∞ サーモンUSA ∞

 

その港は、小さいながらも活気に溢れていた。

一人、食材の買出しにきていたサンジは、市場の品揃えのよさに驚いていた。

こんな小さな漁港だというのに、市場の活気は大きな港のそれに勝るとも劣らない。

ここらへんの漁場はよほど豊穣なのだろう。

それとも流通がいいのか?

サンジが見た事もない魚も数多い。

 

─────オールブルーも、こんな海だろうか…

 

そんな事を思ってみたりもする。

 

たくさんの食材に囲まれていると、サンジの心はそれだけで楽しくなる。

この魚はムニエルがいいか、こっちの魚は煮付けがいいか、この魚は開きにして天日干しにしようか、そんな事を考えながら、次々に食材を仕入れていく。

 

ふと、サンジは、数ある魚たちを見回して、足を止めた。

「どうしたね? お客さん。」

市場の親父に声をかけられる。

「いや、あー、…鮭はあるか?」

言いながら、自分の頬が熱くなってくるのがわかる。

 

バカか俺は。

なんで鮭買うのに赤面してんだ。

 

─────クソマリモのせいだ。

 

何日か前、そのクソマリモことゾロが、珍しく、ほんとに珍しく、サンジに「鮭が食いてェ。」と言ってきた。

ゾロが食事のリクエストをする事など、本当に珍しい。

いつでも、サンジの「何が食いたい?」の問いに対して「酒。」とあさっての答えを返し、「食い物を聞いてんだ、クラァ!」とバトルになるのが常だ。

ところがその時のゾロは、サンジが聞きもしないのに、ふらりとラウンジにやってきて、「鮭が食いてェ。」とボソっと言って去っていった。

一瞬呆然としたが、すぐに、自分でも信じられないほどの嬉しさがこみ上げてきた。

 

ゾロが食べたいものを言ってくれた。

 

それだけのことを、こんなにも嬉しいと感じる自分がいるなんて、知らなかった。

だからサンジは頑張った。

ワインもバターも、一番いいものを使って、鮭ステーキを焼いた。

ゾロが和風の味付けを好むのを知っていたから、玉ネギの代わりに長ネギを使って、醤油でソースを作った。

そうしたら、ゾロは、皿ごと喰うんじゃないかという勢いで平らげて、「うまかった。ごっそさん。」と言ってくれたのだ。

いつもルフィにしか向けないような笑顔で、にかっと笑ってくれた。

 

その日から、サンジの心は、鮭しか考えられなくなった。

 

鮭、鮭、鮭。

ゾロに鮭を。

おいしい鮭を。

 

ところが魚には、────魚に限らず、ほとんどの食材というものには────旬というものがある。

いつもいつもおいしい鮭が手に入るわけではないのだ。

グランドラインという、稀有な気象条件を持つところでは、尚更だった。

あいにく、あれから、ゴーイングメリー号は、鮭の漁獲海域から外れている(もしくはその土地に鮭を食べる習慣がない)ようで、どの島にいっても、どの市場にいっても、サンジは鮭の姿にお目にかかることはなかった。

 

だから、サンジは、あの日以来、食卓に鮭を供する事が出来ないでいる。

 

でもこの島のこの市場は。

小さいながらも豊富な魚介を揃えているこの市場なら。

もしかしたら手に入るかもしれない。

 

祈るような気持ちで、サンジは聞いてみた。

 

だが、帰ってきた答えは、サンジを落胆させるものだった。

 

 

「塩にしてある切り身ならあるよ。」

 

 

「…生鮭は?」

「ナマはないね。この辺の漁場では鮭は取れないんだ。遠洋でね、取ってくる。だから、取れた鮭はその場で切って塩にして冷凍にしちまうんだ。」

 

サンジは既に塩を振ってある魚は買わない。

どんな塩がどのくらいかかっているのか、サンジが把握できないからだ。

塩をする時は生のものを買ってきて、必ずサンジ自身の手でする。

長い航海をする船のコックにとって、それは当たり前のことであり、鉄則でもあった。

1gの摂取塩分が、生死をわける事だってあるのだ。

 

「ナマはないのか……。」

サンジはため息をついた。

「塩だってうまいぜ? お客さん。」

「いや、俺ァ、船のコックなんだ。」

自身も漁師らしい市場の親父は、サンジのその一言ですぐに事情を察したようだった。

「長旅かい?」

「ああ。」

サンジの答えで、ちょっとうーんと考え込んだ。

「保存って事だけを考えるとね、この鮭は最高だ。とってすぐ冷凍してあるから鮮度もばっちり。塩のおかげで長期保存もきく。」

それからまた、うーん、と腕組みをする。

「お客さんが気にしてるのは塩の量だろう。」

「ああ。」

だよなー、と、親父は腕を組みなおした。

そして、おもむろに腕を解いて、ぽん、とたたく。

「よし、こうしよう。」

にかってと笑う。

「お客さん、この鮭、この場で焼いてやるから、ちっと食っていきな。」

 

「え?」

 

「コックさんなんだろう? 自分の舌で確かめるのが一番いい。」

それはそうだ。

その通りだ。

ナマじゃないのならいらない、と言おうとしていたサンジは、その一言で断るきっかけを失ってしまった。

仕方なく、いつの間にか市場のおばちゃんが持ってきてくれた木椅子に腰掛ける。

 

どこからか七輪が運ばれてきた。

思いっきり使用中だったらしく、中では炭が既に熾きている。

網が乗せられる。

たかが試食にえらいことになって来たな、と思いながら、サンジは待つ。

「冷凍の塩ジャケを焼く時は、必ず、凍ったまんま焼くもんだ。絶対に解凍しちゃいけねぇ。」

親父は鼻歌でも歌うようにウンチクを披露しながら、かちんこちんに凍ったままの切り身を網の上に乗せた。

「塩にしてあるもんを解凍すると、浸透圧の関係で塩が過剰に身に沁みこんで、焼いた時パサパサになっちまう。旨味も脂も抜けちまう。」

じゅう、と魚の脂が炭に落ちた。

ぱちっと炭が爆ぜる。

じゅわ、じゅわ、と切り身から脂が沁みでてきた。

辺りに香ばしい匂いが広がりだす。

 

サンジはそれを見つめながら、さて、これを買ったとして、どう調理すればいいんだ?と考えていた。

既に塩が振ってある。

ずいぶん脂ものっている。

バターや油をひいたら、この脂は台無しになってしまう。

食欲をそそる、香ばしい、いい匂い。

これを濁したくないな、と思った。

 

「やたらとひっくり返しちゃだめだ。じっくり待って─────」

親父がひょいっと菜箸で切り身を返した。

「ひっくり返す! 返すのは一度だけ!」

綺麗な網目の焼き目がついていた。

 

いつのまにか、サンジは右手に箸、左手にほかほかご飯の茶碗を乗せられていた。

 

「ほいっ。」

おいしそうに焼けた鮭が目の前に出される。

 

これは…

これでは試食ではなくて…

 

お食事?

 

焼きたての切り身に箸を入れる。

ふんわりした感触も身離れのよさも完璧だ。

切り身の厚さも申し分ない。

これ以上厚ければ、冷凍のまま焼いては中まで火が通らないだろうし、薄いのではお話にならない。

なるほど、ウンチク語っていただけあって親父の焼き方はうまい。

こんがり焼けているのに、焦げてはいない。

皮がぱりぱりなのは自身から出た脂でじっくり焼かれたためだ。

パリパリベーコン作るのと原理は一緒だ。

とってすぐ塩を振ったせいか、鮭特有の生臭みもない。

一口食べてみて、すぐに振ってある塩が、海の塩だとわかった。

精製していない、粗塩だ。

だから、塩はむしろややきつめについているのに、魚の甘味を損なわない。

むしろそれが魚の甘味を引き立てていて、何より飯にはちょうどいい。

脂が乗りすぎているかと思ったら、網で焼いたことで余計な脂が落ちて、ほっこりした中にとろっとした旨味を感じる。

そして皮目のぱりぱりとした食感。

噛むとじわりと脂が沁みてきて、口の中でまろやかにとろける。

完璧だ。

焼いただけなのに、それはもう非の打ち所のない、完璧な一品になっていた。

この鮭はこれ以上手を加えるべきではない。

 

サンジの頭は、すぐに献立を考え始める。

 

この塩分量ならあっさりしたサラダ…。大根とレタスとか。

大根おろしとだしまき卵をつけてもいいかもしれない。

それと、冷奴。

冷えるようなら、豆腐は湯に潜らせて、椀に薄く出汁のあんを張って。

上にしょうがとかつぶし。

あとはホウレンソウのおひたし… それか、胡麻和え。

 

きっと、ゾロは喜んでくれる。

 

黙って箸を運ぶサンジを、市場の親父が覗き込んだ。

「どうだい?お客さん。」

 

箸と茶碗をおき、「ごちそうさまでした」をしたあと、サンジはにかっと笑って言った。

「こいつをくれ。あるだけ全部。」

 

END.

2004/05/04


焼き鮭話のその後。
プチのつもりが何故か長くなってしまったのでNOVELに収納。
このシリーズ、なんだか知らないけど人気があります。

ゾロが鮭喰うだけの話なのに、何がそんなに人気があるのか、実は全然分かりません


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