§ 夢中遊泳 §

 

【 1 】

 

─────コックは俺の事が好きなんじゃねえかな。

 

ゾロは最近よくそう思うようになった。

喧嘩は相変わらずだ。

お互い、毎日の小競り合いで生傷が絶えない。

サンジの思考はいつもゾロの予想の遥か彼方斜め45度をロケットで突き抜けていて、ゾロにはサンジがそのきんきらした頭で何を考えているのかさっぱり解らない。

 

だけど。

 

鍛練してる時、ふと視線を感じると、ラウンジの窓からサンジがこちらを見ている視線とぶつかる事がよくある。

飲み過ぎだ穀潰しだと言いたい放題なのに、ワインラックにはいつも旨い米の酒が置いてある。米の酒なんて、ゾロしか飲まないのに。

ゾロが見張りの日は、必ず夜食を差し入れてくれる。

他のクルーにも好みの酒を用意したり差し入れをしたりしてるだろうが、サンジはいつも見張り台の上まで夜食を持って来てくれる。

気が合わないと思ってるならラウンジのテーブルにでも置いておけばいいのに。

そうして見張り台に上って来たサンジは、ゾロが夜食を平らげるのを、たばこの煙を燻らせながら眺めている。

いつもみたいに、ぷうぷうタバコの煙を吐いたりしない。

ゆっくりと、燻らせる。

たぶん、タバコの煙が食事の邪魔をしないように、気を遣ってくれている。

ゾロはウソップみたいに気の利いた会話なんてできないから、ただ黙って飯を食う。

サンジも黙ってそれを見ている。

それは不思議に優しいひと時だった。

「ごっそさん。」

両手をあわせて、旨い夜食に一礼すると、サンジはゆるく破顔する。

「はい。お粗末様。」

挨拶を返して、食器をまとめて、見張り台を降りていく。

サンジの姿がラウンジに消えても、ゾロは今見たサンジの笑顔に固まっていた。

ゾロがちゃんと「ごちそうさま」を言うと、サンジはいつでも今みたいな笑顔を浮かべる。

嬉しそうな、だけど本当に微かな笑みを。

 

そしてゾロは強く思うのだ。

 

コックは俺の事が好きなんじゃねぇかな。

 

好きなんじゃねぇかな、と思う裏には、好きだといいな、が隠れている事を、ゾロはもう自覚している。

 

コックは俺の事を好きなんじゃねぇかな。

好きだといいな。

 

ゾロもサンジを、好きだから。

 

 

とはいっても男同士だ。

サンジがゾロを実は好きだとしても、それが、ゾロがサンジを好きだという気持ちと同じものだという可能性は、低いような気がした。

何しろサンジは筋金入りの女好きだ。

ナミを毎日毎日かき口説くあのハート型の瞳で、サンジがゾロを見るようになるとはとても思えなかった。

 

ゾロは、まあありていに言えば、サンジに欲情していた。

剣士として生きる以上、夢以外のものは全て切り捨てたつもりでいた。

なのにサンジを見ていると、ゾロの心は、自分の制御下から離れてしまう。

勝手にどきどきと動悸を打ち始める。

勝手に全身に倍以上の量の血液を送り出す。

サンジをもっと見ていたいと思う。

もっと見ていたい。もっと声を聞きたい。

できるなら、触れてみたい。

 

他のクルーが見た事のない、自分だけのサンジの顔が見たい。

他のクルーが触れた事もない、自分だけのサンジに触れたい。

他のクルーが食べた事のない、自分だけの料理を、サンジに作ってもらいたい。

そしてそれが食べたい。

 

サンジには、それぞれのクルーに合わせた、固有のレシピというものがある。

それはもちろんゾロに対してもあって、サンジは、ゾロの夜食には、ゾロの好きな醤油ベースの料理や、魚料理なんかを出してくれる。

ゾロは、その料理だけは、どれだけ他のクルーが食べたがっても絶対に分けてやったことなどない。

サンジもそれを知っていて、ゾロ用の料理を他のクルーに出してやった事はない。

だってこれはゾロの為の料理なのだ。

ゾロだけの為の。

そう思うと、ゾロの胸の奥の方が、じんわりと温かくなってくる。

 

嫁をもらったらこんな感じなんだろうか。

うっかりそんな事を思ってしまって、ゾロは愕然とする。

 

俺はコックと所帯が持ちてぇのか。

 

そうじゃないだろう、それは違うだろう、と強く思うのに、じゃあどう違うのかと問われると答えられない。

答えられないながらも、要するに俺はアレが欲しいのだ、と納得する。

納得しながら、ゾロは戸惑う。

 

なんであんなものを欲しがる。

アレは俺の夢に必要か?

大剣豪になるのに必要なものか?

 

答えは、否だ。

 

ゾロの夢に、サンジは必要ない。

同じように、サンジの夢にも、ゾロは必要ない。

 

サンジの夢に己が必要ない、というのは、思いのほか、ゾロに衝撃を与えた。

 

例えばこれが他のクルーだったら、サンジの夢と同調させる事も出来たろう。

ルフィだったら、海賊王としての航海の中に、サンジの夢は必ずある。

ナミだったら、航海士として確実にサンジをあの海へ導く事ができる。

ウソップだったら、チョッパーだったら、ロビンだったら。

他のクルーの誰もができることを、ゾロだけができない。

 

サンジの夢にゾロは必要ない。

ゾロの夢にサンジは必要ない。

 

けれどその必要のないものを、ゾロは強く、欲しているのだ。

 

それは剣士としての自分の生き方を、濁らせているのではないか。

堕落ではないのか。

 

恋だ愛だとうつつを抜かしてていい野望ではないだろう。

 

鷹の目に勝たなければ。

世界一にならなければ。

 

─────ん…?

 

不意に、ゾロの頭の中に、なにかの啓示が降りてきた。

 

鷹の目に勝つためには、よそ見をしているヒマはない。

…なら、鷹の目に勝った後なら?

 

鷹の目に勝ったら…サンジを手に入れてもいいんじゃないだろうか。

夢が叶った後なら、また新たな夢を追いかけてもいいんじゃないだろうか。

 

─────鷹の目に、勝てば。

 

その瞬間、ゾロの両目からバリッと音をたてて盛大に鱗が剥がれ落ちた。

 

そうか。

鷹の目に勝つためにサンジを諦めなきゃならないんなら、鷹の目に勝てばサンジを諦めなくてもいいんだ。

 

─────鷹の目に勝てば、サンジも手に入る。

 

実際に手に入れるためには、相手の意思とかも関係してくると思うのだが、ゾロの頭はそこらへんのことはすっぱり切り捨てて、シンプルに物事を納得していた。

 

鷹の目に勝つ。

鷹の目に勝つ。

 

鷹の目に勝てば、サンジが手に入る。

 

「最強」と「大剣豪」と「サンジ」が手に入る。

 

なんてお得なバリューセット。

 

 

 

その日からゾロの鍛錬は、一層凄まじいものになった。

 

 

◇ ≡ ◇ ≡ ◇

 

 

鷹の目に勝ったらサンジを手に入れる、と決めたゾロは、憑き物が落ちたようにすっきりしていた。

日々の鍛錬にも迷いはない。

サンジを見て、心が落ち着きなくうろうろすることがなくなった。

むしろ、待ってろよ、サンジ。お前のために俺は最強になるぜ!くらいの勢いだった。

 

そんなある日の事。

 

ゾロは甲板でいつものようにうとうとしていた。

まあ、言ってみれば昼寝の前の軽い仮眠というやつだ。

 

意識の外でクルー達がきゃいきゃいと騒ぐ声が聞こえた。

「そうか、じゃ今日は宴会だなっ♪」

とか

「何でもっと早くいわねぇんだ、ナミ!」

とか

「あたしもさっき気がついたんだもん。サンジ君こそ自分の事なんだから言ってくれればいいのに。」

とか

「自分の誕生日なんて忘れてたんだよーごめんねー。」

とか

「えええっ俺何にもプレゼント用意してないぞっ!」

とか聞こえる。

 

…誕生日? 誰のだ?

 

「お詫びに今日はフルコースディナーだよ。」

「んもぉ、主賓が働いてどうすんのよ。」

「肉肉肉にーくー!」

 

「まあまあ。誕生日おめでとうな、サンジ。」

 

─────サンジ?

 

サンジの、誕生日か? 今日!?

 

まずい、と咄嗟にゾロはがばっと起き上がった。

しかし、あまりに勢いよく飛び起きすぎたらしい。

ゾロの体は起き上がった勢いのまま、ぴょーーーーーーんと大空高く舞い上がった。

 

─────ああ、いけねぇ、飛び上がりすぎちまった。

 

ゾロの体は空中に高く放り出され、あっという間に視界からゴーイングメリー号が消えていく。

眼下に広がる青い青い大海原を見下ろして、ゾロは少し焦った。

 

─────やべぇ、メリー号が見えねぇ。

 

自分の置かれた異常な状況には、その時はあまり思いが至らなかった。

ただ、こんなとこで迷子になったらやべえな、と思っただけだった。

 

─────早くメリーを探さねぇと。

 

だって今日はコックの誕生日だ。

豪華ディナーだと言っていた。

そういう席にゾロが行かなかったら、サンジは烈火のごとく怒って、怒りまくって、そして少し悲しむ。

ゾロは、海を泳ぐ要領で、空を泳いでみた。

すると案外うまくいった。

水よりも抵抗なくすいすいと、空中を泳ぐ事ができる。

上を見ても下を見ても青一色で、どっちが海でどっちが空だったか、そもそもどっちが上でどっちが下だったかすらよくわからなくなっていたが、まるでコックの瞳の色のような青の中を泳ぐのは、なんとも言えず心地良かった。

とにかくゾロはさっさと船に戻ろうと、空の中を泳いでいった。

視界の青がだんだん濃くなっていって、目を凝らすと、少し先に船があるのが見えた。

ああ、よかった。と思いながら、ゾロは船に向って泳いだ。

どんどん泳いだ。

どんどんどんどん泳いだ。

次第にスピードがのってきて、ゾロの体はものすごい速度で船に向っていく。

船に近づくにつれ、ゾロは、違和感に気がついた。

何だか船がメリー号よりでかいような気がする。

あれはキャラベルじゃない。

スループ船だ。

船首が羊じゃない。

しまった、メリー号じゃない。

そう思ったが、もう止まれない。

ゾロの体は瞬く間にスループ船に引き寄せられ、あっという間に甲板に叩きつけられた。

 

─────!

 

したたかにぶつけた脳天をさすりながら、ゾロは体を起こした。

これはどこの船だろう。

商船か、海賊船か。

海軍だったらどうしよう。

そう思いながら、辺りを見回し、ゾロはうんざりしたため息をついた。

船員を捕まえて聞いてみなくても明らかに分かる。

この船は海賊船だ。

 

もう、いかにも海賊ですよ、という風体をした船員が、何人も甲板をうろうろしている。

誰も、いきなり落ちてきたゾロに注意を払いもしない。

さて、どこの海賊だ?と、ゾロはマストを見上げ、────愕然とした。

 

そこには見慣れた麦わらの海賊旗があった。

 

 

 

2005/03/08


夢ネタ。


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