■ 恋一夜 KOI HITOYO ■
「すげええええええ。俺、スイートルームって初めて入った。」
サンジは部屋に入るなり、目を丸くしてはしゃぎだした。
部屋の調度品を見たり、窓から夜景を眺めては、しきりに歓声を上げている。
「なぁ、この部屋っていくら? 10万?20万?」
「…んな高い方のスイートじゃねぇ。…5万くらいだ。」
「5万!? まぢ? そんなすんの???」
ほへーと変な声を上げて、サンジはまた夜景に視線を戻す。
「すげぇ綺麗だ……。」
うっとりと呟くサンジを見ながら、ゾロはゆっくりとソファに腰を下ろした。
それを見てサンジが、「あ、なんか飲むか?」とキャビネットに向かった。
ワイングラスを一つだけ出してワインを注いでるので、ゾロは「お前も飲め。」と声をかける。
するとサンジは、「あ、そっか。」と一人ごちながら、もう一つグラスを出した。
いちいち声をかけてやらないと、サンジは自分の分は後回しにする。
身に付いた職業上の習性とはいえ、ゾロにはそれが何となく物寂しい。
サンジがグラスを持ってゾロに近づいてきた。
一つをゾロに渡す。
ゾロが目で隣に座るように促すと、サンジは照れたように薄く笑ってゾロの隣に腰かけた。
かちん。と、グラスがかち合う。
「誕生日おめでとう、ゾロ。」
「…ありがとう。」
ゾロが一息でワインを飲み干す。
サンジは唇を濡らす程度に口をつける。
それからサンジは、やや決まり悪そうに、
「てめェの誕生日だってのに、なんか、飯も、ホテルも、てめェ持ちで…、その、悪い…。」
と言った。
ゾロが苦笑して、サンジの頭をぽんと叩く。
「ケーキ焼いてくれたじゃねぇか。外でくらい俺にもかっこつけさせろ。」
そして、テーブルにグラスをおいて、サンジの体をそっと抱きしめる。
「俺の方こそ…悪かった。てめェに、仕事…休ませて…。」
くす、と腕の中のサンジが笑う気配がする。
「そうだな。俺ァデートの為に仕事休んだのなんか、初めてだ。」
ろくに説明もせず、いきなりサンジに“仕事を休め”、と言った。
サンジがどれだけこの仕事を誇りに思っているか、どれだけ責任感が強いか、知っていてそう言った。
当然、サンジは激怒した。
だから、必死で言葉を紡いだ。
─────誕生日。…できれば、一日お前と、過ごしてぇ。
翌日には、ゾロは父親の仕事を手伝うために、父親のいるマリージョアに旅立つ事になっていた。
一ヶ月程度、行ってくるだけではあったが、せめて、その前の日だけでも、サンジと二人きりで過ごしたかった。
パーティもプレゼントもいらない。ただ、一日中サンジを独占したい、と。
その日だけでいいから自分だけのサンジでいて欲しい、と。
顔から火を噴くような思いで伝えた。
そうしたらサンジの顔は呆けた。
その顔が見る見るうちに赤くなった。
ばーか。
サンジは小さくそう言った。
そう言って、サンジは初めて仕事を休んだ。
ゾロの為に。
初めて、待ち合わせ、なんてものをしてみた。
白いセーターに黒いジーパン、という姿で現れたサンジを見て、サンジの私服を見たのも初めてだという事に気づいた。
あんなに長いこと傍にいたのに。
着飾っているわけでもないラフな格好なのに、その姿がやけに新鮮で、一瞬見惚れた。
そうしたら、耳まで真っ赤にしたサンジに、野郎をそんな目で見てんじゃねぇ!と蹴られた。
初めて、二人で肩を並べて歩いた。
サンジのその人目を引く容姿に、男女問わず振り返られるたび、その痩身が自分の物だと思うたび、誇らしさと優越感と独占欲を同時に感じた。
初めて、二人だけで食事をした。
ホテルのレストランで。
上の階に部屋を取ってあると言うと、サンジはまた茹蛸のように真っ赤になったが、すぐにゆるやかな笑みを浮かべた。
それがあんまり嬉しそうで、透明で、綺麗で、心臓が鷲掴みにされたようだった。
「ゾロ。」
ふと、腕の中のサンジが、小さく呼んだ。
そして、思いもよらぬセリフを呟いた。
「…俺で、いいのか…?」
小さな小さな声。
言われてる意味を悟り、ゾロはギョッとした。
「何言ってんだ、てめェ。」
何度も何度も思いを告げたのに。
好きだと言ったのに。
そして、サンジからも確かに思いを返されたと、そう思っていたのに。
「違う、ゾロ。てめェを信じてないとか、そんなんじゃねぇ。」
静かな、蒼い瞳。
それが微かに揺らいで、
「俺は、舞い上がっちまうから。」
と呟いた。
「身分が違う事も、俺にはそんな資格ねぇって事も、分かってる。今までだって、傍に、いられればそれでよかったし。だけど…。」
言葉を切り、少し視線を泳がす。
サンジの言葉に、ゾロの眉根は寄っていく。
「だけど、てめェが、…俺を好きだと言ってくれたりするから…。」
それがどうした。
その通りだ。
サンジが好きだ。
この世の中でサンジだけを愛している。
なのに何故、身分が違うとか、資格がないだとか、傍にいられるだけでいいとか、サンジはそんな事を言う。
わけがわからなくて、ゾロの顔はどんどん不機嫌になっていく。
「あの、な、その…こういうのは、口に出したりするんじゃなくて、たぶん、こう、察したり、するもんなんだろうと思うけど、俺は、…あの…、てめェらの、その…ルール?とか、そういうの、疎いから、よくわかんねぇんだ。
た、たぶん、こんなこと、言うのとかも、その、ルール違反、とかってのかもしんないけど、俺、えと、な、慣れてないから、だから、ゾロにこんなこと言われて、舞い上がっちまってて、か、勘違い、とかその、しちまうから、だから、…」
サンジの話はさっぱり要領を得ない。
何が「よくわからなく」て、何を「勘違い」してると言ってるのだろうか。
「えと、その、これが、てめェらの間でよくある、恋愛ゲーム、とかってそういうのなら、ごめん、その…俺、えと、…た、たぶん、ゾロを楽しませることは、俺には、できないと…思う。」
言われてる事を理解するうちに、ゾロの中にゆっくりと怒りが湧き上がってきた。
「てめェは…何を言ってる。」
怒りを押し殺した声は、けれど、自分でもはっきりと怒気をはらんで響き、腕の中のサンジの体がびくりとするのが分かった。
「好きだと、言っただろう!? 俺はっ…お前を好きだと! 何で俺を信じねぇ!」
もう頭の中がぐちゃぐちゃになるほどの怒りが突き上げてきて、ゾロは、サンジの両肩を掴んで揺さぶった。
「ゾ、ロ…」
けれど、ゾロにはサンジの言っていることも痛いほどよくわかり、…だからこそそれが、もどかしいほどに腹立たしい。情けない。
だってゾロのいる世界は、どうしたってそういう世界だ。
恋愛をゲームのように楽しみ、薄っぺらい愛を薄っぺらく誓い、まるで食べ物を食い散らかすように、想いをおもちゃにする。
サンジのような立場の者が、いったい今まで何人、ゾロ達の世界の人間のそういう戯れ事に惑わされ、一夜の遊びに本気になり、そしておもちゃにされてきただろう。
サンジだって、身近にそうやって取り返しがつかないほどに傷つけられてきた同じ立場の人間を、ゾロ以上に見てきたはずだ。
サンジにしてみたら、ゾロの告白がそれと同じものなのか、違うものなのか、判別できないに違いない。
例え、ゾロがどういう人間か、サンジが良く知っていたとしても。
根本的なところで、ゾロとサンジの世界には隔たりがありすぎる。
だからゾロの本気は…サンジには伝わらない。
それがもどかしい。悲しい。情けない。腹立たしい。
「ゲーム、なんかじゃねぇっ…! 俺は…俺は、本当に、本気で…!」
サンジが好きだ、
サンジしかいらない。
サンジだけしかいらない。
サンジが望むなら、ゾロの周りを取り巻く何もかもを、捨てたって構わない。
何もいらない。
サンジ以外は。
だけどそれは、言葉にするとなんて薄っぺらく、嘘くさいんだろう。
そう、まるで…恋愛ゲームの言葉遊びのように。
どうしたら気持ちが伝わるのかわからなくて、ゾロはサンジを抱きしめた。
好きだ、と、何度も何度も、言った。
信じてもらえるまで、何度も。
たまらなくて口付けた。
サンジの唇に噛み付くようにキスをしながら、「好きだ」と囁いた。
何度も。
「ん、っふ…、も、もぉ、いいっ… ゾロ…。」
気がつくと、サンジが上気した顔でゾロを見上げていた。
「も、わかった、から…」
「…ほんとか?」
「ん、ごめん…ゾロ…。」
ごめん、と言って笑うサンジの笑顔は、どこか、何かを諦めたような寂しい笑顔で、ゾロの心臓はきりきりと痛む。
サンジがゾロの首に手を回してきた。
ゾロ、とその唇が誘うようにゾロの名を呼ぶので、ベッドに行くのももどかしく、ゾロはソファの上でサンジの体を押し倒した。
心が、はやる。
早くこの体を抱かないと、早くこの体をゾロでいっぱいにしないと、この体は、するりとゾロの腕の中から抜け出して、音もなく、消えてしまいそうで。
誰よりも何よりも優しく触れたいのに、ゾロの欲望はそれを許さなかった。
シャツの下からサンジの白い肌が現れただけで、ゾロの理性は簡単に吹っ飛ぶ。
こんなに誰かを好きだと思ったことなど、なかった。
こんなに欲しいと思ったことも。
自分が欲しいと思っているのと同じくらいの強さで、サンジにも欲しいと思っていてほしい。
そんな風に思うのも、初めてのことだ。
それがゾロを、性急に駆り立てる。
噛み付くように、その白い肌に歯を立てた。
「んっ…!」
サンジの体がびくりと跳ねる。
それだけで、そのサンジの反応だけで、ゾロの下半身はたやすく熱を集めた。
その熱に煽られて、サンジの体中を、舐めた。
どこを舐めても、どこに触れても、サンジの体はびくびくと反応を返してくる。
最初のうちは恥ずかしいのか、真っ赤な顔で噛み締めている唇も、ゾロに触れられているうちに、うっすらと開いてくる。
そしてその唇から、
「ァ…、っあ…ッ…、んン……………」
耐え切れぬように零れてくる、鼻にかかったような甘ったるい声。
どっから出してんだ、てめェは。そんなエロい声を。と、思う。
やべぇからそんな声出すな、と、もっと喘げ。その声聞かせろ、と、ほとんど同時に、強く強く思う。
サンジのペニスを握りこむと、ひときわ高い声が上がった。
「ッひあ…っ! あああっ…」
迸る白濁を全て飲み干してやりたくて、でも、サンジのイク時の顔も間近で見てやりたくて、ゾロはいつもどっちにするか迷う。
迷っているうちに、サンジはゾロの手の中で射精してしまう。
せつなげに眉を寄せて、白い顎をのけぞらせて、碧眼が潤んでその色を滲ませて、気持ちよさそうに。
その顔を見るだけでもう、ゾロもつられてイッてしまいそうになる。
愛しくて愛しくて、めちゃくちゃに抱いて、壊してしまいそうだ。
こんなにもこんなにもサンジが愛しくて仕方がない事を、サンジを求めてやまない事を、せめて欠片だけでもサンジに伝えられたらいい。
せめてサンジが、不安にならないくらいに。
できれば…できれば、サンジもゾロに抱かれて幸せを感じてくれるといい。
ゾロが、サンジを抱くたびに、ぎゅうっと締め付けられるほどの幸福を感じるように。
サンジの体は正真正銘どこを見ても男の体なのに、ゾロを優しく、受け止める。
サンジの料理が、いつでも温かくゾロを迎えてくれるように。
ゾロのどんな欲望も熱も想いも、柔らかく受け入れてくれる。
それを思うだけで、ゾロは眩暈を感じる。
とんでもない幸福感で。
この想いの半分だけでも、サンジが感じてくれたら、いいのに。
身分? 資格?
違う。
たぶん…。
サンジに触れる資格がないのはゾロの方だ。
この優しく柔らかな美しい存在を手に入れる身分でないのは、自分の方だ。
なのに、サンジはゾロの全てを許してくれる。
こんなゾロを、愛してると言ってくれる。
ゾロの全てを受け入れてくれる。
愛さずにいられるわけが、ない。
白い足を肩に担ぎ上げて、ゾロが体を進ませると、サンジが小さく悲鳴を上げた。
それでも随分慣れてきたのに、挿入の瞬間だけはどうしても辛いらしい。
なるべく苦痛を与えたくなくて、ゆっくりと挿入するべきか、それともさっさと入れてしまった方が苦痛が少ないのか、ゾロはここでも迷う。
けれどサンジの中はいつも熱く、震えながらゾロを締め上げてくるので、とっくに飛んでいるゾロの理性は、今度こそ本当に本能のみとなってしまう。
頭の中が、サンジの事だけでいっぱいになってしまう。
「あ、ッア、あァッ!ゾロ、あ… んや…、ゾロ…!」
サンジの口から感極まったように何度も紡がれる自分の名は、なんと特別な上等な響きを持っているのだろう。
「サ、ンジ…、サンジ…! サンジ…。」
何度も何度も囁いた。
ゾロが名を呼ぶと、サンジはいつも嬉しそうに笑う。
分かっていて、ゾロは普段はなかなかサンジの名が呼べない。
だけど今は。
サンジが身も世もなく喘ぎながら、両手をゾロに伸ばしてきて、縋りついてきてくれる今は。
喉元まで溢れてきてたまらないこの名前を、憑かれたように囁き続けてやる。
サンジの名前を囁きながら、ゾロはその痩身の奥に、自分の全てを注ぎ込んだ。
それから何度睦みあったか、もう二人は覚えていない。
何度も精を吐き出して、お互いの出したものでお互いの体をぐちゃぐちゃにして、しまいにはもう何も出なくなって、最後には舐めても擦ってもお互いのペニスがぴくりともしなくなって、それでも、ゾロとサンジは裸で絡み合っていた。
お互いの体の間の、ほんの少しの隙間さえ許せなかった。
いっそこのまま二人どろどろに溶けて混ざり合ってしまいたかった。
「…ロ、ゾロ、寝んな、バカ。」
「なん、だよ…俺ァもう勃たねぇ、よ…。」
「俺だって打ち止めだ。尻だって限界だよ。そうじゃなくて、寝んな、っつんだよ。ハゲ。」
「うるせぇ、眠ィんだ、寝かせろ…。」
うとうとと瞼を閉じようとしたゾロの頬を、サンジが力いっぱい引っ張る。
「寝んな!つってんだろうが!」
「痛ぇな、何すんだよ!」
「てめェは今日、朝いちでマリージョア行くんだろうが! もう夜が明けんぞ。今寝たら、てめェは絶対乗りそこなう。飛行機ん中で寝りゃいいだろうが。寝んな!」
言われて、ゾロは薄目を開ける。
なるほど、昨夜は美しい夜景が見えていた窓の外は、うっすらと明け始めていた。
本当に一晩中、サンジを抱いていたのだ。
「待ってろ。今コーヒーいれてやっから…。」
言いながらベッドを降りようとしたサンジの体が、不意にゾロの前から消えた。
次いで、どたん!という音。
ゾロが慌てて、起き上がると、サンジの体がベッドの脇に落っこちていた。
「おい。大丈夫か?」
「つゥ…。参った…。腰たたねぇ。」
立つことすらおぼつかないらしいサンジに、ゾロは笑いながらサンジの腰に手を回してベッドの上に引き上げてやる。
「てめェ、笑うな。誰のせいで立てねぇと思ってやがる。」
「はいはい。悪かった俺のせいだ。」
まだ笑いながら、ゾロはサンジの体を抱き込んだ。
「あー、マリージョア行きたくねぇなー。」
「何言ってやがんだ。バカ息子。」
「…お前と離れたくねぇ。」
サンジの顔が赤くなった。
「何言ってやがる…。一ヶ月ぽっちで帰ってくるくせによ…。」
口元が薄く笑っているので、ゾロは、意を決して、ずっと考えていたことを切り出した。
「な、サンジ…。」
「ん?」
「クリスマスには、帰って来れると思う…。」
「ああ。」
「そうしたら、俺はまたお前に仕事休めって言っちまうと思う。」
くす…とサンジが笑う。
「しょうがねェ奴だよなぁてめェは。」
「クリスマス…二人で過ごそう…。」
「…ああ。」
「年があけたらたぶん、またすぐマリージョアに行くことになると思う。」
「………。」
「…一緒に、来てくんねぇか?」
「…え?」
びく、と腕の中の体が身じろいだ。
「親父に、会ってくんねぇか?」
サンジは答えない。
けれどその全身が緊張している事が分かる。
「…俺の嫁さんになる人だって紹介するから。」
「………ッ…。」
サンジが小さく息を呑んだ。
ゾロも黙って、サンジの返事を待つ。
なかなか返事をしてくれないなあ、と思ったら、サンジは腕の中で、声も出さずに泣いていた。
途端にゾロは不安になる。
「…だめ、か? 俺の嫁さんになるのは、イヤか?」
仕事も何もかも、サンジから取り上げてしまう事になる。
時期尚早だったかもしれない、とゾロが思ったその時、凄まじい蹴りがゾロの横っ面を張った。
もんどりうってベッドから転げ落ちるゾロ。
「っ…イヤなわけ、ねぇだろうが!!」
潤んだ声が怒鳴ってきて、ゾロはベッドの下で思わずガッツポーズをした。
けれど。
ゾロがマリージョアから帰ってきた時、そこに、サンジの姿は、なかった。
2004/10/24