† ドワーフの養い子 †

 

「おい、お前、大丈夫か?」

 

珍妙な長い鼻が、ハーフエルフを覗き込んでいた。

礼を言おうとしたハーフエルフは、二、三度目をしばたたかせて、その長鼻を見返す。

「お前…ホビット?」

問うと、目の前の長っ鼻が、にかっと笑った。

「おう。俺様は黒の山を統治する、八千人のホビットの頂点に立つ男ウソップ様だ。」

胸をはる。

あんまりにも堂々と名乗るので、

「…てめェ、それ、嘘だろ。」

と、エルフが思わず突っ込むと、ウソップと名乗ったそのホビットは、悪びれもせずからからと笑った。

つられてエルフも相好を崩す。

 

途端に、

「ぐぅっ…!」

全身を激痛に襲われた。

それを見て、ホビットが慌てる。

「おい、しっかりしろ!」

急いで立ち上がり、わたわたと駆け出す。

水音がして、またわたわたと駆け寄る気配があり、エルフの背中にひんやりとした感触がくる。

それで、エルフは、自分が川のほとりに連れてこられた事に気がついた。

「お前、森エルフか? なんだって一人でこんなところをうろうろしているんだ? なんで森を出てきた? 人間に連れ出されたのか?」

言いながら、ぎごちない手つきで、エルフの傷を洗い流す。

洗っても洗っても、抉られた背中の傷からは鮮血が溢れ出す。

 

高い治癒力を誇るはずの、エルフの傷がふさがらない。

 

それを見て、ホビットの目がはっとした。

 

「お前…まさか…、“エルフの護り”が…!?」

そう言われたとたん、エルフは顔を蒼白にして、唇を噛み締めた。

「さっきの、あの人間に奪われた…のか?」

問うホビットの声音に、怒りが滲んでいる。

エルフは答えない。

「どう、すんだ。お前…もう、森には、戻れねぇじゃねぇか…。」

呆然と呟くホビット。

まるで我が事のように、痛々しい顔をしている。

どうやら相当に優しい気質を持ったホビットらしい。

そうでなくて、あれほどの闘気の中に割って入り、エルフを救い出すことなどできるものか。

ふ…と、エルフは弱々しく微笑した。

「俺は森エルフじゃねぇから心配いらねぇよ…。」

笑顔を、ホビットに向けてみせる。

その顔を見た瞬間、ホビットが息を呑んだ。

金銀妖瞳(ヘテロクロミア)…?」

エルフの邪眼に気がついたらしい。

驚いていたホビットの顔が、すぐに、あ、という顔になる。

 

「白いダークエルフ…! お前、“ドワーフの養い子”か!」

 

今度はエルフの目が丸くなった。

それはゆっくりと皮肉っぽい笑みに変わる。

「なんだ…。俺はずいぶん有名人なんだな。」

ホビットもにやりと笑い返す。

「超、がつく有名人だぜ? しかし、この目で見るまでは、俺の他にも豪気な嘘つく奴がいるんだなあと思ってたが…。ほんとだったのか。ドワーフの長が捨て子のダークエルフ育ててるってな。」

ドワーフ族とエルフ族は、致命的に仲が悪い。

その仲の悪さたるや、エルフの方は、ドワーフが一度通った道は100年たっても通りたくないというほどだったし、ドワーフの方は、エルフなんぞ便所の紙にもなりゃしないと思っているほどだった。

それほどに仲が悪いにもかかわらず、魔物の間で何年か前から流れるようになった、噂。

 

ドワーフの長が、エルフの子供を育てているらしい。

育てている子供は白いダークエルフらしい。

その子は、金銀妖瞳(ヘテロクロミア)らしい。

ダークエルフ族の長も、エルフ族の長も、その子に関しては何も知らないらしい。

 

いくばくかの嘲りと、好奇心をもって、その噂はまことしやかに流れていた。

 

「ドワーフは光もん好きだからな。きっと俺の事も本物の金と間違えてんじゃねぇのか?」

事も無げにそういうエルフに、ホビットは苦笑で返した。

間違いや酔狂で異種族の子供を育てていけるほど、魔物の世界は甘くない。

ましてや、このダークエルフを育てているのがドワーフの長なのだとしたら、尚更。

それを一番よく分かっているのもまた、このエルフ自身だろう。

ホビットは、エルフの言葉には答えず、

「だけど…どうすんだ? “エルフの護り”を取り戻すか?」

と尋ねた。

 

「いや…。それは後だ。なぁ、お前。ウソップっつったか。この辺に、くれはって魔女のばあさんが住んでると思うんだが、知らねぇか?」

エルフの問いに、ホビットは仰天した。

「く、くれは?? いや、知ってっけど…。あ、その背中の傷か? 俺の村にもまじない師のばあさんがいる。そっちに見てもらおうぜ? くれは婆さんは腕はいいが、いくらふんだくられるかわかんねぇぞ?」

「俺の傷はどうでもいい。くれはのとこに案内してくれないか? …病人がいるんだ。急ぐんだ。」

エルフの目に宿る必死な色に、ホビットがはっとする。

このエルフが、人間に襲われる危険を犯してまで、森を出てきたわけを察知したからだった。

 

「あ、ああ。わかった。────ついてこい。」

 

 

 

 

□ □ □

 

くれはの家は、実に珍妙なつくりになっていた。

人里から離れ、妖魔の森からも離れたそこは、一見すると、何もない、ごつごつとした岩山。

やたらとでかい巨石の表面に、「ドクトリーヌ・くれは」と乱暴な字で刻み込んである。

 

ホビットが、歩くのもやっとというようなハーフエルフを庇いながら連れて、くれはの元を訪れた時には、もう、夕刻になっていた。

 

「おーい、婆さーん。客つれてきたぞーぉ。」

巨石の前でホビットが怒鳴る。

すると、どういう仕掛けになっているのか、巨石が音もなく、すっと横に動いた。

その後には、ぽっかりと洞窟が開いている。

真っ暗な洞窟の中に一歩足を踏み入れると、いきなり中に灯りがついた。

奥から、2つ足の奇妙な獣が駆けてくる。

「おう、チョッパー。」

ホビットが声をかけると、獣が嬉しそうに駆け寄ってきた。

「ウソップ!」

だがすぐに、ぎくりと足を止める。

「どう…どうしたの? 血の匂いがする。」

「ああ、…なんべん言ってもこいつ、手当てもさせやしねぇ。」

苦りきった顔で、ホビットが傍らのハーフエルフを見る。

夥しい背中からの出血で、エルフの顔からは血の気が引いている。

「大変だ!早くドクトリーヌに見せないと!」

言うなり、獣の姿がいきなり変わった。

ホビット達の膝下くらいの背丈しかない、愛らしい2つ足から、大きなトナカイのような姿へ。

ホビットはその背へ、エルフの体を乗せた。

エルフは何の抵抗もなく、されるがまま、獣の背にその身を預ける。

そして獣とホビットは、大慌てで洞窟の奥へと走り始めた。

 

しばらく行くと、洞窟の奥にドアがあった。

そのドアを開けると、そこはいきなり、どこかの城の中かと思うような、豪華な内装に変わる。

しかし、壁面には一面に薬品棚が並び、机の上には医療器具のようなものが置かれている。

「婆さんと呼ぶなとなんべん言ったらわかるんだい、この長っ鼻は。」

その机の前に、いったいいくつなのかわからないような、やけに若々しい格好をした老婆がいた。

老婆、と言っていいものか。

顔は確かに老いていたが、そのいでたちはまるで小娘だ。

流行の服を着て、大胆に肌を露出させている。

「怪我人かい?」

獣の背をちらりと見て、老婆が言った。

ホビットが何か言おうとしたとき、その背でエルフが身じろいだ。

ゆっくりと体をおこし、獣の背から降りる。

「お、おい、大丈夫か?」

ホビットが慌ててその体を支える。

エルフの目は、まっすぐに老婆を見ている。

 

「て、めぇ、が…、くれは、か…」

その声は弱々しく掠れている。

けれど、目の光は強さを失っていない。

むしろ必死なほどの光を湛えている。

その目を見返し、ついでエルフの真っ赤に爛れた手首を見て、老婆は口を開いた。

「…何だ。邪眼の魔物ってなあんただったのかい、白いダークエルフ。」

「ダークエルフ、じゃねぇ…。ダークなのかハーフなのか、自分でも知らねぇからな。」

エルフがそう答えると、くれはは、ひーっひっひっひっと笑いだした。

「自分の真実が知りたくてここに来たのかい? ドワーフの養い子。」

するとエルフは、首を横に振った。

「違う。そんなものァ、どうでもいい。…ジジィを、助けてくれ。」

その意外な言葉に、くれはが目を丸くする。

「…ゼフがどうかしたのかい?」

「病に…犯されている…。薬草もまじないも効かない。あんたなら…どんな魔物の病も治せると聞いた。頼む。ジジィの病を、治してくれ。」

「病、ね。とりあえず、目の前のあんたの傷も相当深そうだけどね。」

「俺はどうでもいい! 早く…ジジィを…! もう一週間も食べ物が食えてねぇんだ。全部戻しちまう。頼む。俺に出来る事なら何でもする。だから、ジジィを…。」

縋りつかんばかりのエルフに、くれはは少し考える素振りを見せて、事もなげに言った。

 

「なんでも…ね。なら、お前の邪眼と引換えだよ。」

 

傍らにいたホビットと獣が、ギョッとしてくれはを見た。

けれどエルフがすぐさま────むしろほっとした様子すら見せて────左目に指を突きたてようとしたのを見て、ホビットが慌ててエルフの腕に飛びついた。

「うわああッ! おま、なにやってんだァッ!」

「離せよ! こんなもんでよければ両目ともくれてやったってかまわねぇんだ! ジジィの病が治るならそれでっ…!」

「だだだだだからって、自分で自分の目ェ抉ろうとする奴があるかよ!」

「うるせェ! 離せッ!」

尚も自分の目を抉ろうとするエルフとそれを止めようとするホビットの剣幕に、おろおろと見ていた獣も、泣き声を上げる。

「ドクトリーヌ! やめさせてよ!」

 

その時だった。

 

「ちょいとお待ち。ゼフの養い子。」

 

くれはの声が、場を制した。

 

「…お前、人間と契ったね?」

 

そのとたん、エルフの顔色が変わった。

ぎくりと全身が強張る。

くれはがゆっくりとエルフに近づき、左目を覆った長い前髪を指先で払う。

輝きの鈍い、金色の瞳。

「邪眼が封じられている。」

くれはの言葉に、傍らにいたホビットが、息を呑んだ。

エルフが唇を噛む。

「封じられた邪眼に力はない。ただの色の違う目だ。そんなものはいらないよ。」

そっけなく言い放つくれはに、エルフは血相を変えた。

「頼む! 頼むから! 何でもするから! 手でも足でも好きなだけくれてやるから!」

悲鳴のような声で、エルフが訴える。

けれどくれはの態度は冷たい。

「何でも? お前は、お前の邪眼がどれだけ価値のあるものが分かっていたかい? お前は嫌がっていたろうがね。その邪眼さえなきゃ、お前はエルフのふりをして生きていけたんだ。まぁ、フリだけだが。お前の体の中で価値のあるものはその邪眼だけだ。あとのお前の躰にはなんの価値もないよ。」

「そんな事はわかってる!」

くれはの言葉を遮るように、エルフが叫んだ。

「俺の命に何の価値もない事くらい俺が一番よく知ってる!」

くれはの表情がほんの少し、揺らぐ。

「だが俺はあと何も持っちゃいねェ。この体しかねェんだ、だから…!」

その声は悲痛で、痛々しい。

 

「命、ね。」

 

ぼそっとくれはが言った。

 

「その命も尽きかけてるようだがね。」

くれはの言葉はどこまでも冷徹だった。

エルフが、ぐっと押し黙る。

「自分で分かってるんだろう? お前、何故その人間と“契約”しなかった?」

途端に、エルフの顔が、屈辱と怒りに、染まった。

「ッ…。あの男は…俺と契ったわけではない…。一晩の、伽にされただけだ…。」

震える唇で、やっとそれだけを言う。

それを告げるだけでも、どれだけエルフのプライドが傷ついているかは、エルフの顔を見ればありありとわかった。

純血のエルフよりも、ずっとプライドが高いらしいのは、ドワーフに育てられたせいだからなのだろうか。

 

「契ったんじゃなく、汚された、って事かね。」

 

くれはの言葉は、エルフの矜持を容赦なく抉る。

 

汚された。

…そうだ。自分は…汚されたのだ。あの剣士に。

 

あの剣士は、笑いながらエルフの躰を犯し、裂いた。

エルフの体を、エルフの意思を無視して犯すという事が、エルフにとってどんな意味を持つのかも知らず、あの剣士は、ただ自分の欲望を満たすためだけに、エルフを陵辱した。

たとえ知っていたとしても、あの剣士はエルフと契約などしなかったろう。

だってあの剣士の心には、もう別の姫君が住んでいる。

 

邪眼であの剣士の心を覗いた時に、知った。

 

あの剣士は、その姫君に永遠の忠誠を誓っている。

姫君は呪いをかけられ、塔の中で眠っている。

その呪いを解くため、あの男は竜を狩り続けている。

 

あの剣士の心に、別の者の住む隙間はない。

たとえどれだけ…エルフが焦がれたとしても。

 

思わず瞑目したエルフを見て、くれはが口を開いた。

 

「お前…、“喰われた”ね、その人間に…。」

 

聞いていたホビットが、ギョッとしてエルフを見た。

俯いたエルフの唇が、微かに震えている。

「…邪眼を封じられ、体を汚され、契約すらしてもらえないお前は、もう魔物としてはおしまいだ。お前を食った人間は、今後もお前から命の火を奪い続ける。その人間は、エルフの強靭な回復力を身につける。お前の、力だ。そやつは、どんなに強い敵にあっても傷つかない。死なない。そやつが追うべき傷は全てお前の身に起こる。そやつが切られれば、お前の身が切れ、そやつが毒を飲めば、お前が侵される。人間に喰われた魔物は、人間の為に命を燃やし尽くして、そうして死ぬんだ。お前分かってるのかい? 人間に汚されたままじゃあ、お前はゼフの元に帰ることすら出来ないよ。人間の瘴気が一番病に障るからね。」

「ジジィんとこには…どの道もう戻れない…。」

力なく、エルフは言った。

「いいんだ、俺はもう…、充分生かしてもらった…。俺より…俺よりも、ジジィを…。お願いだ、くれは…。」

がくりと、エルフがその場に膝をつく。

そして、両手を、祈りを捧げるように額の前で組むと、不意にその体が、ぐらりとかしいだ。

「お、おい!お前!」

ホビットが慌てて駆け寄ったが、エルフは完全に気を失っていた。

「婆さん!」

ホビットがくれはを怒鳴りつける。

「婆さんと呼ぶなって言ったろう。その鼻解剖するよ。…その子は血を流しすぎたんだよ。ちょいとからかいすぎたね。チョッパー、その子を診察台へ。」

言われて、獣の体がまた変形した。

今度は二つ足の大男へ。

その姿で、倒れているエルフを抱え上げると、うつ伏せに診察台に乗せる。

「今のこの子には人間並の治癒力しかない。…背中のこれは跡が残るね。せっかくの白い肌がもったいないねぇ。」

独り言のように呟きつつ、エルフが身に纏った、もはやボロ布のような薄衣を剥いでいく。

 

くれはがてきぱきと治療を開始したのを、ホビットはほっとして見ていた。

それから、ゆっくりと口を開いた。

「…あんたがさっき言ったの、あれ、嘘だろ。」

「何の事だい?」

くれはは手を休めずに聞き返す。

「こいつの体の中で価値のあるのは邪眼だけで、あとは何の価値もないって奴。」

「なんだ、気づいていたのかい。」

あっさりとくれははそう答えた。

「気づくってほどはっきりわかったわけじゃねぇけど…。なんか…なんつーか…うまく言えねぇけど…。」

「それが感じ取れるだけでもお前さんはたいしたもんさ。長っ鼻。」

「だって、俺、こんな綺麗なエルフ、初めて見たぜ? ハーフなのに、こんな…純血のエルフにも、こんな綺麗な奴、見たことねぇ…。こいつ、なんの血が入ってるんだ?」

ホビットがそう聞いたとたん、くれはは、ひーっひっひっひと、笑いだした。

「聞かない方がいいよ、長っ鼻。一つ言える事はね、この子はこんな見てくれだけどね、この子にはエルフの血なんかほとんど入ってやしない。なんだって、こうも、エルフの姿と性質が色濃く出たんだか、不思議でならないのはあたしの方さ。」

 

そう言って、くれははまた、ひーっひっひっひ、と笑った。

 

2004/12/12

 


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