【参】

 

七武海。

それは彼ら裏社会に属する人間達の最上位の七人を指す。

普段は敵対する組織のボス達であったが、14年前の大きな抗争以来、表向きは同盟を結び、月一回円卓を囲むのが定例となっていた。

ゾロの父親、ジュラキュール・ミホークは、その七武海の一角であり、現在最強であろうと目される男だ。

会食の店は、料亭“バラティエ”。

政府の高官や財界の大物だけが秘密裏に利用する、会員制の料亭だった。

料亭は、鉄の門で閉ざされている。

車が近づくと、門の上に備え付けられた監視カメラの赤い光が動く。

車内の人物を確認すると、門が無人のまま自動的にすっと開く。

 

そうしてその日、何台もの黒塗りの車が、バラティエの門をくぐっていった。

 

 

 

 

七武海の会合は、“円卓”を囲むことが通例となっている。

七人のボスは全員同等、席順には上下をつけない。

それが14年前の同盟成立時に真っ先に決められたことだった。

 

だが、表向きは上下が決められてないとは言っても、七武海のボスそれぞれにはやはり個々のこだわりや階級意識がある。

一番そういうことに拘るのが、サー・クロコダイルとゲッコー・モリア。

彼らは会合の時間よりもずっと早くバラティエに現れ、円卓の一番奥、言ってみれば上座にあたる席をお互い無言で取り合う。

表立って言い争いなどしないため、暗黙のうちに早い者勝ち、という事になっている。

だから、二人はお互いに何とか相手よりも早くバラティエ入りしようと競い合い、今では時間の一時間以上前には着いてしまうようになっていた。

毎度毎度それに付き合わされて一時間以上前から自分の仕事を切り上げなければならない彼らの部下、ダズ・ボーネスとアブサロムは気の毒としか言いようがない。

続いて到着するのは、海侠のジンベエ。

「海侠」の二つ名の通り、任侠に厚く昔かたぎの彼は、七武海の中で、最も年長者ゆえに上座には意外と拘る。

だがクロコダイルとモリアの無言の意地の張り合いには係わり合いになりたくないため、彼らよりは少し遅れてきて、それでもなるべく上座寄りに着く。

自然とこの三人が円卓の奥に並んで座る事になる。

それぞれ引き連れている部下は席につくことを許されていないため、ボスの後ろに立つ。

クロコダイルの後ろに一人、モリアの後ろに一人、ジンベエは部下を連れていない。

さほど席順に拘らないのは、バーソロミュー・くま。

天井につくかと思うほどの巨漢のため、いつも椅子の上で窮屈そうだ。

彼もジンベエと同じく、部下は連れていない。

ドンキホーテ・ドフラミンゴは、ベラミーとサーキースという二人の部下を連れているが、自分の部下をあまり信用していないらしく、自分の後ろに立つことすら許していない。

だからベラミーとサーキースは戸口に立つ。

それから、赤髪のシャンクス。

飄々とした捉えどころどころのない男だが、左腕が不自由なため、同行する腹心のベン・ベックマンの立ち位置は、いつも左側だ。

 

そして、ゾロの父親である、鷹の目の二つ名を持つジュラキュール・ミホーク。

以前は腹心の部下であるコウシロウと、息子であり部下でもあるロロノア・ゾロを同行させていたが、ゾロが子組織のボスになってからは、コウシロウのみを同行させるようになった。

今日、ゾロがこの円卓に同席するのは、ミホークの部下としてではなく、新しい下部組織のボスとしての顔見せの為だ。

といっても、あくまで表向きは“会食”である。

 

まさに壮観、といった面々が一堂に会している。

普段ならば顔を合わせた瞬間に殺し合い、というほど敵対している組織同士でも、この会合の時だけはそんな事はおくびにも出さず表面上は和やかに歓談する。

そうして、お互いの腹を探り合うのだ。

 

七人のボスの後ろに、それぞれ部下が立つ。

七人のボスに対して六人の部下達。

 

「本日は私のような若輩者をお招きいただきまして。」

 

ゾロがその部屋に入ったとき、その13人の目が、一斉にゾロを見た。

そして、その全員がぎょっとしたように息を呑んだ。

きっちりと黒いスーツに身を包んだゾロの腕に、えんじ色の開襟シャツにベージュのスーツという、いかにもホストか男娼といった風情の金髪の男が、情婦よろしく甘えるように縋り付いている。

そんなゾロに業を煮やしているのか、ゾロに続いて現れた三人の幹部は、全員、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

この十数年、(腹の中はどうあれ表面上は)神聖なる円卓に、“女”連れで来た者など、一人もいない。

しかも、ゾロは七武海の一員ではなく、あくまでもミホークの下部組織のボスに過ぎないのだ。

さすがに場がざわめいた。

「ロロノアよ。」

ミホークが口を開いた。

その瞬間、ざわめいていた部屋が、しん、と静まり返る。

体面を重んじるミホークは、自身のこだわりから、実の息子であるゾロに、ジュラキュールを名乗らせてはいない。

人前でも、名ではなく与えたロロノア姓で呼ぶ。

「武骨なお前が花を持参とは珍しい。」

言葉は優しいが込められた皮肉は痛烈なものだ。

だがゾロは、にやりと人の悪い笑みを浮かべて見せた。

「お招きに預かったので、花をお持ちしましたが何か?」

ぬけぬけと言うゾロに、ミホークが微かに眉を聳やかす。

「些かこの場には華美な花のようだ。」

場を弁えろ、と、言われているのだ。

あからさまな咎めに、パウリー達の顔に緊張が走る。

だが、ゾロはその人を食ったような笑みを崩さない。

「お気に召しませんでしたか?」

そう言ってゾロは、サンジを抱き寄せて、ミホークを見据えたまま、サンジの頬にキスをした。

サンジはうっとりとそのキスを受けている。

唇を吸ってもらえないことがもどかしいらしく、サンジが可愛らしく唇を尖らせてゾロの唇を追う。

 

「無益。」

 

もうミホークはゾロを見ることもせず、容赦なく一言の下に切り捨てる。

パウリー達はもはや顔面蒼白だ。

実の父親とはいえ上部組織のボスに対して、ゾロの態度は許されるものではない。

居並ぶ七武海の面々は、ゾロの無作法に渋い顔をする者、面白そうにニヤニヤと傍観する者、ゾロそっちのけでサンジを食い入るように見ている者、様々だ。

 

「…まぁ…ひとまず座るがいい。鷹の目の後継。」

比較的穏健派のくまが場を繕うように促した。

ゾロがおとなしく従い、ミホークの隣の椅子を引く。

サンジの腰を離さぬまま、ゾロは椅子に腰掛けた。

自然とサンジはゾロの膝の上に座る。

七武海以外の者が円卓に同席を許されるのは極めて稀な事だ。

それは取りも直さず、鷹の目のミホークという男の影響力と、その後継と目された息子への、七武海の興味の深さを物語っていた。

要するにこの席は、新しくミホークの子組織のボスとなった男を、じっくりと検分するための席なのだ。

その場に“女”連れで現れたロロノア・ゾロを、噂に違わぬ豪胆の者か、親の権力を笠に着る二代目のボンボンか、或いは親にたてつく反抗期の抜けきらないガキか、と、彼らの眼光は光る。

 

ゾロは気にもせず、たくさんの視線の前で、膝に乗せたサンジとキスをしている。

 

サンジは、やっと与えられた唇が嬉しくてならないらしく、ゾロの唇に音を立てて吸い付いている。

子供がするような幼いキス。

「ん…、ゾロ…もっとぉ…。」

唇が離れると、催促するように、赤い舌がちろりとゾロの唇を舐める。

 

「犬だな。まるで。」

フフフフフフフ、と笑いながら、ドフラミンゴが呆れたように呟いた。

なるほど、ゾロに縋り付いて無心に唇を求めるサンジの姿は、確かに犬か何かがじゃれ付いているようだ。

サンジの姿は、その尻に尻尾がついていたら、はちきれんばかりに振っているに違いない、と思わせる。

「なるほど。」

犬と思えば可愛いものではないか、と、モリアもつられたように、きしししし、と、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

無作法を許せないジンベエは、渋い顔で睨み付けるようにゾロとサンジを見据えているが、その隣席のシャンクスは、何も言わずただ面白そうにニヤニヤと二人を眺めている。

それまでの緊迫していた空気が、うっすらと色づいてくる。

場の雰囲気が緩むのを見計らったか、給仕人が食事を運んできた。

 

食前酒が全員にいきわたると、モリアが乾杯の口上を述べようとした。

もちろん、この口上も、七武海のうち誰がするとも決まっておらず、仕切りたいモリアがいつでも先んじるので何となく彼の担当になってしまっているものだ。

「では我々の大いなる発展に、」といういつものセリフを口にしようとして、モリアは目を見開いた。

 

ゾロの膝の上のサンジが、こくこくと既にグラスを傾けているではないか。

あまつさえ、ワインを口に含んだまま、「ん」とゾロに唇を突き出す。

ゾロも何の抵抗もなく、サンジの唇から酒を飲む。

 

あんぐりと口を開けたモリアの間抜け面に、ついにシャンクスが耐え切れなくなって思い切り噴き出した。

さすがのベックマンもたしなめるように背後からシャンクスを突っつくが、シャンクスの笑いは止まらない。

ぎらりとした、殺気を篭められたモリアの視線で睨み付けられて、やっとシャンクスは笑いを収めた。

「あァ…いや、失敬。」

しかしその肩は小刻みに震えていて、笑いをこらえているのがわかる。

 

モリアは屈辱に顔をどす黒く変えながら、中途半端に持ち上がっていたグラスを、テーブルに置いた。

叩きつけなかったのが奇跡だ。

 

ミホークは、もはや完全に無視を決め込んでいて、ちらりともゾロに視線ひとつ寄越さない。

七武海への顔見せはしたのだから、あとはもう知らんとでも言わんばかりだ。

 

乾杯の口上がないまま、前菜が運ばれてきた。

 

皿がゾロの前に置かれるが早いか、いきなりサンジの手が伸びて、薄くスライスされた白身の魚をつまみあげた。

あっという間にそれはサンジの口の中に消えていく。

「うまいか?」

ゾロが睦言でも囁くように聞く。

「うまい。」

にこっとサンジが笑う。

そしてまた、サンジの手がオードブルを手づかみで取る。

「あーん。」

そう言ってゾロの口を開けさせて、自分の手からそれを食べさせる。

ゾロは何の疑問も抱かないらしく、サンジの手からオードブルを食べ、更にサンジの指についたソースを舐める。

「うまい?」

サンジの問いに、

「うまいな。」

ゾロが微笑みながら答える。

またサンジの手が更に伸びて、今度は摘んだ一切れを、ゾロの背後に立つパウリーに差し出した。

「あーん。」

なんの邪気もない顔が、ぎょっとしているパウリーに口を開けろと促す。

パウリーが硬直していると、横にいたフランキーが、パウリーのわき腹をちょいちょいと肘で小突いた。

咄嗟に口を開けてしまったパウリーのそこに、サンジがスライスされた魚を放り込んだ。

七武海の会食の席で、部下が物を食べるなど、ありえない。

うっかり口に入れてしまったものの、食べるべきか吐き出すべきか逡巡しているパウリーに、ゾロが振り向かないまま言った。

「サンジの飯は断るなと言ったろう。飲み込め。」

慌ててパウリーは口の中の物をろくに噛みもせず、飲み込む。

「うまい?」

幼い顔で、サンジが聞いてくる。

「うま、いや、お、おいしい、です。」

味などろくにわからなかったが、パウリーは即座にそう答えた。

するとサンジが、ゆるそうな笑みを満面に浮かべた。

途端にその顔面を、ゾロの手が覆う。

「よそ見て笑うな。」

またしても露になる、ゾロのあからさまな独占欲。

けれどサンジはそれに気づかないのか、きょとんとした顔でゾロを見つめ、へらっと笑った。

 

それを面白そうに隣で見ていたシャンクスが、運ばれてきたスープを一口飲んで、ふと、何かに気がついたように「ん?」と小さく呟いた。

その瞬間、サンジがシャンクスを振り向く。

一瞬その態度に違和感を覚えたシャンクスだったが、サンジはぼんやりした目のまま、

「まずい?」

と聞いてきた。

やたらと飯に拘るガキなだけか、と思い直して、

「いや、おいしいよ?」

とシャンクスが返すと、サンジは安堵したように、へへ、と笑う。

その笑みもゾロの手のひらに隠された。

 

その後も、メインがこようと、デザートがこようと、ゾロは膝の上からサンジを下ろそうとはせず、サンジもへらへらと笑いながらゾロの料理を横取りしていた。

ごくたまに、それをペットにえさをやるようにパウリーに与え、パウリーはそのたびに焦ってそれを嚥下した。

それを両脇にいるルッチとフランキーがじっと見ている。

サンジはフランキーとルッチは目に入っていないらしく、“エサ”を与えるのはパウリーに対してだけだ。

フランキーが小さく、

「お前どうやって手なずけたんだよ。」

とパウリーに囁いたが、元より心当たりのないパウリーは、

「知るかっ!」

と小声で言い返すことしかできなかった。

 

 

その場の誰一人、気がついていなかった。

いつのまにか、場の中心が、サンジになっていることに。

そこにいる誰もが、サンジに目を奪われていたことに。

 

 

「ぜひ、その妙なる花の名を教えてもらえないかな。」

 

突然、シャンクスがゾロにそう言った。

その場の全員の視線が一斉にシャンクスに向けられ、それはすぐ、ゾロへと戻る。

いや、正確には、ゾロの膝の上でとろんとした目でゾロだけを見つめているサンジに。

 

「サンジです。」

ゾロが答えた。

 

それからゾロは、膝の上の痩身を、くるっと皆に向け、その耳に

「笑え。」

と囁いた。

 

一瞬、ゾロの方をぼけっとした顔で振り返った後、サンジは正面を向いて──────ふわりと笑った。

 

その場にいる全員が息を呑む。

 

恐らく、その場にいた全員が悟ったことだろう。

 

─────この花には、人間として必要な知能が欠けている。

 

それは、知性の欠片も感じられない、人形のような、幼な子のような、無邪気で、幼稚で、純粋で、─────凄絶に美しい、笑みだった。

 

サンジの笑みはすぐに消え、また元の、夢でも見ているかのようなとろんとした顔に戻る。

ゾロの方を向き直り、褒めてくれるのを待つように小首をかしげる。

ゾロが「いい子だ。」と告げると嬉しそうにキスをねだる。

飼い主に笑えと言われたから笑う。

自分の置かれている状況を判断することもできない。

ただひたすらに飼い主だけしか見えない、飼い主だけの美しい人形。

 

「なるほど。…逸品だ。」

 

小さく、ほとんど聞き取れないような声で、クロコダイルが呟いた。

その呟きはあまりに小さく、後ろに立っていたダズがやっと聞き取れるほどの声だった。

円卓の向こう側のゾロには、恐らく聞こえもしなかったろう。

 

熱い口付けを交わし始めた若者達を、クロコダイルは、名前のごとき爬虫類を思わせる目で見ていた。

 

その瞳に獰猛で残忍な光をたたえながら。

 


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