス。そんな作品の溢れる売れない前衛芸術家の部屋の中で、その絵は一際異彩を放つ。
「今年の夏によ。ちょっと面白いガキに会ってな。そいつからインスパイアされたんだ。」
カンバスに描かれているのは、一組の母子。
腕にした子供を向い合うように抱く姿は、愛しい我が子をしっかりと見つめている。
そして、この子供もまた、母を求めるように短い腕を伸ばし、母の目を見上げていた。
「よく見る宗教画と違って、この聖母は慈愛というよりも、ただ御子を愛しそうに見ていますね。普通に母親が子供を慈しむように。」
世界を包むような大きな愛情を醸し出す、代表的な絵画と比較してカヤが呟く。
「それに、なんだかやんちゃそうな御子。」
伸ばす丸い指先に、カヤはクスクスと笑う。
「おう。そうだろ?」
自分が描きたかった世界を汲み取ってもらえたことに、ウソップは大いに満足そうだ。
「カミサマとかなんだとか言う前に、一番近い愛情ってのを描いてみたかったんだよ。」
手を伸ばせば、確実に触れる事のできる『何』かを
「ウソップさん…。この御子は珍しい色のベールをかけているんですね?」
完成間近のカンバスを指で示し、カヤが優しく笑う。
「あぁ、どうだ?」
それは、途中で思い立ち、付け足したモノだった。
果てしなく黒に近い背景の中に浮き立つ、白い肌の母子。
その子供の頭部に被せられたベールは、丁寧に刺繍を施された鮮やかな緑色。
「ベールのせいで、御子の髪が緑色に見えますわ。」
「おかしいと思うか?」
「いいえ。これが、ウソップさんの世界ですから。」
笑うカヤの表情は、ウソップの全てを受け入れていた。
窓の外で風が鳴り、カタカタとガラスを揺らす。
それに誘われるように、ウソップは何気に窓の外に視線を流した。
アスファルトの上に舞う落ち葉。
寒風から身を守るように首をすくめて歩く学生。
夏よりも穏やかに感じる時間の流れ。
「よし。カヤ。この絵が完成したら、一緒にメシを食いに行こうぜ。」
「はい。ぜひ。」
「とっておきの店に連れてってやるよ。」
「まぁ、どちらですか?」
「小さな小さなフレンチの店だよ。」
「フランス料理ですか?」
「あぁ、世界で一番のコンソメを出す店だ。」
その時はこの絵を持って行こう。
あの一人ぼっちで構成された、世界で最も温かい家族の元へ。
2005/10/13
END.
■ 最終回祭り ■
きぬこさん作第13話に出てきたウソップシーンをあづちさんが味付け。
ウソカヤ。ゾロサン+ゼフ。