血の深緋の烈華の如く
【 弐 】
ゾロがサンジと初めて出会ったのは、13年前の夏だ。
ゾロは10歳だった。
自分の父親がどういう世界に生きている人間なのか、それなりに理解していた歳で、それでもゾロは子煩悩な父を心から慕っていた。
その父親が、夏休みのある日、
「親父と一緒に、ちょっと知り合いの田舎に一週間ほど行く。お前も来るか?」
と、ゾロにそう言ってきた。
ミホークが「親父」と呼ぶセンゴクが、ミホークの属する組織のボスで、ミホークとは血縁でもなんでもないことをその頃のゾロはまだ今ひとつ理解してなかったように思う。
だが、息子のいなかったセンゴクは、ミホークを自分の跡目にと考えていたし、その息子のゾロの事も、実子か孫のように可愛がってくれていて、ゾロの方もセンゴクに懐いていた。
「知り合いって誰? 俺会った事あるか?」
と聞いたゾロに、ミホークは、
「お前は会った事がない。うちと同盟を結んでいたとこのボスでゼフという。だが去年の抗争で怪我をして隠退した。長く入院していて先ごろ退院して落ち着いたようなので快気祝いに行くのだ。」
と簡潔に答えた。
ゾロは、ふぅん、と返事をして、あとは特に何も考えなかった。
「来るか?」というミホークの問いは、大概の場合、「来い」という意味だったし、ちょうど夏休みで、しかもゾロはまだどこにも遊びにつれていってもらってなかったからだ。
見舞いに行く相手が隠退したとはいえ裏社会の人間ならば、たぶん行った先にもそっち系の人間達がたくさんいるだろうが、元よりゾロの家とてそんな人間はたくさん出入りしていて慣れていたし、“鷹の目の息子”としての礼儀作法は既に叩き込まれていた。
そうして連れていかれた先は、なるほど療養には最適だと思えるような、海沿いの片田舎だった。
隠退した、という屋敷の主人であるゼフは、組織を統べる身であっただけあって、眼光の鋭い、いかめしい男で、センゴクや父と同じにおいを纏っていた。
だが、その右足は膝下から先がちぎれてなくなっている。
去年、裏社会の組織図が根底から覆されるような大きな抗争があった。
伝説とまで謳われた裏社会最大組織のボスが命を落としたほど大きな抗争で、それはゾロの生活をも脅かした。
センゴクの右腕であるミホークの自宅にすら発砲され、ミホークは息子のゾロを安全な場所に隔離しなければならなかったのだ。
ゾロは、長く学校を休むはめになったのでよく覚えていた。
その抗争で、ゼフという男は右足を切断するほどの重傷を負い、隠退することになったのだという。
こんな強靭そうに見える男が、こんな大怪我を負うほどの抗争だったのだな、とゾロは改めて抗争の凄まじさを思った。
ゼフの屋敷は、目の前がすぐ砂浜だった。
屋敷は海岸沿いにあり、海側は周りを岩に囲まれた磯になっている。
その中に秘密のように砂浜があって波が打ち寄せているのだ。
実際、海水浴場から離れている事もあり、屋敷の物々しさも手伝って、その浜はプライベートビーチのようになっていた。
ゼフに挨拶した後、ゾロは浜に遊びに行くことを許された。
大喜びで磯に下りたゾロは、その秘密の浜に先客がいるのを見た。
幼い子供だった。
小学校低学年くらいだろうか。
浜にしゃがみ込んで砂遊びをしていた。
すぐ目に入ったのは鮮やかな金髪。
強い日差しを反射して、きらきらと輝いている。
炎天下だというのに帽子も被らず、子供は夢中になって浜に小さな運河を造っている。
波が寄せると運河に水が入って、その先に作られた小さな池に水がたまる。
一生懸命砂を掘ったのだろう、池はちょうどその子が入れるくらいの大きさで、貝殻を周りに並べて飾りをつけてあった。
その作りこみの細かさから、この子供がかなり長い時間ここにこうしているのが窺えた。
子供はオレンジ色のアロハシャツに、同じ柄のホットパンツを穿いていた。
近づくと、子供が顔を上げた。
見上げた瞳は晴天を写しとったような蒼だった。
ゾロが大人だったら、子供のすぐ傍に投げ出してあるビーチサンダルにヒーローキャラクターがついていることや、子供の着ているアロハがオレンジ色とはいえ右前の男物であることに気がついたかもしれない。
けれどその時のゾロは、服の色と、その子供のあまりに幼く可愛らしい外見に、すっかりその子が低学年の女子、と思いこんでしまった。
「お前どこの子だ? 一人で来たのか? ママは?」
子供はぽかんとした顔をしてゾロを見上げている。
「なんでこんなとこ入り込んだ? ここの家はチンピラの巣窟だ。ちっちゃいオンナノコがこんなとこで一人でいたら売り飛ばされんぞ。」
売り飛ばすぞ、はミホークがゾロを叱る時の定番文句であったりもする。
ミホークの職種の人間が言うとまったくしゃれにならないのだが。
子供が大きく目を見開いた。
怯えさせちまったかな、とゾロが思った瞬間、
「誰がキューティープリティーな女の子ちゃんだ、クラアッッ!!!」
啖呵と共に、ゾロの体が横殴りに蹴られた。
一瞬の出来事に、ゾロの体が吹っ飛ぶ。
子供と思って気を抜いていたので余計にダメージを食らった。
「ゾロ君っ!」
お目付け役で付いてきていたコウシロウが慌てて駆け寄ってくる。
ゾロは自分が蹴り倒されたことが信じられずに、呆然と「キューティープリティーな女の子ちゃん」を見上げた。
ひとっこともそんなこと言わなかったと思うのだが。
子供はフーッフーッと、威嚇する猫みたいに毛を逆立てて、
「チンピラの巣窟で悪かったな! あそこは俺んちだ!!!」
と怒鳴ると、裸足のまま屋敷に向かって一目散に駆けて行った。
「あ、おい、お前!! サンダル忘れてる!!」
ゾロが慌てて声をかけるが、子供は振り向きもしなかった。
まだ事態がよく飲み込めずに砂浜にしりもちをついたままのゾロを、コウシロウが立たせてやる。
ぱんぱんと砂を払われながら、ゾロは、子供が残して行ったビーチサンダルを見た。
ゾロもよく知っているヒーローの絵が付いていた。
「あれ…もしかして男か…?」
呆然と呟くと、ゾロの砂を払っていたコウシロウが、
「ここの家のサンジ君でしょう、きっと。私も初めてお目にかかりますが、確かゾロ君と同い年のはずですよ。」
と答えた。
「タメ?? あれで??」
ゾロが目を剥いた。
どう見ても小学校1、2年か、せいぜい小3がいいとこだと思ったのに。
しかも女の子だとばっかり。
女の子じゃなかった。
しかもゾロを蹴りで倒した。
ゾロは4歳から剣道を習わせられていて、少年剣道大会では連続優勝しているほどの腕前だ。
そのゾロを。
スゲェスゲェ。
あいつ、スゲェ。
戦ってみてェ。
「ちくしょう、逃がすかァ!!」
砂を蹴ってゾロは屋敷に走り出した。
「あ、ゾロ君!」
あっという間に見えなくなるゾロの後姿を見ながら、コウシロウは、やれやれ、と苦笑いした。
そういえばゾロ君が同い年の子に興味を持つなんて珍しいなあ、と思いながら。
□ □ □
屋敷に戻ったゾロは、無我夢中でさっきの子供を捜した。
「キューティープリティー野郎、どこ行ったァ!!」
とわめきながら部屋という部屋を荒らして回るゾロを見て、屋敷の者達が仰天する。
センゴクとミホークという客人が来るのは知っていても、そこに小学生の息子が同行している事までは皆に行き渡っていないから、事情を知らない者達が
「このガキ、どっから入り込みやがった!?」
と騒ぎ出した。
その者達がゾロを捕まえようと追いかけ始める。
ゾロはさっきの子供の行方しか気にしてないから屋敷の中を縦横無尽に走り回る。
たちまち屋敷の中は上を下への大騒ぎになった。
奥の間では、ゼフとセンゴク、ミホークが、静かに茶を頂いていた。
センゴクもそろそろ隠退を考えていて、既に隠退したゼフと、しんみりと語り合っていた。
その奥の間にも、表の喧騒が次第に聞こえ始めてくる。
「…なにやら騒がしいな。」
一瞬、襲撃かと三人が身構えた時、部屋の戸が、ばん、と開いた。
金色の頭の子供が駆け込んでくる。
唖然とするゼフ達に構わず、子供は部屋の中をあちこち見回して、隠れるところを物色している。
そこにゾロが駆け込んできた。
「見つけたぞ、てめェ!!」
「なんだよ、なんで追っかけて来るんだよ!!」
「俺と勝負しろっつってんだろうが!」
「お断りだ、マリモ野郎!!」
「ぐるぐる眉毛野郎!!」
「誰が可愛い金髪の巻き毛ちゃんだ!!」
「言ってねェだろうがァ!!」
どたんばたんと取っ組み合いのケンカを始める。
そこに屋敷の者達が更に乱入してくる。
「こいつ、こんなとこにいやがった!」
「捕まえろ!!」
捕まえようとする男の横っ面に、取っ組み合いする二人のどっちのだかわからない蹴りが綺麗に入る。
男がもんどりうって座敷から庭に転げ落ちた。
他の男が掴みかかると、また子供のどっちかのパンチが、どてっぱらにクリーンヒットして、その男も庭に転がる。
思わずそれを傍観してしまっていたミホークが我に返った。
額に血管を浮かせながら息子を叱り飛ばそうとした時、それをゼフが止めた。
不自由な足を感じさせない動きで、すっと立ち上がると、猫の子でも捕まえるように無造作に、右手でゾロ、左手でサンジの首根っこを掴む。
それを思いっきり庭に向かってぶん投げた。
二人の子供の体は、庭を越え、垣根を越えて飛んでいった。
「うわああああっ!!」
という悲鳴の後、どぼん、と水音が聞こえた。
あまりの鮮やかな手際に、屋敷の者達が対処できずに固まっている。
それにちらりと目をやり、
「何やってる、早く拾ってこねぇとガキどもは魚のエサになるぞ。」
とゼフが言った。
はっとした男達が、さあ大変だ、と我先に走り出す。
その後姿に、ゼフは、
「緑の方は鷹の目の息子だ!!失礼のないように!!」
と怒鳴ったので、男達はますます慌てて走り去っていった。
元の場所に座ったゼフに、ミホークが深く頭を下げる。
「愚息が粗相をした。申し訳ない。後できつく叱るゆえ…。」
「いや、鷹の目よ。」
ゼフがそれを遮る。
「俺は礼を言わねばならぬようだ。」
思いもかけないことを言い出したゼフに、ミホークが怪訝そうな顔をする。
「あれを引き取ってから一年たつが、あれがあのようにはしゃいでるところなど初めて見た。」
そう言って、ゼフは嬉しそうに破顔した。
2007/02/21