§ 夢中遊泳 §
【 3 】
ぱたん、と閉まったラウンジのドアを、ゾロは呆然と見上げていた。
ただもう、呆然と。
あんなにも。
あんなにも、物騒なほどの色気を振りまく生き物になるのか、アレは。
この10年の間に。
背中まで伸びたさらさらの金色の髪。
優雅さすら窺える物腰。
この船員たちをも魅了するほどの、壮絶な色気。
気負いも背伸びも、感じられなかった。
ゾロがよく知っているサンジが絶えず纏っていた、攻撃的な、人を小馬鹿にしたような、そのくせ雨の中で震えている子猫のように怯えて、警戒するような、そんな空気はどこにもない。
ゆったりと穏やかで、どこまでも静かで、満ち足りた柔らかな空気。
見る者を強烈に惹きつけてやまない、優然として
何があった、この10年で。
何がお前を満たした。
そんなにも、見ているだけでこちらまでその色に染められそうに、どきりとするほど
誰がいったい、お前をそんな風に染め替えた。
─────10年…たったら…、あいつはあんなエロくなりやがんのか…。
ゾロの内心を、焦燥と嫉妬が、急激に突き上げる。
─────誰がいったい、そんな風にお前の魂に、触れた。
どくどくと、耳元で自分の心臓の音が聞こえる。
誰かが、この10年の間に、サンジに触れ、サンジを満たし、淫らで美しい生き物へと変えた。
その事に、ゾロは動揺していた。
それにも増して、あの、強さ。
サンジは恐ろしく強くなっている。
戦慄がゾロの背筋を貫く。
強さなど微塵も感じさせないほど穏やかな瞳をしていたのに、力任せに飛んでいったゴム船長を、足先だけでラウンジに蹴りこんでみせた。
上半身はナミを優しくエスコートしたまま。
上体は全くぶれなかった。
足を振り上げる気配すら感じなかった。
一瞬、膝から下の動きが、完全に見えなかった。
凄まじい速さの蹴り。
あの速さで蹴られたら、恐らく今のゾロでは、よけきれない。
脚の動きを追うことすら出来ない。
なのに、その強さが、あのサンジからは全く読み取れなかった。
初対面なら確実にただのにやけた優男にしか見えないだろう。
ゾロがよく知ってるサンジのような、誰彼構わずケンカを売っているような、あのとげとげしさが全くない。
柔らかな笑みを浮かべて、柔らかな瞳で、柔らかな気を纏ったままで、強烈な蹴りを放った。
あの蹴りを食らっても、まず間違いなく船長は無傷だろうが、今のゾロではわからない。
殺気も何も感じ取れぬまま、致命傷を食らうかもしれない。
恐ろしく強くなっているのに、印象はむしろ、ずっと優しくなった。
口調は相変わらず粗野で粗暴なのに、人をまるで不快にさせないふんわりと優しげなオーラ。
立ち尽くすゾロの耳に、ほうっと、誰からともなくついたためいきが聞こえた。
熱を含んだ、陶然としたためいきは、周りのあちこちから漏れている。
そのため息をついた者は、皆一様に、熱に浮かされたような目で、ラウンジの閉まったドアを見上げている。
コックへのただならぬ思いを抱いているのだと、その瞳が雄弁に語っている。
「あァー…、海賊心得ェー。」
ちょっとうんざりしたような、やれやれといったような、そんな口調でウソップが言った。
「ひとぉーつ。人のものに手を出してはいけないー。」
何人かの海賊が、笑い声を立てた。
「特に、航海士とコックに手を出してはならないー。」
誰かがふざけるように付け加えた。
「いるかよ、そんな命知らず。」
また誰かが言うと、笑い声が起きる。
さっきまでサンジを熱っぽい瞳で見つめていた連中は、諦めと自嘲の笑いを。
「ナミはともかくとして、なんでサンジにこんなに懸想してる奴らが多いかねぇ。男だぞ?」
ウソップがげんなりと言う。
そのとたん、周りの連中が色めき立った。
「いやいや、なんでウソ兄さんにあの色気がわからないっすか。」
「ウソ兄貴、俺なんか、姐さんよりもむしろずっとサンジさんの方が…。」
「サンジさん、この頃マジでほんとヤバイっすよ。」
「サンジさんも罪作りなんすよ、あの人はそんなつもりねぇんでしょうが、触れなば落ちん風情ッつうか…。」
「そうそう。なんつーか、一回くらいならやらせてくれそうっつーか…。」
ラウンジを見つめたままうっとりと口々にサンジの色気について語りだす船員達に、ウソップはぎょっとした。
「おいおいおい、お前ら。冗談でもよせ。そんなん旦那の耳に入ったらただじゃすまねぇぞ? アレの旦那の悋気はよく知ってんだろうが。」
どっと笑い声が起きる。
けれどゾロはそれを笑うどころではなかった。
「旦那」、と。
ウソップは確かにそう言った。
ではサンジの相手は、女ではなく男なのか。
男が、サンジに触れたのか。
サンジを抱いたのか。
そうやって、サンジを満たしたのか。
あのサンジの
強烈な嫉妬で、頭がぐらぐらした。
体中の血が沸騰しているような気がした。
耳鳴りすら覚えて、だから、ウソップがその後続けた言葉も、ゾロには聞こえなかった。
「それになァ、ああ見えてサンジは身持ち固ェぞぉ? 10年間旦那一筋だからな。」
ゾロには、さっきから意識的に気づくまいとしていたことがあった。
ドレッドヘアでたくましくなったウソップ。
もこもこの可愛らしい看護婦さんを伴ったチョッパー。
子供のような輝いた瞳のまま貫禄と風格を増したルフィ。
大人の女性として成熟したナミ。
麦わらのクルーとして乗り込んでいる?エース。
尋常じゃない色気を放つようになったサンジ。
─────“ゾロ”がいない。
ゾロはまだ、“この船のゾロ”を、見ていない。
ロビンの姿も見当たらない。
彼女は船を下りたのだろうか。
それともこの船のどこかにいるのだろうか。
では自分は?
自分はどこだ?
10年後、ゾロはルフィの船から下りるのだろうか。
それとも命を落としているのだろうか。
何をしている? 10年後の自分は。
大剣豪にはなれたのか?
鷹の目は倒せたのか?
まさか。
また負けたのか?
今度こそ命を落としたのか?
大剣豪にもなれず、鷹の目も倒せず、コックもみすみす奪われて?
どくん。と、心臓が跳ねた。
鷹の目を倒してから、大剣豪になってから、などと悠長に構えていて、何故、コックが横から掻っ攫われる事を想像もしなかった。
いや、横から、ではない。
だってゾロはサンジに想いを告げてすらいなかったのだから。
どうしてそんな悠長なことが出来たのか、今ではもうわからなくなっていた。
サンジがあんなにエロく
いつ死ぬかわからないからこそ、すぐにでも手に入れておかなければならなかったのに。
何故自分が大剣豪になるまで、サンジは待っていてくれるなどと考えられたのか。
嫉妬と焦燥と怒りと不安に血走った目で、ゾロはラウンジを見上げた。
どくん、どくん、と、心臓の音が聞こえる。
ラウンジを凝視していると、何故かラウンジの中が透けて見えた。
あの壮絶な色気を放つ淫らな生き物が、“誰か”に抱かれていた。
さっき、このキッチンにはナミとルフィとエースも入っていったはずなのに、その姿はない。
さっきとは時間軸がまた違うのかもしれない。
気が付くとゾロの周りには誰もいなくなっていた。
ゾロはどことも知れぬ場所から、ラウンジの中を見ていた。
ラウンジの中は、恋人たちだけの濃密な空間となっている。
サンジが“誰か”に微笑みかけた。
すぐにわかった。
サンジが笑顔を向けているのは、サンジの“男”だ。
船員たちに向けていたのとはまるで違う、心ごと預けたような、とろけるような笑み。
心から愛しい者を見る瞳。
ゾロの心がどきりと跳ねる。
誰を見ている。そんな瞳で。
ナミにすら向けたことのない、極上の微笑み。
男など、芥のごとく扱ってきたコックが、その男にだけは、こんなにも無防備な笑みを向ける。
男の手が、サンジの白い肌を這い回る。
それだけで、サンジの白い肌がうっすらと桃色に染まった。
─────やめろ…!
触るな。それに。
男が誰なのか、ゾロには見えない。
必死で目を凝らしても、何故かその姿は見ることが出来なかった。
ただ、男の手の中で、淫らに乱れていくコックの姿だけが見える。
サンジが、あのプライドの高い男が、その“誰か”にだけは、惜しげもなく体を開く。
全身をくまなく愛撫されて、高められていく。
肩口で結わえられていた髪が、男の手で解かれる。
さらりと、長い金髪が揺れる。
汗ばんだ白い肌に絡む。
せつなげに寄せられた眉根が、どれだけの快感を与えられているかを示している。
しなやかな肢体が、のけぞる。
白い首筋があらわになる。
その透き通るように白い喉元に、男が吸い付いた。
サンジの全身が震える。
男の愛撫は、執拗で丁寧だった。
どれだけその男がサンジを愛しているか、慈しんでいるか、痛いほどゾロに伝わってくる。
こんなにも激しい愛を、サンジは絶えず注がれている。
それがサンジをあんなふうに劇的に美しく染めたのだ。
誰が。
いったい、誰が。
ルフィか? エースか?
それとも全然別のゾロの知らない誰かなのだろうか。
やめろ。やめてくれ。
そんな風にそいつに触るな。
そんなふうにそいつに触っていいのは俺だけだ。
そんなふうにそいつを満たすのは俺だけだ。
俺が愛して、俺が慈しんで、全身くまなく触れて、俺が、俺の色で、染めてやりたかったのに。
男の手の中で喘ぐサンジは、まるでゆっくりと蕾が、花開いていくようだ。
最初に見た色気など、到底及ばない。
あの色気は、あれでまだ開花していなかったのだ。
愛する男の腕の中でだけ、その本当の艶やかさが形を成す。
妖艶に、淫靡に、美しく。
ちくしょう。
あれは俺の、俺が、俺と、俺に…。
歯噛みするほど悔しいのに、嫉妬のあまり耳鳴りすらするのに、ゾロの目は目の前のサンジの痴態に魅せられて動けない。
熱い吐息を漏らしながら、サンジは男の手に全てをゆだねている。
いやらしくねだるようにくねる腰。
とろりと潤んだ蒼い瞳。
開かれたしなやかな足の間で勃ち上がったモノは、ふるふると震えながら蜜を垂らしている。
男の指を3本も咥え込んだピンク色の後孔は、それだけじゃ物足りないとばかりにひくひくと蠢いて男の指を締め付けている。
のけぞりながら、男に腰を突き出す。
誘われるように、男が、硬く張り詰めたサンジのペニスに舌を絡めた。
サンジの体がのたうつ。
多分、その唇からは嬌声が漏れてることだろう。
けれどその声はゾロには聞こえない。
後孔に挿入された男の指が、怪しげな動きを繰り返す。
ペニスの先端を軽く舐められただけで、それはあっけなく白い蜜を噴き出させた。
ごくり、とゾロの喉が鳴る。
同時に男の喉仏も動いて、サンジの射精を口で受け止め、嚥下した事がわかる。
男がサンジに覆いかぶさる。
─────やめろ。
サンジが両手を広げてそれを迎え入れる。
うっとりと嬉しそうな瞳で。
─────やめろ。
男がサンジの足を抱えあげる。
─────やめろ…!
とても男を迎え入れられるとは思えない小さな窄まりに、男が太い砲身を押し付ける。
─────やめろ!!!!!
その瞬間、腹部に恐ろしい衝撃が来た。
「─────ッッ!!」
目を開けると、目の前に今しがたまで男に組み敷かれてあんあん言っていた金髪のコックが、それはそれは凶暴な顔をして立っていた。
ぎくりとして、ゾロはすぐ気づく。
サンジの髪が短い。
纏う空気がまだ青い。
ポケットに両手を突っ込んで、猫背で立っているコックは、ゾロのよく知っているコックだ。
思わず辺りを見回す。
もう陽はすっかり落ちていた。
それでも小さな船の船首は、よく見える。
見慣れた、羊の船首。
メリー号だ。
帰って、きた…のか?
いや、夢だったのか…?
「何きょろきょろしてやがんだ、てめェ。」
サンジがチンピラ丸出しの顔で凄んでくる。
いつものゾロならすぐさま着火するほどの挑発的な顔なのに、ゾロは思わずほっとしてその顔を見上げた。
戻って、これた。
ここは自分のいるべき、ルフィの船。
ならば自分にはやることがある。
あんまりまじまじとゾロが見つめてくるので、
「な、なんだよ。」
と、サンジがちょっと怯んだ。
その頬が薄く染まる。
「気色悪ィぞ、てめェ。もうすぐ飯だ。それ、どうにかしてからラウンジに入ってこい。」
それ? と、ゾロは、サンジが指差したところに視線を落とし、納得する。
股間が見るも見事にテントを張っていた。
そりゃそうだ。
サンジは、頬を薄く染めたまま、「ったく、ナミさんやロビンちゃんにはしたないものお見せしなくて良かったぜ。」等と言いながら踵を返した。
その後姿に、ゾロは迷わず手を伸ばした。
驚いて硬直する痩身を、力の限り抱きしめるために。
◇ ≡ ◇ ≡ ◇
ラウンジで、コックさんとおねぼう剣士を待っていたクルー達は、ややあって戻ってきた二人の挙動不審な事に、首をかしげた。
わけがわからないながらも、コックさんのお誕生会という名の宴会が始まる。
しかし、本日の主役であるはずのコックさんは終始心ここにあらずで、グラスは倒すわ、ケーキに間違えて醤油をかけるわ、それを平気な顔して食べるわ、異様なことこの上なかった。
一方、剣士さんはというと、一見いつものように黙々と食事を平らげ、けれど、トナカイ船医さんをして、「まるでカナリヤを食ったばかりの猫のよう」と言わしめた顔でコックを見ては、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべてクルー達を鳥肌だらけにした。
後日、どうやら剣士さんはコックさんの誕生日に自分の愛をプレゼントしたらしい、っていうか、あげたのはコックさんの方らしい、っていうか、コックさんが捧げちゃった、っていうか、ぺろっと美味しくいただかれちゃった、っていうか、まあ要するにそんな感じらしい、と、クルーの間に回覧板が回ったとか回らなかったとか。
END
2005/05/21
10年後サンジの相手はもちろんゾロです。自分の姿は見ることが出来ない、みたいな感じで。
10年後の自分に嫉妬していたゾロ。