* Pure Blooded *
−8−
「何だそいつァ。Low%じゃねェか。」
場の雰囲気を一変させるような声がした。
ナミさんとサンジが振り向くと、大きな狼犬をつれた男が、嘲るように笑いながら立っていた。
飼い主と同じように、連れられた狼犬も薄ら笑いを浮かべて、サンジを見ている。
瞳こそゾロのようなゴールドではないが、容姿を見るに、かなり濃い狼犬なのは間違いない。
「“マトモ”な狼犬が、誰彼構わず愛想振りまくわきゃねェだろうが。しかもその青い目だ。そりゃせいぜい20%か30%ってとこだろう? 20%狼なんて、要するに80%犬じゃねぇか。」
あからさまな侮蔑の言葉に、ナミさんが顔色を変える。
その場の飼い主達の間にも、気まずい空気が漂った。
「お嬢さん、残念だったねェ。どこの悪質ブリーダーにだまされたんだか知らないが、そりゃ狼犬っつうより、ただの雑種の犬だよ。」
その男だけが、一人で悦に入ったように下卑た笑いを浮かべたまま饒舌に喋り捲っている。
ナミさんの眉毛がゆっくりと吊り上る。
けれどナミさんはそれを抑えて言い返した。
「確かにこの子はLow%ですけど、それが何か?」
ナミさんのこめかみの血管は怒りでぴくぴくしている。
「ああん? 知ってて飼ってんのかい。そりゃまた奇特なお嬢さんだ。」
男はいよいよ侮蔑の表情を浮かべる。
「いいかい、お嬢さん。狼犬って言うのは、狼の血が濃ければ濃いほど価値があるものなんだ。俺のこの犬を見ろよ。こういうHigh%のハイブリッドウルフでなけりゃあ飼ってる意味なんてないんだよ。あんたんとこのブリーダーはそんな事も説明してくれなかったかい。最近多いんだよなァ、そういう悪質なブリーダーが。」
さも呆れた、という風に男は言いたいことを言っている。
ナミさんのこめかみの血管は倍に太くなって今にも音を立てて切れそうだ。
「お言葉ですけど──────」
声を荒らげようとした時、不意に、
「狼犬は血が濃いほど価値があるなんて誰が決めた?」
背後で声がした。
「ルフィ…。」
いつの間にか、ルフィとゾロが立っていた。
どこかに遊びに行ってしまったと思ったのに。
「狼の血が濃いほど価値があるのなら、狼犬でなく、純血の狼を飼えばいい。異種交配をした時点で、LowだろうがHighだろうが“雑種”だろうが。」
「なんだ? てめェは。」
男が胡乱げな目でルフィを見た。
「モンキー・D・ルフィ。この近くでいろんな動物飼ってんだ。」
「ルフィ? 知らねェ名だな。お前がブリーダーか?」
「ああ、そうだ。」
ふと、訝しげにしていた男が、ああ、と思い当たったように呟いた。
「もしかしてあれか、この先の道上がったとこで、やたらいっぱい動物飼ってる奴か。」
「そうそう。それそれ。」
すると男は更に小馬鹿にしたようなしぐさで天を仰いだ。
「あ〜、わかったわかった。ムツゴロウさん気取ってるとか噂になってる奴だな。動物王国でもあそこにこしらえるつもりか?」
男は完全に煽るように言ったのだが、それを聞くと、ルフィは邪気のない笑顔を浮かべた。
「動物王国かァー。お前、おもしろいこと言うなー。んじゃ俺は動物王だな。」
その微塵も翳りのない笑みと言葉に、男は虚を突かれて言葉に詰まる。
二の句が告げず、忌々しそうに、ちっ、と舌打ちをする。
「てめェがなんて言おうが、狼犬ってのはHigh%でなけりゃ“狼犬”とは言えねェ。そんなのは狼犬飼ってる奴なら誰でも知ってることだ。」
ややトーンダウンして、それでも男は食い下がった。
「狼犬って言えねぇってんなら言わなくてもいいさ。」
あっさりルフィが肯定したので、男はまた目を見開いて押し黙る。
「犬の血の混ざった狼だろうと、狼の血の混ざった犬だろうと、サンジはサンジだ。
サンジがLow%なのは、サンジのじいさんが自分の意志で連れ合いを選んだからだ。
サンジのじいさんは北極狼の群れのリーダーだが、自分の意志で自分のつがいを選んだ。
それがたまたま、同族の狼じゃなかったってだけのことだ。
そんで生まれたサンジの母親も、同じように、人間の決めた交配用の相手じゃなく、自分から惚れた相手を選んだ。
残念だとか、雑種だとか、そういう言葉でサンジを侮辱するな。
サンジは“ただの雑種”じゃねェ。“愛の結晶”だ。」
その場はしいんと静まり返っていたが、明らかに、さっきまでの気まずさとは空気が一変していた。
「は!」
男が、無理やり笑い飛ばそうとする。
「純血の狼が雑種の犬にサカるのを黙って見てたわけか、てめェは! それでよくブリーダーだと名乗れたなあ!」
ははははは、と笑い声を上げる男は、けれど自分のその顔が全然笑えていないことに気がついていない。
「ああ。黙って見てた。」
笑顔のままルフィが言う。
「だから俺は知ってる。サンジのじいさんがどれだけ激しい恋をしてたか。サンジの母親がどれだけ一途に相手を愛していたか。」
「けっ!」
男が地面に唾を吐き捨てた。
「たかだか犬が愛だ恋だとばかばかしい。おい、いくぞ、ファンクフリード!」
捨て台詞を残して、男は、乱暴に自分の飼い犬のリードを引いて、足をどかどかと踏み鳴らしながら帰って行った。
男の姿が見えなくなると、ナミさんが、ふう、と息をついた。
「…ありがと、ルフィ。」
「おう。」
ルフィがにかっと笑う。
辺りにほっとしたような空気が流れた。
「ああ、びっくりしたー。」
「何、あの人ー。」
「私知ってる。いつ来てもあんまりマナーがよくないのよ。」
「そうだな。あの連れてる犬が他の犬にマウンティングしても注意もしねえし。」
「でも私、ルフィさんの話、感激しちゃったー。」
「本当ー。今度、サンジ君のおじいさんの恋物語聞かせてー?」
「おう。いいぞ。」
「サンジ君のママも情熱家よぉー。」
「へええーナミさん、それ聞きたいー。」
あっという間に、その場は元の通りの賑やかな雰囲気に戻った。
黙って立っていたサンジの傍に、ふと、ルフィがしゃがみこむ。
「サンジ。偉かったな。」
ぽん、と頭を撫でられた。
首輪のリードが外される。
「遊んでこい。」
そう言われて、サンジはドッグパークの中を駆け出した。
思いっきり全力疾走していると、驚いたことにゾロがついてきた。
「ついて、くんなよっ…!」
サンジが怒鳴る。
けれどゾロは無言のままついてきた。
ゾロが近くにいるのは嬉しい。
だけど今は顔を見られたくない。
きっと、自分は今、ひどい顔をしている。
だから来ないで欲しい。
ルフィの言葉は嬉しかった。
愛の結晶って言ってくれて嬉しかった。
だけど自分が情けなくてたまらなかった。
情けないと思う自分もいやだった。
走って走って、ドッグパークの一角のくちなしの植え込みに頭を突っ込んで、サンジはやっと止まった。
「おい、バカ! 大丈夫か!?」
慌てたようなゾロの声がする。
「目とかに刺さったらどうするつもりだよ…。」
心配そうな声がして、サンジの体が植え込みの外に引きずり出された。
金色の目が、気遣わしげにサンジを覗き込んでいる。
綺麗な綺麗な、金色の目。
どうして俺は金色の目に生まれなかったんだろう。
サンジはふとそんな風に思った。
何故よりにもよってブルーアイだったのだろう。
狼の血の濃い狼犬に、ブルーアイは出ない。
せめてこの目が、青じゃなかったら。
茶でも灰色でもいい。青以外の色だったら。
ブルーアイは狼の血が薄いことの証だ。
ゴールドアイは、狼の血が濃くなくても出ることがあるのに。
それどころか、狼の血なんか一滴も入っていなくとも、金色の目を持つ犬だっているのに。
どうして俺のこの目は、青いんだろう。
サンジはナミさんの愛情を疑った事は一度もない。
ルフィの言葉も嬉しかった。
愛の結晶といわれて誇らしかった。
けれど、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、目の前のこの金色の目が妬ましい。
そんなふうに思う自分がやっぱり恥ずかしくて、サンジは植え込みに寄り掛かるようにして座り込んだ。
くちなしの花の甘い香りがする。
ゾロはじっとサンジを見ている。
その瞳からは、ゾロの考えている事は何も読み取れなかった。
「ああいう事、よくあるのか?」
いきなりゾロがぼそっと呟いた。
サンジはぼんやりと顔を上げる。
「ああいう事って?」
「さっきみてェなの。」
ああ、と、何でもない事のようにサンジは言った。
「狼犬飼ってる奴はよく言う。」
この青い目を見られれば、ちょっと詳しい人間ならばサンジが僅かしかその体に狼の血を残していないことはわかってしまう。
むしろ、このパーセンテージで、サンジの容姿が狼の優美さを残している方のが奇跡的なのだ。
サンジの姿は、母よりもずっと、祖父である北極狼に近かった。
「もっとひでェこと言われた事もあるし。」
だから今日の事なんて何でもない。何でもないんだ。
サンジは心の中で何度も呟いた。